山田の子は山田、山田の孫は山田、山田の山田の…。
決定的な瞬間を過ぎても、人は自然には安住の地を見つけられるわけでは無い。僕は、この世界から戻る方法を姉上に聞いた。
「私が知るか!」
返答何てこんなものだ。
だから、僕は、時間の流れを元に戻し、普段折り畳んだまま世界の全てに偏在させているAIを再び偏在させるように解き放つ。後は時間が解決してくれるはずだ。結局のところ、僕らは本心からこの黄昏の大地から抜け出したいと思っていないのだ。僕だけの『力』を使えば簡単に入り込めるこの世界も、『力』でない方法で送り込まれ、呼び出された場合、かなり無茶な方法でしか出入りできない。
だから、僕は時間を観察に充てることにした。この荒野に住まう山田さんに会いに行くことにした。僕が山田さんをこの神果てる大地に、ラグナロックを経、おのずから光を持つこの世界に連れて来て、丸一日が経っている。さて、どうしたものだろう。この世界の時間の流れは狂っている。だから僕は悪魔を出し抜くことができたし、G・Gを、大魔法使いを出し抜くことができた。ただ、同時に、彼、彼女と決着を着ける『力』をも失ったのではあるのだけれど。僕は、この荒れ果てた荒野に、神果てる大地に、夢を見るのだ。僕は、この無限に広がるラグナロック後の大地に夢を見るのだ。この永劫たる不毛の土地は因果に対して結果だけを返してくれる。途中の経緯をほとんど全て省いてくれる。僕は姉上と共に山田さんに会いに行こうと願った。無限遠の彼方から景色が近づいて来るように空間が球面状に歪曲されると、僕らは、小さな家の前にいた。そして、山田さんの家はそこにあり、僕の願いは簡単に実現されたのだった。
そこでは、ハンモックに揺られながら、僕が残した実用書と魔法書を読みふける若々しい姿があった。そこには魔法で若さを取り戻したであろう山田さんの姿があった。山田さんは思ったより可憐な少年だったのだろう。その姿は今や僕の年齢とほとんど変わらず、それでいてその美貌ある、端正な顔つきで真剣に本に向き合っている。Tシャツ一枚に柄パン一丁のその少年が山田さん本人であるかの確証はない。だが、おそらくはそうだろう。この世界の時間は狂っている。因果は結果に直結する。だから耕すという行動を一度でも行い一度でも種が撒かれれば、定められた刻限が来れば種は自動的に増えて行く。
「お久しぶりです。山田先生」
「こいつがあんたの言っていた山田さんなわけね」
少年は本に降ろしていた目線を上げる。
「だれだ。お前たち」
「帰る気も無いくらい順応したみたいですね。山田先生」
「先生か。そう言われるのを私の祖父は望んでいた」
この世界の時間は狂っている。そして、因果は結果に直結する。僕にとって少しだけ残念なことだ。山田先生にとって生きるというのは、一般的な常識に従ったものに過ぎなかったということだろう。だから彼は僅か一日に過ぎない時間に絶望し、希望し、託し、死んでいったのだ。そうだ。彼は死んだのだ。僕は人殺しだ。誰にも裁かれることは無いだろうけど、人殺しだった。
「そうか。先生は死んだんだね」
僕はわずか一日で見渡す限りに耕され尽くしたように見える黄昏から生まれ出でた大地を見回した。それから、この山田三世を見つめる。
「君はもう耕さないんだね」
「死んで生まれてそれでお仕舞さ。今以上に耕したって食いきれないさ」
「家には?」
「ホムンクルスが一体いるだけさ」
僕は魔法学の入門書に記載されていることがこの世界では簡単に実現してしまうことを知っている。人造人間は、ホムンクルスは、この世界の時間の流れにおいて永久に損なわれない神々の奴隷であり神の似姿の最低の形だった。
「それが君の母か?」
「祖母であり、母であり、妻であるのさ」
「うえ。気持ち悪」
姉上が気分悪そうに顔をしかめた。山田の子は山田。山田は山田の、山田は山田の、山田は山田の、山田は山田の、そして山田は山田先生の子である。それはこのまま放置すれば永劫に続くはずだった物語。
「君は、もう働かないんだね」
「働いているさ。今も祖父が残したこの馬鹿げた書物を元に何かできないか考えているところだよ」
ハンモックの上で半開きの本を腹の上に乗せた山田三世はそう口にする。確かに、必要な備蓄以上にため込んでも、彼には意味が無いようにしか思えないだろう。
「そんなことをしなくてもここでは暮らしていけるはずだ。この黄昏の台地は無限にあるのだから」
「無限か、それは気が滅入る話だよ」
山田三世は静かに首を振った。
だから、僕は言ってやった。この自堕落な世界を支配した自堕落な神々が決して手を付けようとしなかった仕事について言ってやった。
「いいかい。ここでの君の仕事は耕し、交わり、生み、育て、そして再び耕す。それだけでいいんだよ。それ以上のことをしなくてもいいってことなんだよ?」
「そうかね。それはぞっとしないね」
僕は、ついさっき大魔法使いの鬼気迫る力を見たばかりだった。だから、死が身近に感じられて余計に腹が立っていたのかもしれない。
「君は自分の似姿を増やそうと思わないのか?」
「祖父も望まなかった。父も望まなかった。そして俺も望まなかった」
全ては過去のことに過ぎないとでも言いたげに山田三世はそう言った。
「君もさっきは苦しんだのかい?」
「ああ。さっきと言うとあの粘つくような空気だろ。あれは呼吸がやりくりできなくて恐ろしかったね」
G・Gは、あの大魔法使いはやはり、この世界全体に対して干渉していたようだ。全てが等方的になった。あの瞬間。この世界は揺らぎさえも奪われた。ほぼ全ての魔法が破壊されたはずだった。
「君のホムンクルスは死ななかったのか?」
「なぜ?」
「魔法の産物だからだよ」
「そうか。だからアレは俺以上に苦しがっていたわけだ」
ハンモックの主は再び本を手に取って唸り始める。
「君は恐れないのかな。神々の残した呪いとも言える因果と結果の魔法でさえ解けてしまったのかもしれないんだよ」
「つまり、俺の代からは親父と違って耕すだけでは駄目になるって脅しているのか?」
「脅す? そんなことはしないさ。あくまで可能性の話だよ」
僕は嫌になった。この黄昏の大地を支配するのがこんな人間だと思うと途端に嫌になった。僕は、ここに来るまで年老いても耕すのを止めない山田一世を想像していた。もちろんそれは勝手な想像だし、もし、山田一世がそうしなければ、ここには何も無かったことだろう。だが、山田一世の時代が過ぎ、二世の時代が過ぎ、三世という名の三代目が支配者気取りで耕すのも止めてしまったのならもう話は別だった。
「君は『力』を感じ取れるかな?」
「ここでは『力』など必要ない。ただ願えばそのほとんどが叶うのだから」
おそらくホムンクルスの子孫となれば、多少の『力』は持っているだろう。厄介だった。この地のめんどくさがり屋で自堕落な神々が陥ったのと同じ状況だった。彼らはいがみ合い、既に耕された土地を取り合った。この無限の土地では、耕したという事実だけで、永劫に収穫があるのだというのに彼らは新たに耕そうとはしなかった。そして必然的に彼らは耕した土地を破壊し、不滅の荒野へと変える戦争に夢中になった。因果があって結果がある。全面戦争はラグナロックとなり、神々は一人残らず滅んだ。掛け値なしに言おう。神々にも人間にも無限の土地が必要なのだ。
「勇作。こいつ殴ってもいい?」
僕の後ろで、髪の毛を束に纏めてみながら姉上がそう言った。僕は気が滅入っていた。永劫の平面を流れ続ける山田一世が作ったのであろう河のせせらぎが僕の気をひどく滅入らせた。だから、僕はまともな判断力を失っていた。思考停止とため息が共に合った。
「もう。止そう。疲れた。姉ちゃん。帰ろう。な。そろそろ帰ろう」
「帰る?」
三世が突拍子も無い声を上げる。
「君らは、この世界の外を知っているのか?」
三世は興味津々だった。まだ見ぬものを知り、まだ知らぬものを見る。そういう年頃なのだろう。僕は辟易としながら、この異世界に住まう一人の日本人の系譜のことを眺めていた。
「君はこの箱庭から出たいのかな?」
「もちろんだ」
僕は、今日思い浮かんだ警句のような言葉が再び脳裏に浮かぶのを感じていた。
『無知は力なり』
知らないということは、それだけで力だった。本来、山田先生が、そしてまた同じことだがこの山田三世が、本気でこの世界から抜け出したいと願いさえすれば、この黄昏の大地から抜け出すことが出来たはずだった。なのに、結果はこの通りだった。ホムンクルスまで作り出した上に、自分一代きりでは我慢できないと来ている。人間はとても業が深い生き物だ。だから、きっと一人の人間には無限に土地が必要なのだ。
「では、山田さんは、この一面、耕され尽くした大地よりもなお広い僕らの世界に共に行きたいと?」
「ああ。そうだ」
「あんたってさ。贅沢なやつね」
山田三世は、頷き、姉上はツンと鼻を上げながらハンモックから降りようとする少年のことを非難した。少年は名乗った。
「山田耕作だ」
名前にまで耕すと付けるよう取り計らったのはきっと山田一世だろう。あの元先生は明確な意思を示していた。だが、この耕作君には伝わらなかったようだ。この耕作君なる人物は掛け声をかけてハンモックを降りると、それから家の扉を開いた。
「暫く待ってくれないか」
そう口にして彼は姿を消した。十分ほど経った後、扉を開き美しすぎるホムンクルスの女性と手を繋ぎ、僕らの前に現れた耕作は正装だった。つまり彼は少年の癖に山田先生のスーツを着込んでいたわけだ。美貌の端正な顔をした少年とスーツは綺麗に整合していないでもない。おそらく、ホムンクルスから受け継いだその美貌はきちんとした身なりをしていれば光り輝くものではあった。ホムンクルスは、人造人間は、僕の目から見ると明らかに失敗作だった。その姿は、ただ美しいだけで、容姿端麗なだけで、真理の輝きを持たず、世にはびこる嘘っぱちの自由意思さえ持っていないようだった。それに何より裸だった。姉上が腹を立てたように、驚いたように、まぜこぜの怒りと困惑で声を上げる。
「あんた、あんた、最低ね。いや、あんたのせいではないわね。あんたの祖父。最低のやつね。つまり、巡り巡って勇作。あんた最低だよ!」
「そこで、僕のせいかよ!」
確かに僕のせいだった。この願えば叶う因果と結果の直結する地に気に入らない先生をたった一人で放り出したのは僕だった。だから僕は、この黄昏の大地で、満ち溢れる魔力にかけてこの人造人間を助けてやる必要もあっただろう。元々は怠惰な神々が作り出した永久の僕にして真に憐れな似姿を、山田先生の性の僕を解放してやる必要があったように思う。僕は、どんな顔をすれば良かったのだろう。何ていう道化だ。本当に大人の男ときたらどうしようも無いことに魔法を使う。僕はかつて魔法世界エナレスに入り浸っていたころのことを思い出す。K・LやO・Oは、大人の男が、おっと、彼らは女性でもあるのだが大方は男性的だ。つまるところ大人の男が妄想するようなことを配下の僕によくやっていた。今思うとあいつらは、思い出すだけで頭が噴火しそうなくらい恥ずかしくなるようなことを何の気なしにやってのけていた。姉上に知られでもしたら、
「勇作。あんた、最低の知り合いが多いようね」
とでも来るだろう。
僕は、姉上の冷たい視線に仕方が無いから、取りあえず裸では目のやり場に困るから絹の衣を呼び出してやった。
「信じられんな。衣を作り出せるなど。俺の魔法では到底たどり着けなかったのだが」
「なんてことはないのさ。それよりホムンクルスをどうにかしてくれ。姉ちゃんに怒られちまう」
姉上の目が怖い。
「この衣を巻き付ければいいか?」
「どきなさい! 山田耕作!」
姉上が絹を片手に立ち尽くす耕作の手から取り上げる。その眼は三百眼に吊り上げっていて、怒りが爆発する寸前だ。
「男どもは回れ右。この家、借り受けるわ」
姉上はチョーノーリョクシャの癖に無駄に怒っているし、その癖に分別だけはしっかり働く。だから、姉上は良識ある日本人で、良識ある女子高生なわけだ。僕は、仕方なくこの山田三世こと山田耕作に話かけていた。僕は、先方から勝手に流れてくるエロ話に仇花を咲かせながら、姉上の前ではもっと良識を持って振る舞うように懇切丁寧に言い含めた。本当、僕みたいな人間は損である。この願えばほとんど何でも叶う世界では『力』があまり役に立たない。強いも弱いもほとんどの魔法が使えてしまうし、奇跡も簡単に起こる。強かろうが弱かろうが戦う理由も無く、自然、世界が与えてくるものは殆ど同じだから仕方なくこんこんと説教するしかない。斧はいますでに木の根に置いてある。だから良い実を結ばない木はどんな木でも、切られて火の中に投げ込まれる。と。僕はそんなことを説教する。山田耕作はその例えがいまいちピンと来ないらしい。それはそうだ。僕、自身がそもそもどうしたいのかも分からない。姉上や、G・G、天空の司書と違って僕は緻密な予知ができない。そも盲人に盲人の手引きができるか、馬鹿野郎! 第一、相手は最後の荒野に一人取り残されたニンゲンであり、相棒は知性の輝きすら入力されていないホムンクルスだけと来ている。やることと言ったら、欲望の赴くままだ。あるいはそれが正しいのかもしれない。僕は、いつも致命的に誤っているのだ。僕は、こういう原始的なニンゲンを騙して人型にくりぬいてこの楽園とも言うべき荒野の地を追おうとしている。恥さらし極まりないペテンである。人は人をだますべきではない。僕は与え、僕は奪う、僕の名は呪われるだろう。
姉上が一時間ほど待たせて扉を開けた時、そこには、ギリシャ、ローマの女神こそかく在れというほどの絶世の美形が絹のドレスと共に佇んでいた。姉上のチョーノーリョクもここまでくればもう魔法に近いような気がする。熱に弱い絹を念動力でどうやって切断し、縫合したのだろうか。僕には分からない。姉上には姉上なりの良心が今のところ残っている。だから、僕は僕なりに良心を働かせた。このホムンクルスに、魔法生物に、脳の仕組みさえも違う魔法の産物に回路を作るのを止した。
『無知は力なり』
である。
僕は時が満ちるのを感じていた。偏在させているAIに力が満ちるのを感じていた。
「姉ちゃん。そばに」
「ね。勇作。私ってば完璧なくらい時間に正確でしょ?」
姉上の言う通りだった。僕ら二人は四人になって帰るのだ。極東の片田舎の一都市に。そこでは、既に決着がついている事だろう。




