メヒーシカの恋愛相談
第98話のあとの話です
「あ、おねーさん、元気にしてる?」
廊下の角を曲がって来たヒックスにそんな声をかけられて、メヒーシカは苦笑した。さっきもそんな風に声をかけられたばっかりだったというのに。
「お陰様で、元気にしてますよ。旅支度も随分進みましたし、そろそろジーシカに向けて旅立とうかな、と思っているところです」
「そうか……もっと居てほしいけど、いつまでもってわけにもいかねーもんな……」
少し寂しそうになるあたりは、まだまだヒックスも子供だ。それを微笑ましく思いつつ、そんな風に余裕ができていることをまた、嬉しく思えた。
つい先日までは、ここにいる人達と生きるか死ぬかの戦いをしていたとは思えない。今目の前にいるヒックスの存在がなければ、自分は結局死ぬことを選んでいただろうと彼女は思う。
「――貴方が居てくれて、本当に助かりました」
「へ?いやいや、道案内しただけじゃん、大げさだなー」
本当にそう思ってるのか、照れ隠しなのか、そんな風に言うヒックス。そこに突っ込むのも野暮な話だろうが、それでもメヒーシカは一言言っておきたかった。
「本当に、貴方のおかげですよ。ずっと城島ヒカルと戦ってきて、もしかしたら彼もまた、話の通じる普通の人間なんじゃないか、彼とも交渉することができるんじゃないかって思いは、徐々に芽生えてきていました。けれど、その思いに賭ける勇気が、ずっと私にはありませんでしたからねえ……城島ヒカルを信じる多くの人達と会って、その最後に貴方が後押ししてくれたから、誰も死なないハッピーエンドを迎えることができたんだと私は思ってますよ」
今でも、城島ヒカルを野放しにしていいのか、という疑問を感じるときはある。けれども、彼が本気で何かを企むとするならば、いの一番に自分は殺されていなければならない。そうなっていないということは、彼は本当に約束を守る気であるのだと思えた。
「へへっ……俺の手柄かは分からないけど――でも、確かに誰も死ななくてよかったよ」
そう言って、照れた顔を見せずに立ち去ろうとするヒックスだったが、ピタリと足をとめた。
「あら、ヒックスに――メヒーシカさん、ごきげんよう」
ヒックスよりは歳が上だが、まだぎりぎり少女と言っていい年齢か。城島ヒカルとの戦いの最後に、ヒックスと共に割り込んで来た――確かユリィと言ったか――が、いつの間にか側に来ていた。挨拶を返そうとしたメヒーシカだったが、彼女に声をかけられた途端、ヒックスが挙動不審になっていることに気づいた。
「あ、ユ、ユ、ユ、ユリィさんおはようございます……」
「もう夕方だけど……」
「そ、そうっすねハハハ。俺、何言ってるんだろう――」
あまりにも分かりやすい挙動だった。年齢的に初恋だろうか。あまりにも初心なヒックスの感情が伝わってくるようで、むしろ見ているメヒーシカの方が恥ずかしくなる。これで彼の恋心に気付かない者が果たしてゼラード商会の中にいるのだろうかと思ってしまったが、驚くべきことにユリィは何も気付いていないような様子で、淡々とヒックスに事務的な話をしてそのまま去ってしまった。
「……なんと言うか、恋する少年は大変ですねえ……」
「うん――へ!?な、な、何を言ってるのさおねーさん、そんな、俺がユリィさんにだなんて、いやその、そんなわけ――」
「その狼狽っぷりで、誤魔化せてると思うならちょっと私を舐めすぎというか」
「……すいません」
「いやまあ、初恋なんて恥ずかしくてなかなか人には言えないものですからねえ。気持ちは分かりますよ。私の初恋は会ったこともないとある本の著者に捧げてしまいましたが――」
おっといけない。黒歴史を話してしまいそうだ。軌道修正しないと。
「まあ、とにかくいいじゃないですか、初恋。いつ告白するかは決めたんですか?」
「ええええええええっ!いや告白だなんてそんな。俺、“ゼラー”だし。せめて“ゼラー”脱却したら……とはちょっと思ってるけど……」
「なるほどなるほど。確かに何か一つくらいは取り柄が欲しいですよね……」
と言いながら、何の気なしにヒックスのステータスを見る。すると、目につくものがあった。
「……“交渉”Lv001って、なってますけど?」
「うおおおおおおおおおおおおおっしゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!本当に“ゼラー”脱却できたああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
彼の年齢で“ゼラー”を脱却するような例は少ない。ずっとこのまま“ゼラー”として生きていかねばならないこともありうるだけに、彼の嬉しさというのもひとしおなのだろう。見ているこっちも嬉しくなるほどの喜びようだった。
とはいえ、せっかくなのでメヒーシカはここでけしかける。
「さあ、“ゼラー”脱却もできたことだし、流れは来てますよ!告白しかありませんねえ!」
「えっ……」
途端に、ヒックスはトーンダウンした。
「いやその、まだこれから、その、なんつーか、心の準備みたいなっ」
「何を弱弱しいこと言ってるんですか。度胸決めないと」
「いやその、でも、ちょっと、いきなり、失敗したらもう駄目だし、」
「あーもう!しょうがないですねえ。実は私は、“忘却の魔法”という魔法を使えるんです。もしも告白に失敗したら、彼女の直前の記憶を消してあげますから、その場合はもう一度地道に挑戦すればよろしい!リスクなしのボーナスステージです!やらなきゃ損ですよ!」
結果。
「え――嬉しい。私でよければ、その、お願いします……」
ユリィの返答と、舞い上がるヒックスを物陰から確認して、メヒーシカはふうと息を吐いた。“忘却の魔法”なんて出まかせなので、万一のことがあれば大変だったのだが、そこは随分と濃い人生経験を持つメヒーシカのこと。さすがに成功しそうな告白を見誤ることは無かった。
「貴方はヘルネが変則的な恋敵のようなものだと思っていたようですけどねえ――
二人で割って入って来たあのとき、ユリィは確かにヘルネのことも心配していましたが、あなたのことも同じくらい、気にしていましたよ――それじゃあ、お幸せに」
本人には聞こえないだろうが、別にいい。ただなんとなく、口に出して祝福したかっただけだ。
二人の行く末も、ちょっとは気になるのだけど――きっとメヒーシカには、これからもここに来ることがあるだろう。だから、とりあえずそろそろ、ジーシカに行こう、と彼女は思った。
恋人はいないけれど、親友はいる。一緒にくつろぎながら、城島ヒカルとの戦いのことを教えてあげよう。