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源平合戦のダークホース

「お味方総崩れに御座います」

 嫌な予感というものは当たるものだ。

「黙れ。退くな。退くな。返せ。返せ。旭将軍様の同胞ともあろう我らが敗れるものかよ」

 敗軍の将は兵を語らずとはいうがそれは敗れている最中には当てはまらないことだろう。なぜかって? なぜなら、語らないと自分の命も危ういものだからだ。逆もみされる人々の群れを見ながら敗軍の将は、退く人を掴んでは方向を向き直らせ、血みどろの地獄へと逆戻りさせようとする。僕は兵たちに囲まれながらその波に揺られてゆらゆら蠢く。

「殿、見なされ。兵が怯えております。見なされ。日の本が、太陽が陰ってござる。これでは帝から頂かれた旭将軍の異名も何の役には立ちますまい」

 ああ。空にはうっすらとした光しか見えない。船が満々として優雅にも隊列を組み浮かんでいる。世に言う日食というものだろう。この欠け方なら金環食で良かっただろうか。僕は、またしても無理筋な世界に理不尽にも移動させられたらしかった。旭将軍と言ったら、源義仲だろう。敗れた戦いということは源頼朝の上京軍が相手ということだろうか。旭将軍と消えゆく太陽。全くもってどうしようもない事態だ。容易ならないのは言葉遊び。迷信。そして化学。物理。それから本物の魔法だ。ああ。僕には『力』がある。おまけに魔法の世界からこの比較的リアルな世界への魔法の持ち込みもできると来ている。この無理な戦況をどうにかしろというのだろうか。

 太陽が陰ってしまっているのが問題なのだった。

 僕は、むずむずと好奇心がわき出でるのを抑えきれなかった。過去を旅するのは始めてじゃない。歴史に干渉しても、僕の大切な比較的リアルな世界は基本的には無事である。なぜなら僕の知りうる世界の全ては予定説で多世界解釈だからだ。時間に依存しない方程式を考える。そうだ状態は既にして一目瞭然だ。後はそのままの状態を維持して内部と外部に分けたエントロピーの進み方を変えてやればいい。そう。もしも、この世界で魔法が通用するとしたら…。

「移ろうものに、移ろわぬものよ。繋がり合うその鎖を絶て」

 指揮官と思われる武士がぎょっとしたように僕のことを眺めているのは仕方の無いことだ。なぜなら領域判定に声が届く範囲を用いたため、魔法の効き目がそこまでしか届かないからだ。自然大声を張るしかない。僕はかつて魔法の世界でよく使っていた手を使ってみたのだった。魔法が使えればよし、使えなければちょっと痛い台詞を呟いた未来人だと言うだけだ。何も恐れることは無い。試してみるのが悪いことだとは思えなかった。そうだ。僕の大切なリアルな世界で試してみるならば、僕自身とできるだけ縁遠い場所で使ってしまうのが良い使い方だ。

 結果はご覧ください。全くどうしたことだろう。欠けた太陽は蘇り、月はその影を失い、雲ははやてのように流れ去って行く。そうして近辺の兵たちの波は消えてみんなして呆然と、輝きだす太陽を眺めているのだし、遠く逃げ去ろうとしていた兵が、勢いづいて攻め込もうとしていた敵兵たちが、ビデオの早回しのように動き回って僕が発した声の範囲内へと入り込もう入り込もうとあがいていた。

「み、見よ。帝から賜った旭将軍のその御名が持つ力を。みな返せ。返せ。今こそ死力を振るう時ぞ」

 指揮官は僕のことを少しく眺めていたのだが、やがて思い出したかのようにそんな台詞を吐きだした。そうして僕の魔法はといえば、この比較的リアルな世界でも通用してしまうのがはっきりしてしまったわけだ。ただし、効果は短いものになるみたいだけど。だって、僅か二、三時間を経過させることしかできないのだ。本来なら六時間程の時間差が発生するはずだったのだけど。

 その日の会戦は結局、旭将軍の側が勝利したらしい。

 そうしてだ。それにもかかわらず、僕は縄でくくられて罪人扱いされて、旭将軍様とやらの面前を引き回されているわけだ。全く。きつく縛りやがって。身体が痛いったらない。

「これが、礼のまじない師か」

「左様にございます」

 例の指揮官が床几にすわる黒皮縅の鎧着て、ふた振り太刀の片側へと手を乗せて怒り心頭のお偉方を前にして畏まったようにそう言う。

「お主が平家のまじないを掻き消したというのは事実か!」

 どうやら今回の戦は頼朝とのものでは無くて平家とのものであったようだ。全くだ。勝ち目が無いのはこれからも変わらないと言うことだ。

「…えーっ。はい」

「嘘を申すとためにはならんぞ!」

「…えーっ。はい」

「なぜ。そうした!」

「…えーっ。はい?」

「なぜまじないなどをかけたのだ?」

「…えーっ。それは気紛れで」

「わかっておるのか。そなた。いくら勝つためとはいえ、そなたも平家と同じだぞ。神聖な戦をまじないで汚しおって!」

 旭将軍様は本当に怒り心頭のご様子。いやいや、いくらなんでも、それは無いだろう。自分の方は牛に松明つけて平家を追い落としておいて、相手が卑怯なことをすると、これだ。

「で、ある。兼平。平家を追えるか?」

 旭将軍、側近の一人に声をかける。

「船のほとんどが使い物になりませぬ。追うのは不可能かと」

「だが、この度の戦で平家の運も尽き果てたであろうに。まだ、かやつらを支えようとするものがおるか」

「西国の地盤を固めた故攻め込んできた由。平家は此度の戦に勝ったと触れ回るでしょう。そうなると厄介ではあるのですが」

「平家は二枚舌か!」

「左様。武家たるもの詐をもって上策と成す故」

 兼平どん。良く言った。正々堂々が正しいのは特定の限られた状況においてだけだ。つまり自分が絶対安全なときだけだ。他の時は正々堂々とやったら負けや。反則ぎりぎりまでやってみないと各上や同格相手にはどうにもならない。

「義仲様。それより。東の情勢が気になります」

「東だと」

「はい。頼朝と、甲斐源氏。それに法王の動きが」

「では、どうするというのだ」

 沈黙があった。深いしわが居並ぶ旭将軍一同の額を覆った。

「和平を結ばれては?」

「頼朝か。あやつと和平か。どうにもならぬわ。こちらは人質まで出しておるのだぞ!」

「いえ、平家とです」

 深い沈黙があった。それから先は喧々諤々の様相を呈してきた。臆病者、卑怯者。源氏の名が廃る、決起の意味を覆すか、とかそんな言葉が飛び交った。

 旭将軍の怒気を帯びた表情。正に怒髪天を衝くと言った情景だ。

「兼平よ。我らに二枚舌になれと申すか!」

「ああ。死して屍拾うものなし…」

 短い沈黙の後不愉快そうな顔をして旭将軍殿はおっしゃった。

「では、こうする。法王を押しこめる。宮を立てる。宣旨を貰う。それで終わりだ。兼平。それでよいな?」

「できれば、法王からの宣旨が良いのですが」

「法王か。あの今様狂いの、陰謀好きの、日和見主義者にか!」

「御意」

「何故だ!」

「武士の一分の意趣返しでありますよ」

「兼平。我らが敗れると?」

 兼平どん、静かに笑う。それは自嘲であった。そうだ、歴史に従えば頼朝が1192年に幕府を開く。第一、関東全てを抑え、統治制度を確立した頼朝に豪族連合とも言うべき義仲が勝つ見込みは限りなく低いのだ。そう言ったことは何かの本で読んだ受け売りではあるのだが、偉い人が書いているのだ。正しいだろう。

 突然旭将軍殿の鋭い視線が僕に向かって注がれる。

「まじないし。我々の勝敗を占ってみるか?」

 それは御免こうむりたかった。勝ち目が無いなどと言えば、怒り狂って何をされるのかは分からないし、かと言っておべっかを使えば、嘘の連鎖はとめども無くなる。僕の頭の中に浮かんでいたのは子供の頃読んだギリシャの歴史の一幕だった。神託はどっちつかずの取りよう次第といくわけだ。僕は、あまり使わない頭を必死で回転させて、まともな台詞を吐こうと努力した。努力したのだ。

「…旭昇らん。旭沈まん。旭にとり朝の字こそは敵たるかな。だが、旭の印は朝にこそ見えよう。いざ大将軍への道を進まん。太陽は移りゆくのだから」

「どう読む。兼平」

「はっ。頼朝こそが我らが敵。その敵も太陽の前では朝という僅かな時間しか存在し得ませぬ。旭の如く太陽の時は尚長いのですから。つまり、我の見るところ、頼朝が我が方と拮抗できるのは朝という短い期間のみであり、我が方こそが太陽の残った時間を謳歌するのだと読み解くことができるでしょう」

 兼平どんは、静かに笑いながら、そう言うのだ。僕はこの旭将軍の股肱の臣に対して目を合わせる勇気も無い。ああ。そうだ。嘘もそこまで行けばいっそ清々しい。僕としては旭とは朝の一瞬しか輝かないのだという意味も含めてそう述べたのだが、そちらの方は清々しいほどに無視してくれて旭将軍への賞賛のみを読み解いてくれたわけだ。

「まじないし。その殊勝さに免じて此度のまじないの一件は許してやるわ」

「…えーっ。はい」

 兼平どん、ニヤリと笑う。きっと旭将軍殿のこう言った素朴さが、たまらなく好きなのだろう。だが、陣幕内では明らかに冷ややかな視線を送るものの方が多いのが実情だった。おそらくその素朴さを好まない人間の方が多いのが実情といったところだろう。旭将軍は敗れるだろう。何せ平家討伐では勲一等は頼朝で、旭将軍は勲二等に過ぎないのだから。味方は減る一方だろう。

「ところでまじないし殿。その方の力で我が方の戦を有利に運ぶこと叶わないだろうか」

 兼平どん、面白いことを言ってくれる。

 そこで僕の頭はフル回転する。兼平どんは僕に魔法を使えと言うのだろう。それは、まあ、できないことも無い。一番難しいといえる時間の魔法もできたのだ。不可能はないだろう。軍の体列は密集するから、そこに一発どでかいやつを打ち込めば、一発KOも不可能ではない。不可能ではないが…。僕はもう少し面白い方法を考えていた。

「…えーっ。卑怯な手でもかまいませんか?」

 おずおずと尋ねると、二つの声が返ってくる。

「一向に構わぬが」

「駄目だ!」

 従主の声が重なり合った。旭将軍は頭に湯気でも立ちそうな勢いでそう叫び、兼平殿は笑いながら快諾した。

「…えーっ。どちらでしょうか」

「一向に構わぬが」

「駄目だ!」

 主従の声が再び重なり合った。

 僕としては結論がどちらでも一向に構わないことだった。きっとこういう分岐点に立たされてきた回数がそう思わせたのだと思う。世界改変なんてものに真面目に取り組めるのは一度くらいだ。第一、何度も同じようなことをやらされるこちらの身にもなって欲しいものである。僕の知識という名の流動資産は溜まりに溜まっており、チョーノーリョク少女、少女かどうか微妙な年頃であられるが、であられる姉上を除けば、僕の『力』を及ばせないところは無いと言っていいだろう。

 だが、僕はふと思うのだ。僕の日常。学校に通って飯食って、勉強して、遊んで。そんな僕が暮らす比較的リアルな世界は、ここと、この大分遅れてしまっている世界とは隣り合わせのものに過ぎないのだ。この遅れた世界でさえも僕のせいで変わってしまう未来に暮らすたくさんの人の日常を、希望を食い物にしてこの遅れた世界は成り立っているのだ僕は思うのだ。そうだ。過去というものは贅沢なものだ。何故ならシンプルだから。分岐する数が少ないから。複雑さが少ないからだ。

「一向に構わぬよ。まじないし殿」

「ちっ。兼平めが!」

 どうやら結論は出たらしい。僕は刀鍛冶と大工の全て貸してもらうことにした。また木材を大量に手に入れて欲しいとの無理な要求を突き付けてやった。それに募兵に関してのアドバイスをしてやった。僕の頭の中でこの間読んだ本の題名が踊っていた。世界改変ものは時々だけど、胸躍る時もある。

 実際のところ頼朝が兵を挙げるためには、多少の期間を要するだろう。その短い期間にどれだけ準備できるかだ。その間、旭将軍様は密かに和睦した平家とにらみ合い、兼平どんは新しい募兵を行うのだ。未曾有の、大規模の、巨大組織の、大集団民兵の…、駄目だ言葉がどんどん陳腐になってしまう。実際、根こそぎなのだ。動ける男は一人とも言わず根こそぎだ。ああ。未来に存在するはずの彼らの子孫の悲鳴が聞こえるようだよ。戦争。嫌な響きだ。僕は戦争が大嫌いだ。だから、もっとエレガントな手があればそうするさ。ただし、僕が楽しめる範囲でだけど。数が分かれ目だった。坂東武者が十万を数えるならば、それ以上の数を集めてしまえばいいのである。兼平どんが募兵に使う食料品には多少の魔法をかけておいた。かつて本物中の本物のGODの命を受けて降臨されたかのキリストが用いたという聖餐の無限小分割にしてほぼ無限の量を誇る食糧庫、シュワルツシルト半径の定義をずらし、拡張させた重力の孔を用いる物質補間法だ。定義済みの状態が崩れればその孔に向かって無限に物質の収束が始まるよう魔法をかけておいた。ずるいだって? そうさ、卑怯なのさ。世界を改変しようなんてどだい卑怯なものなのさ。人類が石器という名の自然からかけ離れた武器を思いついたように、全く持って世界は卑怯で満ちているのさ。進化論が支配しているにもかかわらず、武器なんて言う卑怯なものを持ち出してまで神の意に答えようとするのは、遺伝子配列に変異を及ぼさせることによって未だに進化が続いているように見せかけることができるのは人類くらいのものである。極めつけの極め付けであるGODは父であり神であり精霊である。かの神がどれほど寛容なのかは進化論などという残酷な方法で人類を試そうとすることからも明らかだ。努め給え、されば報われん。ところで進化は分子的に中立的にしか起こりえない。さても神の寛容なることは、『神が人を作りたもうた。されば、自由意思は存在しない』のであり、『自由意思は存在する。であるからこそ、神は人を選びたもうた』であり、つまるところ逃げ道はないわけだ。極めつけの袋小路である。ああ。人は全てGODに感謝すべきなのだ。なぜならば、実のところ人は未だに密かにして自然にして進化し続けており、僕や姉上のような『力』を操る人型を用意し続けているのだから。ホサナ。讃え給え。僕らは異教徒故に讃えるべきなのだ。あの寛容すぎて世界改変などという巨額な費用が掛かるであろう演出を人に許したあのGODに。

 と。話がずれた。さてさて、解説は結構だろう。僕がやってやろうって言うのは、礼儀も作法も卑怯も蛇蝎の如く嫌う天皇家の血筋の一人を勝たせるなどということではないのである。人の欲望には限りが無いものでこの歴史では僕は、この密やかな戦闘を内乱に終わらせるような無粋な真似はしたくなかった。手始めにやはり武器がいるのだ。ああ。麗しき火器の時代。我がお望みのガトリング銃に、電磁有刺鉄線。だが、そこまで求めるのは酷過ぎるだろう。せいぜいクロスボウ辺りが妥協点だ。兎に角数が必要だった。かつて中国の春秋戦国時代、弩を持って軍制を新たなものした如く、馬を持って軍制を新たなものにした如く、僕は数とクロスボウによって軍制を新たなものにしたかった。ところがだ。時間が無いのである。頼朝が上洛するまでには宣旨が下ってから数か月の猶予しかない。法王が平氏の勢力を恐れて、旭将軍の勢力を恐れて、そして頼朝を頼るまでは数か月と待たないだろう。全く。貴人というのはわがままなものである。つまりこちら側は長く見積もっても半年程度の猶予しか残されていないわけだ。兼平どんの募集した民兵たちが来るたびに動員する。簡単な作業から未熟練工に振り当てて、軍内制手工業をやるわけである。大忙しであった。ところでだ。この民兵団は何を持って統御すべきなのだろうか。兼平どんに下げ渡した多少の魔法に対する信仰心を持って統御すべきなのだろうか。それともやはり歴史に鑑みて源氏という旗印を持って統御すべきなのだろうか。僕は兼平どんに尋ねてみたことがある。『あなたは旭将軍殿と御自分とのどちらかの命を選べと言われたらどうなされますか』と。『それは決まりきったことだ』返事はそれだけである。牧歌的な時代である。さて都に隠して平清盛の夢が後、福原では事業開始から半月で日産四百本の弓矢と三十台のクロスボウの生産体制が整って、次第に人は集まり、集まり、ついには都をしのぐ勢い。僕の種も仕掛けもない魔法はほとんど使う必要も無くなった。つまるところ足りなかったのは食糧だけで、それは最初に卑怯な手で解決してしまっていた。さて三ヶ月を数えるころには福原での事業は日産四千本の弓矢と三百台のクロスボウを生産するようになっていた。これは残りの三ヶ月で五四万本の弓矢と二万七千代のクロスボウができる勘定になるわけだ。それと前の三ヶ月で作っておいたストックの十万本の弓矢と九千代のクロスボウを合わせれば相当な戦力になるはずだった。後は暇を見て訓練をやればよかった。練兵である。兼平どんはその役目となると喜んでやってくれた。旭将軍殿は民兵と聞いて倶利伽羅峠以前の決起時代のことを思い出されたのか、平家との和議が正式なものとなるとわざわざ視察に訪れて、楽しそうに笑っておられた。

 さて。戦力は整ったわけである。

 旭将軍殿の精鋭部隊約一万に、民兵隊十五万四千八百七十一人。

 圧倒的な戦力であった。

 以下は、九条兼実の源平顛末を参照し、書き下す。

 ああ所は不破の関。攻めるは武勇の誉れを自由なものとする源義経に、源範頼であったと伝え聞く。坂東武者十万騎と言えども、それ全てを遠征にあてることはできまじくそうろえて、その勢は五万と見受けし。対する旭将軍は十五万騎を数えたもう。守るが勢多くて、攻めるが勢少なきとは前代未聞。義経、範頼、旭将軍の軍勢がいずこより湧き出でたかと首を傾げしが、そこに存せしものは存するのであって、いずこへと消え去るものでは無し、弱ったぞと首を傾げしも可笑しなこと。対陣すること三ヶ月に及ぶにも旭将軍が兵糧いずこよりかわき出でているものと思え、全くその気勢衰えず。坂東武者五万騎を養うために数年もの貯蔵を行ってきた頼朝勢といえども、旭将軍のその勢を見ては士気の低下著しからずや。そこで範頼、義経に一万騎を与え、小当たりに当たり敵の気勢を確かめんとするも、ああ、憐れや、一万騎のおおよそ全てが矢という矢に居ぬかれて、大将義経は討ち死に。熊谷、梶原、主だった坂東武者の名を挙げればきりも無し。範頼戦況に驚きて援兵を差し向くるにことごとく討ち死にとの報を受け、意気消沈して関東に向かい退転するも、兵の統御叶わずして敗走しせり。旭将軍に背きし者、法王ともども押しこめられ、天皇退位と相成りぬ。新たな宮が立ち年号大旭と改訂されぬ。旭将軍その旗下の精鋭一万を持って平家に睨みを利かし、今井、樋口ら、やくざ者、浮浪者、農奴を含む、民兵隊なるものを率い、人質を惨殺せし、仇敵の住まう坂東に下る。頼朝、奥州藤原氏とともに、向かい討ち、ここに二十万騎と十五万騎が向かい合う、古今未曾有の大戦の幕切られぬ。坂東奥州その精鋭二十万騎といえども、この十五万騎の民兵隊なるもの新たなる飛び道具を用い矢の限りに撃つというもっぱらの噂。坂東奥州の有名、無名の輩ども、次々と跳び来る矢に撃たれ、討ちつくされて敗走したとの報これにうく。頼朝自害し、奥州藤原家は官位没収の上金色堂への蟄居を命ぜられぬ。旭将軍坂東での勝報を受け、はやり立ち、平家との和議を打ち捨てにす。平家これより再び逆賊に転ず。これ旭将軍一代の失策なり。平家西国の武士六万騎を奉じて旭将軍が守る旧都にして新たに勃興しつつあった福原を囲む。囲むこと一月、さすがは旭将軍。六倍の敵の攻囲を耐え抜きしが、平家は攻囲の手を全き緩めず。旭将軍が、頼みの今井、樋口らは、坂東、奥州仕置きもそこそこに切り上げて。取って返すも。ああ。今や遅し。京にて福原陥落の報、旭将軍落命の報受け取りぬ。今井、樋口の輩、仇討ぞと気炎をあげ平家に向かって軍を進めるも、憐れ、福原に置かれた我が方だけの秘密の飛び道具、調べ上げられては是非も無し。平家会戦をさけ、新兵器の製造に余念無し。未曾有の会戦水島にて再び行われぬ。ああ、死屍累々。常勝の民兵隊はここにて敵への優位を失い、その本性を現して、散々に敗走するもの続出するも、その数は何と言っても十二万。六万騎の平家と長に渡って対陣す。この間、平知盛、平教経、討ち死にし、今井、手傷、樋口重症を負いぬ。平家、劣勢を覚え、吉日を持って退転す。以降は残党狩りと相成りぬ。二年の月日を要し捕えし宗盛が首を晒し、旭将軍の子息基宗凱旋す。民兵隊七万を京の都に駐留させぬ。これ、真不快な事なれど、帝、大臣、旭将軍の恩を思い艱難辛苦を耐えられたもう。噂有。旭将軍の子息基宗、民に紛れてその生を学び民と共に起き、民と共に眠るとのもっぱらの噂。これ快なり。各地に瑞兆あり、との報告有。帝大層お喜びになられて基宗を征西大将軍に任じようとするも基宗これを拒む。謙譲の美徳これあり。尭舜の風これにあり。しかれども、帝、不安がられて近臣に計り、陪臣に向かい誰何す。帝、今井に勅令を下す。今井これを拒む。帝の近臣、遠流に処せらるる。基宗憐れみて、遠流の所を大宰府へ左遷す。基宗の徳これありて、瑞兆引きも切らず、豊年続き給う。帝。その間、大いに疲弊したもうて曰く、基宗に禅譲する旨の勅令を出し、石清水八幡宮、宇佐八幡宮に使者を立てり。案に相違して二つの意見これに在り、宇佐八幡宮は禅譲、民の為に為らずとし、石清水八幡宮は源氏のもの帝位を得るべしとした。宮中一月に渡り紛糾し、議論底を尽く。帝、神祇を尽くし神託を待つも近臣の議論一向に収まらず。やがて、帝、基宗に直に問うて曰く、『汝、これより政をどのようになすや』と。基宗答えて曰く『民に図りて』と。帝、問う。『汝、帝位を欲するか』と。基宗、顔をしかめて曰く、『民こそが我が帝冠なり』と。帝、曰く『そは何と解く』基宗曰く、『瑞兆引きもせず、豊年うち続きたもう。これ帝の徳なり。然れどもこれを追うと民の徳なり。これを追えば民こそが帝なるかな』帝、怒りたちて曰く、『そなたは逆臣か』基宗曰く、『我は民の臣にして神々の僕なり』帝、幾たびも問、基宗行く度も返す。やがて帝、笑いて、禅譲を決し、基宗にその旨を明かすに、基宗答えて曰く、『ならば、我は民に禅譲いたしましょう』と。これより日の本の国、民の治むるところとなる。大国主大神がニニギに国を譲られた如くに帝は基宗に譲られ、基宗は民にその主権たるを譲る。これ神代の時代のことに在らずして唐、天竺にも例の無きこと。誠、誇るべきことかな。

 ああ。僕は世界を旅する。けれどそれは、基本的には一睡の夢に過ぎないのだ。だから、僕はこの恐ろしいほどに先鋭化してしまった世界が息苦しくなる前に退散することに決めていた。民の選ぶ護民官なる役職には今井の兼平どんが就くことになっていた。僕は兼平どんに挨拶し、記念に彼の名前を刻んだ包丁を打ってもらって帰ることにした。

「包丁とは、貴殿の住むべき場所はよほど平和と見えるな」

「ええ。平和もここに極まれりという感ですよ。僕の大切な日常は本当に比較的リアルに近いですよ」

 僕は段々とぼんやりして来るのを感じていた。英雄ごっこもこれにてお開きだろう。長夜の夢は一睡の如し、僕は十数年もこの時代に過ごしたのに全く年を取っていない。大概怪しまれたので、仙人なのだと言うことにしておいた。まじないしから仙人までランクアップしたのだけど、僕の扱いは変わらないままだった。所詮はよそ者だということだ。だから、ちょっとくらいずるい事をしたって罰は当たらないと思ったのさ。

「この国も平和になるだろうか」

「これで、ならなかったら、兼平どんのせいですね」

「う、む。わしのせいか」

「方位磁針の使い方と、竜骨の作り方はきちんと伝えて置きましたから。兼平どんも今の仕事が嫌になったら海に、特に東の何も見えるものの無い海にでも飛び出してみることですよ」

 僕は有り得ないことさらっと口にする。兼平どんは真面目すぎるからそんなことはしないだろう。そうして、そうであるならば、そんな冒険をする馬鹿は金輪際出はしないのだ。もし、出れば、そうだな。もし、出たら、そうだな、もう一度くらい見に来るのも悪くないかもしれない。

「そうだな」

 周囲の風景がかすんでくる。僕はどうしようもない寂寥感のみを背負っていつも帰る。僕のなんでもない日常へ。兼平どんが驚いたように目を見開いている。

「貴殿は本当に…」

「さようなら。夢の世界。グッバイ」

 僕はこの人にだけは本当のことを伝えて置いてもいいような気がしていた。僕の帰る世界は、この大分遅れた世界の本来の未来は、本来の未来は、そんなにいいところではないのだって。でも僕はもうぼんやりするのを止められなかったんだ。だから、その日起きた時は自然と涙があふれた後だったんだ。僕は今でもその銘の刻まれた包丁を使って料理をすることがある。大分使いづらいけどね。

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