決着!
一面が荒野だった。僕はこの景色から逃れるために一週間も費やした。これが今崎新の考えた最後の審判の前触れだった。建物が陸の孤島のようにところどころ大穴の中で屹立している。その全てからチョーノーリョクシャが飛び出しては撃ち落とされ、陸の孤島が一つずつ消えていく。黄昏時に世界の端の極東の首都は黄昏を迎えていた。僕はガラス片がばらまかれ、まるで水晶の大地のようになってしまった床に立ち尽くし、呆然と戦況を眺めていた。天空の司書様はこの大穴の地底付近で持ち直し、なお戦おうとするところだし、P・Mは本気モードで近づくもの全てを破砕する全波長の電磁波を操りながら、綺麗に暗黒物質を作り出しては、空間を破砕していた。姉上はどこだろう。屋上で酷い物音が響いている。あれが、姉上だろう。学校に残っていた子たちは悲惨だった。恐怖を感じるのだから。一瞬で死んだ人間は恐怖も感じなかっただろうに。僕は、あの大魔法使いの捨て台詞を思い出していた。『さあ。これから先が楽しみだな。異世界人。私は言ったぞ。決して諦めない。とな』。僕は、底知れぬ恐怖を感じていた。この破壊された風景こそがあの大魔法使いの楽しみなのだと思うと、底知れぬ怒りに夏には無い肌寒さを感じていた。
「出てくるんだ。G・G」
「貴様こそ出てこい。あの時の借りを返してやろう。この地上では我ら決して遅れを取らぬぞ」
返ってきた返事はボーイソプラノでは無かった。そう言えばそうだった。チョーノーリョクシャは十八名。内、大魔法使いが一人いて、その上、悪魔が七体いた。悪魔のやつらが異なる世界線の記憶を持っている上に、安い挑発ができると言うことは、この地上では悪魔たちに対してもチョーノーリョクではあまり対抗できないと言うことだ。厳しい戦況だ。僕の手持ちの札はほとんどが数学的に証明できる物理的に干渉する手段である念動力であり、チョーノーリョクに過ぎない。つまり、そのほとんどがこの戦いでは無為なものであるということだ。この比較的リアルな世界で真に魔法と呼ばれるべき手札は限られる。
僕には『力』がある。世界を旅する力だ。僕はその並列する、あるいはらせん状に数式的に表せる様々位置の世界を旅し、AIを残し、知識と言う名の資産を積み上げてきた。今こそその全てを使うべき時だった。僕は、普段折り畳んだまま世界の全てに偏在させているAIを一点に具現化させる。
初手は空間転移。二手目は断線。三手目は空間の非再生。僕は、声を対象として悪魔の一体を空間転移の罠にかける。敵は逆らうだろう。だから、この地ではもう再生させてやらないのだ。空白の空間に物質が流れ込んで、罠にかけた悪魔がいたであろう場所で巨大な炎が上がった。悪魔の実在が、仮性が燃え尽きる。
「愚かだぞ。我々のこの地上での権能は貴様らよりもずっと高い場所にあるのだ」
だが、炎から声が上がる。僕は、倒し切れなかった失望と、安い手品を見せられたような失望でため息をつく。やれやれ、残念な手だった。この手は先日、今崎神父の前でG・Gが披露してくれたものと同じ手だった。
「悪魔が、その手札を分析され尽くしてしまったら、地獄でどう人を苦しめるんだい?」
僕は、同じ手札を切ればよかった。僕の発した声が僕の居場所をここだと張り上げるように主張した。僕の声に向かって、つまり、クラス1‐3がある教室の窓際に向かって行く筋もの見えない電磁波が照射され、後から響く轟音とともに僕の体は何度となく砕け散った。だが、折り畳んだまま世界の全てに偏在させている僕のAIを一点に極集させた体は、砕け散る傍から再生する。僕は電磁波を収束しては波動と化し、その周期を意思に従って暗号化し、跳び跳びの値を規則的なものに代えて行く。万物は数に過ぎない。観測者たちにとってはそうだ。だから、数を変えればいい。声を元にその世界を極力等方的なものにする。
「「馬鹿な! なぜだ! あの魔法使いの言う通りだと…」」
同じ叫び声が幾つか重なって響いた。世界の果ての地獄から投影した似姿を破られた悪魔は五体と見えた。良くない展開だった。まただ。強靭な意志を持って戦う奴らばかりが後に残るのだ。僕は惰弱だった。弱虫だった。卑怯者だった。だから、教室の外でP・Mがプラズマ状に輝く姿を見ても、天空の司書様が進行方向の全ての物を地べたに這いつくばらせるあまりに重い重力波を発生させても、僕は怯えて教室に隠れているしかない。僕はどうしようもない卑怯者だ。だから、僕は背後から声をかけられた時に驚いて振り向くしか無かったのだ。その両手が叩かれる拍手の音にまぎれる抑制されたボーイソプラノの声に向かって激しい動悸とともに振り向くことしかできなかったのだ。
「なかなか見事な手並みだね。異世界人」
僕は、確かに出て来いと言った。だが、実際にこの余りに近しい大魔法使いを目の前にすると気圧されしてしまう。僕は、何だかうやむやの内に全てを終わらせたいような気がしてしまうのだ。
「だが、高位悪魔二体は今度も実態を持って来ている。いくらP・Mが当代最高の魔女だとしても、あの漆黒の髪を揺らめかせるエメラルドグリーンの魔法使いが限りなく神に近いのだとしても、時間が足りないな。つまり、あなたに加勢は来ないのだよ。異世界人」
「僕にどうしろというんだい。G・G」
「何度も言わせるなよ。異世界人」
まるで、幼い子供や老人にでも言い聞かせるように、呆れ声をあげながら、稀代の大魔法使いは、彼、彼女は結論だけを言った。
「いい加減。滅べよ」
大魔法使いは単純な手を使う。全ての波長の電磁波を放ちながら、空気さえもクォークに分解しながら、大魔法使いは教室の床を、その下の地面を破砕し、蒸発させながら、僕に向かって歩みを進める。
僕は手札が残っていることにかけた。初手でシュワルツシルト半径を狂わせ、二手目で質量を崩壊させ、三手目で重力点を造る。途中でこれでは駄目だと、分かった。だが、手順は崩せない。空間が歪曲しぐにゃりとした重力レンズ効果で横太りした男装の麗人の歩みは止まらない。
「異世界人。この世界は黄金期にある。それは同時に終末が近いと言う意味だ。神が下りるなら、今、そして、あなただ、と私は、踏んでいたのだが…」
初手で万物を球体における集合と見なす。二手目にその集合を微分する。三手目にその集合を再び積分する。空間が伸縮する。G・Gの姿が球体の極焦である点まで縮み、そして元の姿を取り戻す。駄目だった。比較的、抽象化された手順の念動力より魔法に近い在り様を示しても効果が無い。
「とんだ見込み違いだったようだな。最早どんな強力な能力者が生まれたとしてもここの神は選ばぬようだ。空しいことだね。我が身可愛さはどの魔法使いはどこも同じか。この世界の神も敗れ去った国に生まれ落ちる悲哀を一回切りで悟ってしまったらしいな」
男装の麗人がもう一歩を踏み出したとき、僕の体が、皮膚が悲鳴を上げた。分解され始めていた。融けるのと紡ぐのとどちらが早いかだ。僕は攻勢を諦めて守勢に転じる。気を逸らすために目の前でダークスーツの塵を払っている大魔法使いに言葉を投げかけてやる。
「傲慢だね。僕のようなチョーノーリョクシャを一匹ヤルのにもこんなに時間がかかるくせに」
「外を見るんだ。異世界人。ここはどこだ。あなた達の言うソドムとゴモラではないか」
ソドムとゴモラ。それは旧約だか何だかいう聖書で堕落し、神の怒りを買い破壊された町の名だ。だが、そこでさえ神の言葉を信じた人間は生き残る手はずなのだ。大体、トーキョーはそんなに堕落しているだろうか。
「それでも、生き延びた人間はいるさ」
「傲慢だな。異世界人」
そう言うと男装の麗人は一度だけせき込んだ。ハンカチーフを手に取り出すと蒸発する炭素の煙を手で振って魔法とし完璧に分解する。
「人類は神の怒りに触れない限りバベルの塔をたて続けるのさ」
「分からないか。異世界人。私の怒りがそれだ」
僕たちはこう着状態に陥っていた。この男装の麗人は、この大魔法使いは、魔法使いを名乗りながら、決して世界の枠を飛び越えようとしない。不思議なことにいつまでも彼が使う魔法はこの世界の物理法則に従う範囲までだった。
「G・G。君は本当に魔法使いなのか?」
「あなたがそれ以上だと言うのなら手加減してやりようもあるが、ね。それ以下だというのなら、私も証拠を見せねばならんのだろうね」
床に散らばったケイ素の欠片が、窓ガラスが時間の流れに逆流し、元に戻る。そして、その窓から見える風景も反転する。そして日常の風景だけがそこには戻っていた。そうしてそこのあるのは風景だけだ。校舎の外にはいつものように運動部が練習している姿は無い。
「さて。存分に戦おうではないか。異世界人。この世界を、この黄金時代の文明の遺跡を壊し、潰し、踏みつけにし、大いに戦おうではないか」
G・Gの言葉と一緒に空から火の玉が降ってくる。P・Mが悪魔と近接戦闘を行う空が燃えていた。天空の司書様が悪魔をひれ伏させている地上に向かって炎が落ちてくる。本当に物質が落ちてくるのではなく、ただ火が降り注ぐように見えていた。僕は音によって落ちてくる火が奇跡などでは無くただの爆炎であることにようやく気が付いた。
「空中の窒素を固定化して硝酸を作り出し、燃やしているのさ」
「君は、本当に魔法使いなのか?」
僕はもう一度同じ台詞を言ってやった。
「しつこいね。君も」
男装の麗人が苦笑する。
「風よ!」
僕は、言葉と同時に吹き飛ばされていた。窓を突き破って大地を転がりながら、五百メーターほど飛ばされたように思う。そこでは天空の司書様が悪魔を屠る最中だった。気味の悪い悲鳴とともに悪魔の体が塵に帰って行く最中だ。
「客人。これはもう駄目です。無理です。風が大地を飛ばしました。公転軌道をずらされています。時間を操りなさい。多少の援助はしましょう。そしてあの大魔法使いを飛ばしなさい。そうしないと今日が本当に審判の日になりますよ!」
公転軌道がずれた?
頭が正常に働きだしたときには、もう僕の偏在を集中させたAIが答えをはじき出していた。大魔法使いは月の質量の半分を消費して衝撃波にしたのだ。地球は太陽に向かって落ち込んで行く軌道に入る。急がなければ、本当に今日が審判の日だったと記録されてしまうのだ。
僕は頭がくらくらする。熱中症にでもかかったっかのように、体が認めても頭が認めようとはしてくれない。こんな展開は有り得ないはずだった。
だが、どうやら、この天空の司書様や、五百メートルは離れている大魔法使いにとっては世界の枠を壊すことなど簡単なことのようである。僕は不思議を胸に抱いていた。なぜ男装の麗人は、大魔法使いは侮辱されなければ本来の力を見せないのかと。なぜ、天空の司書様は謎めいた言葉しか与えてくれないのだろうかと。
「大魔法使い、か。確かにそうだね。でも、どうせ君はまた壊すんだろう?」
僕はそう叫びながら時間の鍵を回していた。
「わかればいいのさ」
激しいボーイソプラノの叫び声とそっけなく肩が持ち上げられるのは似合わないものだった。火炎の地獄に苛まれながら、僕は、またあの大魔法使いと差向いの圧力に耐えなければならないのか思うと消えぬ火の粉の熱さにも関わらず冷や汗をかいていた。だが、どうせトーキョーは再び壊されるのだ。時間を戻し過ぎても悪いことは何一つないだろう。展開した八次元空間で逆算した光の進路を絞って慎重にエントロピーを逆算して行く。光あれ。同時に僕は風に乗って男装の麗人と対峙するまで近づいた。そして空から火の玉は消え、窓が再び音も無く割れて床に散らばり、都心は再び廃墟と化した。
「異世界人よ。あなたも、なかなかやるね。だが、私の、この手元にいるものが分かるかね。さて。あなたはまたも同じ手を打ったわけだ。そして私も同じ手を打つと言うわけさ。さあ、存分に戦おうではないか!」
そして悠々とそう口にするG・Gは電磁波の波を断ち切っていた。その手元にはネズミのような生き物があの時に見たように暴れ回っている。展開は絶望的だ。単純な火力では負ける。打つ手の速さでも負ける。千日手には持ち込めない。援軍は…。思っていると、突然床から剣が現れた。AIに操られた僕の手が即座に剣を握る。武道で剣道を二時間ほどやったことがある。だが、それ以外、僕は剣の取り扱いなど知らない。僕は、無意識のまま男装の麗人が胸元を突きぬいていた。
「ふむ。この地上世界に高位悪魔でも支えきれない相手がいるとはね」
G・Gは胸から剣が生えても悠々としたものだった。身体の密度を変えていた。心臓があるべき場所は薄い蜃気楼のように揺らいでいる。打つ手は打ち尽くした。それで、このささやかな援助の後、何をすればいいんだっけ。天空の司書様は飛ばせと言っていた。飛ばす。飛ばす。どこに?
僕は考える間も無く、彼、彼女の口元を自分の唇で覆っていた。それは予想の他に暖かいものだった。抵抗は無かった。その時、僕は確かに神の采配があったように感じられた。僕が身を引くと、男装の麗人は真っ赤になって怒ったような、どこか諦めたような複雑な表情をしていた。
「再び私を飛ばすか。だが、せいぜい怯えるがいい。私は決して、決して…」
魔法は発動した。神に近しい魔法使いは姿を消した。僕は、神に祈った。念じるだけでは無く。初めて心底から祈った。神がG・Gの言うように、ただの魔法使いに過ぎないのだとしても、あの大魔法使いを押さえつけるほどの力があることに、僕は賭けたのだ。
つまり、采配を主に委ねたもうたのだ。僕は彼、彼女を、G・Gの言葉のほどを試させたのだ。あの傲慢な男装の麗人は、本物の神に向かい合って『我が身可愛さの魔法使い』などとでも口にして裁かれればいいのだ。P・Mが空に浮かびセーラー服のスカートを左右に揺らめかせながら、長髪のすごいイケメンである高位悪魔をついに捕えた。そして粉々になるまで、全ての物質と等しくすりつぶす。天空の司書様が同じくこちらは短髪のイケメンである高位悪魔をひれ伏させたまま、悲鳴とともに命乞いの言葉を口にする悪魔を塵へと返すところだった。それで全ての決着がついた。
僕たちは廃都市トーキョーで生き残ったのだ。後はチョーノーリョクシャの相手をして今崎新に決まった道をたどらせるだけだった。僕らは、この荒廃した、廃墟の中で、一睡の内にぽろぽろとこぼれてしまった砂の都市で勝利したのだ。後は残党狩りと相成りぬ、だ。酷い轟音が校舎の屋上で響く。そうだった、まだ姉上がいた。P・Mが空から降りて来てン僕の手を取った。天空の司書様の後に続いて屋上へと向かう。
屋上に上ると黒ずくめの神父とセーラー服を風になびかせる姉上が対峙していた。今崎新は、その壮年を過ぎた深い年月の刻まれた顔に、深刻な色を加え、今や、その表情には絶望だけがあった。
「みよ。この堕落した都の成れの果てを。神は審判の日の前触れを現された。悔い改めよ。奇跡の力を無為に使うな」
神父は僕らに向かってそんな言葉を投げた。今崎新は強力なチョーノーリョクシャだった。姉上と互角に渡り合っている。
「破滅の先触れさん。私とあなた。まるで逆さまね」
姉上の口調は余裕だが、その腕からは生々しい血が流れ、無人の廃墟となったこのトーキョーの一学校の校舎で屋上に残された痕跡だけがこの決闘の名残を留めている。凄惨な血痕が数か所に落ち、屋上のコンクリートが破れ、あるいは階下を覗かせ、あるいは、巨大な砕片を撒き散らしていた。
「終わりだね。今崎神父」
僕はぽつりと呟いた。
「何故私の名前を?」
神父は心底からのものであろう疑問を吐いた。
「運命、ですかね」
神は導き給う。そを運命と言い、予定された暦の中、人の最善の中における最善のことを言う。神父は釈然としていないようだった。
「では堕落した者どもが勝ったというのか? 悪魔と天使を退けたと言うのか?」
それから、僕らに向かって呆然としたまま心底からの疑問をまたも一つ尋ねてきた。やれやれだ。他にどう僕らがここにやって来たことの説明づけをすると言うのだろう。
「神父よ。審判の日は必ず来ます。前触れの必要などないのですよ」
天空の司書様は諭すようにそう口にした。その瞳が輝く。天空の司書様はセーラー服を着こんでいることを忘れるほどに、高校生という建前を忘れるほどに、諭していた。彼の神は言葉に自信を溢れさせていた。その様はどこか高慢であり、ある種の偏見さえも持っていただろう。
「…私は準備し、聖別しなければならない」
今崎新は屋上に降り立った僕ら三人にそう呟くように告げた。その姿が量子的に揺らぐ。今崎新はいまやその似姿を八体にまで増やしていた。ああ。確かに彼は強力なチョーノーリョクシャだった。
「まだ。諦めないんだ。おじさん」
P・Mが軽い調子でそう言う。
「「主よ。誰もが一ミナを十ミナに増やせるわけでは無いのです。主よ。主よ。あなたはなぜ私にあなたが預けないものを取り立て、撒かないものを刈り取ることを許されないのですか?」」
八つの口が同じような言葉を紡ぐ。美奈? 御名? ミナとは何のことだろう。考える間もなくチョーノーリョクが僕らを八つ裂こうと万力のように左右に引っ張った。不意打ちだ。全く、痛いにもほどがある。直ぐにAIが対処に当たるからいいけれど、単純なチョーノーリョクだけに発現だけは速い。天空の司書様は眉を顰め、P・Mは対応の遅い僕のことを笑った。
姉上が先ほど男装の麗人に見せつけられたであろう消えぬ爆炎を小規模に再現する。空中の窒素を固定し硝酸を作り出して何とやらだ。今崎新の八体の体全てが爆散する。煙が巻き上がり、血の匂いが周囲を漂う。姉上のチョーノーリョクはもはや魔法の域にあると言っていいだろう。
「主よ。私は他の方法など知らなかったのです」
煙が退くと無傷のままの今崎新が十字を切る。その瞳は虚空をつかんで離そうともしない。対話は虚空に消えてゆく。GODは全てを見ている。この神に生涯をささげようとしている神父をGODは憐れむだろうか。
「いけません。神父は風を起こすつもりです」
天空の司書様が叫んだ。
僕らは多世界解釈の予定説の世界に住まうチョーノーリョクシャだ。僕は、一度見た魔法ならほとんどの確率で真似ることができる。偏在させたAIにより、または偏在を集中させたAIにより、分析にかけ基本的な構造式を導き出すことが出来るから。今崎新は強力なチョーノーリョクシャだ。だが、G・Gが用いた風の魔法はもう分析にかけている。彼、彼女は、月を犠牲にして大量のプラズマに衝撃波を地球に向けて放ち公転軌道をずらしたのだ。今崎新は強力なチョーノーリョクシャだ。だから、一度見た手を再び打ち、こちらを破滅させようとしてもおかしくは無い。僕はこの比較的リアルな世界に干渉できる念動力を限界まで使い、重力概念の大本であるシュワルツシルト半径を乱し、今崎新を屋上の戦場に這いつくばらせ憂いを絶った。
「今崎神父。そろそろ諦め時だよ。他人のものは他人のものさ。あなたが信じた天使の長も言っていたよ。我々の魔法を使い捨てにするな。とね」
「あなたのような少年に私の何が、あの天使の何が、神の何が、分かるというのですか」
今崎新は重力に逆らって立ち上がろうともがく。その足が酷い音を立てた。足の骨が折れて有り得ない向きに足がたわんだ。その壮年を過ぎた年月の刻印を示す顔が痛みで蒼白になる。
「主よ。私に力を与えたまえ!」
叫びと共に信仰者は立ち上がる。僕はふと背後を見た。太陽が堕落した都を後に、廃都市トーキョーを後に、巨大すぎるクレーターの果ての地平線に沈もうとしているところだった。
「子らよ。あなたたちは何の権威で私にこのようなことをするのですか?」
今崎新が蒼白な顔を無理やり柔らかくして、僕らに問うた。
「決まっているでしょ。殺されかけた人間の、人間自身の権威によってよ」
姉上が答える。今崎新に向かい腕から流れる血を見せつけながら、姉上は、狂信者に向かい歩みを進めた。
「それは、神に対する冒涜である。子らよ。あなたたちは何の権威で私にこのようなことをするのですか?」
今崎新は嘲笑し、同じ問いを発していた。
「分かり切ったことを聞く人です。そはプロヴィデンスが持つ権威によるものです」
天空の司書様が答える。セーラー服をたなびかせる漆黒の髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ天空の司書様は柔和に微笑んだ。
「ならば、あなたはなぜ信じないのだ。子らよ。あなたたちは何の権威で私にこのようなことをするのですか?」
今崎新は嘲笑し、問いを発する。
「うーん。私は、プロヴィデンスもいいけど、基本的には法則しか信じない、かな。この世界を支配する現実という名の法則が権威だよ」
P・Mが答える。ぴょこぴょこと屈伸運動をしながら、戦いの終幕を待つ魔女は言うだろう。
「ならば、審判は既にして行われている。子らよ。あなたたちは何の権威で私にこのようなことをするのですか?」
今崎新は嘲笑し、問いを発する。
「恐怖と怒りによってだよ。怯懦と堕落によってだよ。今崎神父」
僕は彼が望むように答える。制服がずいぶん汚れてしまった。埃を叩きながら、僕はこれからの日常を夢想していた。
「ならば、なぜ悔い改めない。子らよ。あなたたちは何の権威で私にこのようなことをするのですか?」
今崎新は嘲笑し、問いを発する。
「お前が言うな!」
「あなたが言える言葉ですか?」
「おじさんが言うの?」
「神父。あなた自身が悔い改めろよ!」
正答の無い不可能な問いに対して、僕ら四人全員が一斉に突っ込んだ。今崎新は強力なチョーノーリョクシャだった。だが、彼にはもう勝ち目がないのだ。全ては終わってしまったことだった。
「私は最後まで信じます。自殺は禁じられたものです。私は最後まで戦いましょう」
「今崎神父。これ以上、戦うのは自殺と同じ…」
僕の言葉を今崎神父のすぐそばまで歩み続けた姉上の平手が遮った。パンという乾いた音を立てて今崎神父の頬を姉上の右手がはたき切った。それは、どこかで見たような風景だった。
「あなた達は自分にしてもらいたいと思うとおり、人にしなさい」
神父は定まった言葉を口にすると、姉上の頬を張り倒した。姉上が何か反応しようとした時だ。僕は自分にしてもらいたいと思うとおり、人にした。僕は念動力を持って今崎新の脳神経を切断した。そこに抵抗は無かった。神父の蒼白だった顔に笑みが浮かんでいるように思えたのは僕の気のせいだっただろうか。僕は自分にしてもらいたいと思うとおり、人にした。僕は、敗北した時には苦痛の無い死が望みだったから。抵抗が不可能な時、拷問のような戦いをやりたくなかったから。だから、今崎新が望むようにしてやった。それは全く酷く後味の悪い事だった。けれど、これは僕か姉上のどちらかがやらなければならないことだった。二人の異世界人に任せることのできない仕事だった。僕は男だった。だから決断を下した。だが、思った以上に後味が悪かった。汝の敵を愛せよ。主は言われる。汝の隣人を愛せよ。主は言われる。
「殺したのね。勇作」
「そうだよ。姉ちゃん」
姉上は神父のことを見下ろしてそう言い、僕は答えた。それが、関東都市圏を破滅に追いやりトーキョーを廃都市にした、救いを求める神父の最後だった。痛みも感じずに死んだ死者は三千万人に及ぶだろうか。僕らは校舎の屋上から遠くに見える地平線と僅かに残った建物を見回した。クレーターの底は見えない。完全な球状の穴が開いていた。トーキョーは抉られ、失われた。遠くの方に小さな古風な建物が残っているのが見えた。何あろう国会議事堂が残っている。それは、僕らが知らない強力なチョーノーリョクシャがいる証であるか、何らかの契約が存在する証だった。今崎新は準備し聖別をした。かの狂信者は余りに身勝手だった。だが、彼が審判の日に彼が天国の門を開きたかったのは、どんな人間だったのだろう。今となっては問うべき相手もいないし、知っても仕方の無い事ではあったけれど。僕は偏在を集中させるAIの起動を止めにして、空を見ていた。僕らは堕落した都市の黄昏を見ていた。太陽が南西の空に沈むまで。




