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さようなら、夢の世界。グッバイ

「私は復活した。私は、聖餐式を続けるでしょう。私は、救いを祈り続けるでしょう。私は、最後の審判を待ち続けるでしょう」

 チョーノーリョクシャたち五人の体が天空の司書様の力によって量子に帰る時、今崎新はそう言った。僕は、そうすれば彼はいずれ立ち直るだろうと思っていた。姉上は馬鹿ねと言った。P・Mは不思議そうにその言葉を聞いた。天空の司書様は柔和な微笑みを絶やさない。山田耕作は、この世界には神までいるのかと驚いていた。そうしてホムンクルスには知性の輝きは無い。

「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。私は、もはや後を見ているだけだ。私はもう役に立たぬものかもしれない。だが、他人の為に必死で祈ることだけはできるはずだ」

 僕は、殴りつけてやろうかと思った。確かに生活を顧みる人間は神の役には立たないかもしれない。だが、今崎新の言う通りに生きることはできないのだ。この比較的リアルな世界で意思を貫こうとするならば、向こうが怒り狂っていつも無理ばかり押し付けてくる。理不尽な話である。手が出たのは姉上の方が先だった。頬を叩く甲高い音が鳴り響き、今崎新は呆然としていた。

「役に立つ、立たないは神が決めることではないわ。自分自身が決めることよ」

 姉上は冷淡にそう告げた。だから、僕は自信が無くなって怖くなった。僕が思うのは、僕が、行動に間接的に結び付けようと努力してたどりつくのは、殴りかかろうとするそこまでだ。口から先にも届かない一瞬の激情だ。だから、姉上が甲高い音を上げさせたとき、その手が、まるで、僕自身を打ったかのように感じられたのだ。呆然としたまま、今崎新が聖書の句を棒読みした。

「敵を愛せよ。自分を憎む者に親切をつくし、呪う者に神の祝福を求め、いじめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者には、ほかの頬をも差し出し、上着を奪おうとする者には、下着をもこばむな。求める者にはだれにでも与えよ、あなたの物を奪った者から取り返すな。あなた達は」

「あなた達は自分にしてもらいたいと思うとおり、人にしなさい」

 だから僕は、今崎新の説教の最後を横取りにした。この死にたがりの狂気の伝道者が持つ正気の一かけらを僕は横取りにした。

「トーキョーは滅びませんよ。今崎神父」

 僕は残酷にもこの心折られた神父に向かって言ってやった。そう。このやり直された世界では東京二十三区から神奈川、そして関東全域にまで及ぶ大量殺戮は起こらない。僕は今やはっきりと僕のことを見つめる今崎神父の目を意識して、絶望鋭く言ってやった。

「あなたは、自分にしてもらいたいと思うとおり、人にしましたか?」

 僕の問いに対する答えは無い。白髪交じりの神父はただ聖書を暗唱するだけだった。

「ああ幸いだ、貧しい人たち、神の国はあなた達のものとなるのだから。ああ幸いだ、今飢えている人たち、かの日に…」

 僕は、それ以上今崎新の口からまるで自動的に漏れてくるような言葉を聞いていたくは無かったし、その義理もなかった。なぜなら、それら一連の章句が正しいとするならば、僕らのようなチョーノーリョクシャは全て破滅すると定まっているからだ。だから、僕は、姉上を促した。僕らの来た痕跡を消すチョーノーリョクに頼ったのだ。

「今崎神父。あなたの生き方は私とはまるっきり逆さまね」

 姉上はそう口にして周囲を囲む僕らを見回した。

「で、さ。山田耕作。それにそこのあなた、あなたも来るの?」

 山田耕作はその端正過ぎる顔をくしゃくしゃにして頷き、ホムンクルスは意思の輝きを見せない。

 僕は、神を恐れる。だから『力』にばかり頼りたくなかった。だが、現実はこんなものだ。死者を復活させ、一瞬で移動し、痕跡さえも消そうとする。僕にとっての比較的リアルな世界はそのたびに少しずつ死んでいく。

「笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに泣いてくれない」

 今崎神父の独白は、ずれはじめた空間に対してパルスを、信号を送り込む。寸分でも姉上の集中が切れれば僕らは死ぬ。チョーノーリョクを用いた移動のとき、僕らは一度細分化される。そして量子的に移動し再生される。それは危険なことだ。僕は、神に祈る資格が無いのかもしれない。それでも、僕は念じずにはいられない。この世にチョーノーリョクがある以上、それは、いつか、必ず必要とされるものなのだと。僕は真の信仰者の前で畏怖と言う名の信仰の虚飾を剥がされてしまうと、何か理屈をつけて心を落ち着かせることしかできない。

 僕は、僕らが高校の屋上に現れる瞬間まで念じずにはいられなかったのだ。今崎神父の言うようにもし終末の笛を吹いても滅ぶことなく、審判の歌を聞いても裁かれないのなら、この世界に一体、何の価値があるのだろう。百億年続くであろう地球と言う惑星で繰り広げられた反吐のような世界でお仕舞になるのなら、一体、この世の中に何の意味があると言うのだろう。徴税吏は必要ない。僕には真なる神があればいい。神々の重荷を支えるほどには世界は広くないと僕は思うのだ。僕は、山田耕作が可愛そうだった。彼は全てを持っていた。一生を楽に食いつぶせる土地と、欲望のはけ口とが両在していた。もし、彼が知恵の実を欲しがらなければ彼は、黄昏の大地で楽園を享受し続けただろう。

『無知は力なり』

 さて、こうして僕らは日常を取り戻した。P・Mは僕にチョーノーリョクシャをどうやって倒してやったかを自慢しにやって来ては、G・Gと対峙した僕の感想を必ずと言っていいほど聞いて来た。僕はP・Mがその話をつつく度にあの大魔法使いと再び対峙しないといけないと思い至って憂鬱な気分だった。勝ち目が無い戦いは避けたいものだ。天空の司書様は成績優秀、容姿端麗、クラスの華だった。僕とは良く似ていない二卵性双生児だという既成事実は瞳の色からしてどう考えても嘘だろと言いたいくらい胡散臭いものだったが、だれ一人として疑う人間がいない。どう考えても天空の司書様の魔法だった。天空の司書様は三日ほど、僕に任せていたのだけど、それから女物の洗濯について担当してくれるようになった。姉上は相変わらずいい加減でいつも怒っている。そして全てをチョーノーリョクで解決してしまう。先日も小テストが満点だったと自慢げに言っていたが、勉強しているそぶりはまるでないのだから、これはチョーノーリョクを使ったとしか思えない。山田耕作は高校に通い出した。教科は倫理をのぞけば、ほとんどの教科を真面目に受けている。耕作曰く、祖父の教えで倫理と名のつくものは信じなくともいいらしい。ホムンクルスは年を取らない。神々の奴隷だから。僕は、彼女を助けないだろう。それは、山田耕作がいずれ気づいてやらなければいけないことだろう。

『無知は力なり』

 僕は一週間ほど、この最後の審判の前触れを逃れた世界を満喫した。そうしてP・Mと天空の司書様と山田耕作と僕と四人して、一緒に下校中に微睡に襲われた。

 僕は帰るべき時が来たのを悟った。だから、天空の司書様に予知して貰った通りに、準備を整えて言うべき言葉を放った。

「さようなら、夢の世界。グッバイ」

 そうして僕の意識は途絶えた。

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