TRUE END
「ようこそ。ユダよ。世界を接吻で売りしものよ」
そうして僕は世界を旅する。世界は伽藍堂に過ぎない。僕にとってはどの世界も夢と等価に過ぎない。
僕はGODに対して偏向している。歪曲しているといってもいいかもしれない。僕は中途半端な知識で世界の創造主に愚痴を零す。だが、結局、最後の最後は神頼みなのだ。大魔法使いの後始末にしろ、審判の日の先触れを覆すことにしろ。
この世界には巨大な門があった。荒々しい作りをした天空までそびえたつ門は、輝く銀の色を振りまいている。プラチナででも創られているのだろうか。僕は、視線を戻す。声に従って振り返る。門前から永劫に続く白亜の道には精巧な作りの大理石を繰りぬいた彫刻が永遠に続くかのように並んでいた。きっと、その内の一体が声を上げたのだ。その内部には何かが仕込まれているのだろう。集音マイクとか、スピーカーだとか。
「人の身でこの地に至って何を成そうというのかね。異教徒であり、裏切りの少年よ」
どの石像が喋っているのだろうか。僕は、この地でもまた予知された状態で立たねばならない。僕は祈った。だが何に? 異教徒と喝破されて何に祈ればいいというのだ?
「天国の門が破られたのは新たな約束が交わされた起源の年以来初のことだ」
僕は、この伽藍堂の世界で、門前の客人として、石像に問い返せばいいのだろうか。このあまりに大きくあまりに細い門の前で。
「二千年紀もの間、我々の立ち並ぶこの道を無事に通り抜けられた異教徒はいないのにも関わらず、だ」
この石像は何を言っているのだろう。僕は門に振り返った。門を叩いてみる。思った以上に固かった。
「天使の羽がむしられている。神の眷属が次々と破られている」
天空まで連なる巨大な門を押す。当たり前のようにピクリとも動かない。僕は、仕方なく石像たちに振り返った。
「ユダよ。裏切り者よ。汝、止める覚悟、有りや無しや」
石像は音を発し、そう告げた。僕は覚悟を決めた。
「GODの眷属よ。救いたまえよ。そうすれば、みんな信じるさ」
それが言わねばならないことだった。
彫刻の群れたちが一斉に僕に向かって電磁波を照射してくる。だが、波の波長が弱い。僕は、そういう歓迎にはもう慣れきっていた。だから、僕は蒸発しないし、僕を囲む半径一メートルのラインは完全に遮断されていた。
「能力者よ。貴様が魔法を持ちこんだために、我らでさえこのような末路をたどらねばならぬ」
彫刻は不平を述べる。彫刻が意思を持つにしろ機械化された中継点にしろ、この対話者は滅多に話す機会が無いのだろう。えらく饒舌だ。
「奇跡でさえも魔法に落ちるとすれば、魔法でさえも能力に過ぎぬとすれば、汝らは、不敬でしかない」
「あなたは何を言いたい。僕に何を求める。そして見返りは何だ?」
彫刻が沈黙した。僕は十秒カウントした。言葉が無かった。だから、僕は門に向かって振り返った。プラチナならやりようによっては分裂させることが出来るはずだ。僕は門に向かって電磁波を絞る。波長十のマイナス二百乗からの奇跡の電磁波が全ての物質をクォーク単位に分割して最も安定した元素を目指し、プラズマ化するのを見計らってエントロピーを制御する。道が開けた。大気に金属臭が広がっている。巨大な門に二メートル四方の道が開けた。
「ユダよ。裏切りの少年よ。汝の前に通過せしものはもっとスマートであったが」
彫刻がようやく音を発した。
「残念だけど押し問答の時間が無かったんだよ」
僕は心底までには残念と思わないが。
「汝、侵入せし魔法使いを止めよ。さすれば、主が救い給うだろう」
その答えは多少遅かったが、答えは答えだった。求めるものと見返りだった。僕は、気が滅入ってしまう。あの大魔法使いは、男装の麗人は、どこに送り込んでも諦めるということを知らないようだ。神に委ねた僕の相手は、巡り巡って再び僕の相手と成るわけだ。プラチナの扉がどういう仕組みなのか穴をふさぎ始めている。修復が開始されていた。これ以上喋っている時間は無い。
僕は、門を抜けた。
門を抜けるとそこは無限に続く階段だった。僕はさらに気が滅入ってくる。慣れないことはやるもんじゃないよ。ほんとのことさ。いつもみたいに気楽にいきたいよ。ほんとのことさ。僕は、愚痴を言いたくなる心を抑え込んだ。姉上は泣いていた。僕は人殺しだ。トーキョーは壊滅した。救いでも求めなければやってられないのだ。仕方なく足を階段に乗せては降ろす作業を始めることにした。一時間くらい歩いたのだろうか。振り向くと門が天空まで広がってはいるのだが、地の底からは相当な階数を上ってきたように思える。振り返ると階段は無限に続いているようにしか見えない。げんなりする。更に一時間くらい上る。途中、羽をむしられた天使と出会った。綺麗だった。神は美しいものを愛するのだろう。何となく不公平なものに思われたので、僕も天使の羽をむしってあげようとしたのだけど、やっぱり神を敵にするのが嫌だったので止めておいた。その天使は半分気を失っていて僕が何を問いかけようともうわごとのようにG・Gの名前を繰り返すだけだった。僕は、それから更に三時間ほど上った。もう歩くのが面倒だし、足の筋肉がパンパンになりつつあった。途中三体の天使を見た。全て羽をむしられていた。あの大魔法使いの趣向はさっぱりわからない。羽なんてただの飾りではないか。むしってどうなるものでも無いだろうに。
更に二時間上った。
階段はまだ続いているが、それは、もう無限などというものでは無かった。振り返った先の門でさえも天空にまでそびえているわけでは無かった。この限りなく広い門の内側にも限界があったのだ。意気を取り直して更に上ると、空気の熱が変わった。階断の最上部で激しい熱の攻防が繰り広げられているのだ。
「G・Gか?」
僕は、駆け足になるともならぬとも、いかんともしがたい足の張りに気が滅入った。これでは戦う前から不戦敗だ。無限とも思えた階段の尽きるエントランスでは、その奥の扉を巡ってG・Gと天使が摂氏十億度の域で戦いを続けていた。僕は、熱波に巻き込まれないように一定の距離を取りながら観戦する。だって足の張りがものすごくってとてもじゃないけど、もう動き回ることができなかったんだ。
「神の面前でこのような愚行を犯すとは。愚かを通り越して不遜であるぞ。魔法使い」
翼ある美男子が、もう、これは、どう考えても人間というよりは夢の中の登場人物に近いくらい顔が整ってはいたのだが、その顔が苦渋に歪んでいる。顔のパーツ全てが中央に集まってくるように瞳を細めて眉をしかめ、口元を引き締めている。何せ相手が悪い。あの大魔法使いにはどう頑張っても物理的裏付けのあるような魔法は通用しないのだ。だから…、えっ。何だって。苦渋に歪むそこが、また、いいだって? この、この変体め! こんな最後の間際になって突っ込むなんて、僕の苦労を少しは知ってほしいよ。全くね。
「愚かなことだ。大天使よ、君たちの上司の魔法使いに言いたまえ。強力な魔法使いの庇護にあると言ってもその自由は無限ではないのだ。私の怒りを買ったのだ。高くつくことを思い知らさねば気が済まんのだ。いい加減諦めてそこをどきたまえ」
もう遠目でもわかるくらいに空間が歪曲し、熱波でエントランスの大理石が蒸発して大気をゆらがせたかと思うと形状を記憶でもしているのか元の形へ再生する。男装の麗人は笑いながら怒りを発散させているようだ。G・Gが持つ本来の力から言えば、僕の腰かけている階段の辺りまでが百万度を超える域まで沸騰するところだが、不思議なことだ。この天国の階段を覆う正常な空気は熱伝導をある程度緩和させているようだ。
男装の麗人が暗黒質量を密集させる。密度比においてブラックホールを超える量の重力が発生する。僕はすべすべする大理石の階段をつかめないと気が付くと、質点を錯誤させて引力に逆らう。僕はもう少しで空を飛び吹き飛ばされて塵に帰るところだった。全くもってG・Gの力は理不尽だった。
「この空中閣の広場の先は、我々の神が選び給うたものだけが、住まうことが許されることになる真の楽園なのだぞ。八つ当たりもいい加減にして退かぬか、魔法使いよ」
翼ある美丈夫は、大天使は腕を一本持って行かれたようだった。その苦渋の色が…、いやさ、だからそれがいいのはわかったよ。君の性癖には何も言わないから、暫く黙って聞いてくれよ。結構真剣な話なんだぜ。ここ。
「八つ当たりだと。あなたたちは他人事だからそのようなことが言えるのだ。私の純潔の問題がかかっているのだぞ。神を名乗るなら、自分が支配する全世界の責任を取れ」
翼ある美丈夫はG・Gが反論する間に失われた片腕を再生する。天使の羽が光を帯びる。僕はてっきりああいうものは伊達で付けているだけなのだと思っていたのだけど、どうやら違うようだ。二本の翼から無韻の象形が現れ、G・Gのいる空間がたわむ。くっきりと可視光線が折れ曲がる。二本の腕が、電気の刃と、不可視の刃、こちらはたぶん磁力だったのだろう、を振り下ろす。
G・Gの体が透過し、振り下ろされた無色の刃と紫電の刃が絡め取られると、それが終点だった。大天使がG・Gに触れた部分から塵に帰って行く。腕が塵に帰った時点で、その狂乱は最高後に達したようだった。その苦渋の色が…。ああ。もう。だから、もういいってば!
とにかく熱波は収まり、後には勝者と敗者が残る。
僕は再び階段を上る。大天使の叫びは誰かさんにぞくぞくとした背徳の喜びを与えるようだけど、僕にとっては絶望の響きだった。何せ、この後、僕が、あの大魔法使いを止めなければならないのだから。
大天使の叫びが意味のあるものだったのだと気づいたのは、階段が残り十段を切ったところでだ。勝者と敗者はエントランスに佇んでいる。勝敗は兵家の常だ。大天使は敗れた。だが、彼らは決して敗れてはならないのだ。矛盾だ。なら簡単だ。破れなかったことにすればいい。結果が書き換わりさえすれば良いのだ。より強いものを、より上位の存在を呼び込めばよい。
「主よ。主よ。主よ」
奥の院の扉が開いた。何かがやってくる。僕は足がすくんでしまった。天使が主と呼ぶのならそれはGODしか有り得ないのだから。G・Gがもはや邪魔者に過ぎなくなった端正過ぎる顔立ちの天使を振り払った。階段を落ちてくる。後は引力がどこまでこの大天使様を落下させるかだが、僕は、見殺しにするのもあれなので何とかおっちら大天使様を受け止めて反動をチョーノーリョクで軽減する。
「「ようやく現れてくれたね。魔法使い君」」
ボーイソプラノの高慢な声が二重に重なった。
「「そう来るだろうと思っていたよ。似姿を最も力あるものにあわせてくるのがあなたのやり方だからな」」
二つの似姿が並んで対峙していた。
「魔法使い君。あなたも失敬な人だな。私は、そこまで悪趣味な趣向はしないぞ」
「魔法使いよ。この地は聖別された人の子がいつか通る道であり、門であり、階段であり、出会うべき天使たちなのだよ」
僕は混乱する。G・Gは手前にいて、奥の院から出て来たのは、何者かで、そしてG・Gにそっくりだ。
「魔法使い君。そろそろ諦めたまえ。あなたがたは進化論に頼りすぎているのだ」
「私は、それでもあなたに愛を説くのだよ」
手前にいる本物のG・Gが再び足元のエントランスの大理石を融かし始めていた。僕は熱波を受けるのが嫌なので仕方なくフィールドを支配下に置いて、物理的な場の移動を示す力のベクトルを破壊する。
「さあ。異世界人よ。私に恋もせず純潔を奪おうとした変態よ。これが君の最後の手だったんだろう。それなら、自分の打った手が砕かれるのをそこで見ろよ!」
彼、彼女のボーイソプラノの華やいだ叫びに僕は、反論したかった。変態呼ばわりされてはさすがの僕も頭に血が上る。だから、僕は階段を一歩一歩上る。
男装の麗人の似姿が言う。
「異教徒の少年よ。今崎神父は聖別した。三百もの清らかな魂を天の国に送りたもうたのだ。彼は救われねばならぬ。そしてお前は裁かれねばならぬ。異教徒のままで神の愛を求める堕落した変態は裁かれねばならぬ」
また、変態呼ばわりだよ。しかも、三百かよ。三千万人近く死んだっていうのに、救われるのはたった三百かよ。ああ。はいはい。分かったよ。分かった。そこがいいんだよ。天国の門は非常に狭いし、愛を得るのは尚難し、まったくマゾヒストにでもならないとやってられない。全く、大魔法使いといい、GODといい、度量が狭い。僕は最後の階段を上り終える。
「さあ、魔法使い君。もう私にもあなたにも時間は無いぞ。さあ。あなたの持つ手札を切るがいい」
男装の麗人はその似姿を、ペルソナを砕きつつあった。G・Gの用いている長短周期電磁波を用いた原子分解は非常に単純なものだ。γ線を超えるエネルギーを与えられた原子のポテンシャルは必ずあがる。その波長はあまりに短くかつ密集しているため原子はそのポテンシャルの極大化に耐え切れずに素粒子単位へと分解される。似姿が着込むダークスーツが破れてはぎ取られて行く。
「この地は聖別されたもののみが通る地だ。彼らは純真に神を愛し、自然を愛でる。故にこの地の魔法は全て物理的に、数学的に裏付けられなければならない。だが、奇跡にはその制約は無いだろう」
似姿が、ペルソナが、γ線を数光年単位で破裂させる。超新星でもあるまいし、そんな馬鹿な、と言ってやりたい。だが、この似姿は、ペルソナは天使が主と呼ぶものなのだ。不可能は存在しないだろう。G・Gが瞬時に失った姿を再生する。僕が遅れて認識したときにはもう遅くてフィールドが無茶苦茶な値を示していた。物理的な場の移動を示す力のベクトルを逃がすことに何とか成功する。遠くに見えていたプラチナの扉がドロドロと融けていた。
「なかなかのお手並みだよ。さすが私の似姿だね」
「汝の制限した力には恐れ入るよ」
もう、お互いに褒め合うのはいいから、どうにかして欲しい。けれど、僕の想いなんてものは軽いものだ。
彼、彼女が二人して唱和する。
「「滅びたまえ」」
かつて、言葉には力があった。神は言葉であり、光であった。光り輝く言霊は世界を照らし、世界は変革を喜んだ。だから、僕は神と神に極めて近しい魔法使いとの間に叫ばれた言葉が無性に悲しかった。それが、終末の言葉だというのなら、人が謳いあげるものに、人が創りあげるものに、人が奏でるものに、一体、何の意味があるというのだろう。終末を知る超人たちでさえ、滅ぼし合うのだとすれば、僕らは、僕らは…。
「なぜ、だ」
世界が与える結論は無力なものにとっていつも残酷だ。僕が光の奔流に再び目を向けた時、膝をついていたのは片方だけだった。
「あなたは知らぬのだ。あなたは預けないものを取り立て、まかないものを刈り取ってきたのだから」
大魔法使いは神に膝を突かせた。そのひざまずいた似姿を覆っていた衣は全て失われ、その肌が露わなものとなっていた。大魔法使いは見下ろす先に冷厳に言葉を告げると、胸元の内ポケットから懐中時計を取り出して、笑った。
「私としたことがうっかりだね。庭園への水まきとティータイムの時間を大幅に超過してしまっている」
そう口にすると魔法使いはどこから取り出したのか、カップを手に持って紅茶をすすり始めていた。
「魔法使い君。私は本物の自由意思を求めるものだ。次に会うときはこんな安い手品を止めて君の本体を用意しておくことだね」
G・Gの言葉に応じるように神がかたどる似姿が消え去ろうとしていた。淡い燐光のようなものが体中から飛び出して消えて行った。
「せんなきことかな。愚かな少年よ。神闘の観戦者よ。汝がこの大魔法使いの女を止めるのだ。しかれば汝が望みは叶えよう」
消え去る物体から消え去る声が流れて消えた。
「GODよ。あなたは本当に寛容ですよ。掛け値なしにね」
僕の言葉は神に届いただろうか。その視線は僕に注がれることは無い。近しき者を、大魔法使いを、その眼は捉えて離さなかった。
「ではな。傲慢な魔法使いよ。審判の日に再び会い見えよう」
それが、神の影が漏らした最後の言葉だった。
大魔法使いはその声に何を思ったのだろう。僕が見るところ何も考えていないようにしか見えない。だって、男装の麗人は何事もなかったかのように、カップを消してしまうと、僕の手を取ったのだから。
「さあ。ド変態の異世界人。あなたも次ぎに会うときは、あんな卑怯な手は止すことだ。私の半身に残っている乙女の純潔を踏みにじるような真似はな」
そうして彼、彼女は僕の手の甲にキスをした。僕は驚いた。だけど、どこか胸にしっくりとくるものがあった。汝の敵を愛せよ。汝の隣人を愛せよ。愛憎は全て裏表のカードに過ぎない。何かが、この男装の麗人の琴線に触れ、僕は助かってしまったのだ。僕は卑怯者だ。怯懦だ。ずるいやつだ。そして殺人者でもある。それでも、夢の世界はここにあり、天国の最後の門は開いていた。
「ではな。異世界人」
キスは魔法だった。魔法はキスだった。だから僕は呟いた。GODが消え、男装の麗人が消え、そして開きっぱなしになってしまった天国の最後の門を見ながら、ぼんやりとやるべきことを考えていた。
「さようなら。夢の世界。グッバイ」
 




