未来視と予知と全ての数の世界について
「それなら、さっさと…」
姉上はそう口にして止めてしまう。それから苦いものでも噛んだかのような顔をして中空を見つめていた。暫く沈黙が続く。ああ。そうだ。相手は確かに、確かに近しいものだった。痛恨の極みだ。僕の『力』では決して及ばない相手だった。僕は卑怯者だ。怯懦だ。だから、僕の頭の中はいつも卑怯な手でいっぱいだ。いつも僕は、怯えたウサギみたいに逃げ回っている。
「他にも、方法はあるかしら?」
姉上は凍りついた時の中で、僕ら三人に向かって問いかける。焦燥したような、生まれて初めて転んでしまった子供のように、僕らに向かって声を絞り出していた。
「あの大魔法使いとは戦わないことが一つの方法です」
「えー。それじゃダメだよ。G・Gとは決着付けなきゃダメなの」
天空の司書こと美奈の返事に、P・Mこと九条さんの返事。
「無理だね。あの大魔法使いは無理だよ。P・M。どうにもならないよ。あれは。あれは。いや、止そう。だからさ。確か、あの大魔法使いが言っていただろ」
「そう。極めて簡単ですね。契約者を撃つ」
天空の司書は、僕の言葉へ継ぎ足した。未来視も、予知も、やられる方はたまったものではない。分かっていたとしても驚いてしまうのだ。まるで、自分の声だけが変わってしまったかのように、その吐きだすべきだった声の行き先に迷うように。
「どこにいるのかな?」
「…七十億分の十七か」
姉上が真剣に考え始めている。あまりよい兆候だとは思えない。僕は何に対しても真剣に考えない。僕はといえば、ただのチョーノーリョクシャに過ぎないのだと、割り切ってしまっているから何に対しても真剣に考える必要は存在しない。僕はこの比較的リアルな世界の中では、人間のニューロン交換をちょっとばかし、強化しすぎたただのチョーノーリョクシャに過ぎないのだ。
「この世界の魔法使い、いわゆるチョーノーリョクシャは一人ですよ」
異世界の主神はもったいぶったようにそう口にする。
「さらに十七分の一か」
姉上の陰気な声。久しぶりに聞くな。あんな陰気な声は。気は楽にするべきなのだ。縮こまっても仕方がないじゃないか。七十億分の一という何というか、頭の痛くなりそうな確率とやらは、これから潰すべき人間が一人になったのだと考えるべきことなのだ。
「別に大した問題じゃありません。名前どころか居場所まで分かっています」
「それなら、さっさと行きましょう。さっきからチョーノーリョクの使い続けで頭が痛くなりそうなのよ」
僕は、天空の司書様に向かって姉上が眉をひそめながらそう言うのを聞いていたんだけど、はてさて、予知などというご都合主義はどこまで通ることなのやら、それは、僕だけが持つ不安であったろうか。
「名前は今崎新。神父。場所は長崎の教会ですね」
「今崎新は今先死んだ。なんちゃって」
P・Mが詰まらない駄洒落を言ってケラケラ笑っていた。姉上が呆れたように首を振り、天空の司書はどこかツボにはまったのだろう、くすくすと笑い声を漏らした。僕はといえば、これから大虐殺をしでかす男が本当に今先死んだら良かったのにと真剣に思っていたのだった。
さて。どう戦うかがカギだった。校舎の屋上に上った僕らはそこで作戦会議をする。今の時間は正午前だ。放課後まで後四時間ちょっとだ。G・Gをその時間まで放っておけば、街は二度目の崩壊を経験することになるだろう。都心から長崎まで四時間では効かない。どう考えてもミステリーならトリックが必要な場面だ。
「勇作。あんた捨て駒ね」
会議が開始した途端にこうだ。姉上は、一体、何をおっしゃることやら。僕は、抗議のために唸り声を上げた。P・Mが同情するように、よしよしと慰めてみたり、残念、勇作とからかってみるやらでもうなんだか初めからひっちゃかめっちゃかだ。
「姉ちゃん。僕にどうしろって言うんだよ」
「決行は三時五十分。まず、これから私のチョーノーリョクでみんな長崎に飛ぶ。それから相手の戦力を分析して戦力を分散する。一人倒せばいい訳だし、比較的楽勝ね。三時五十分になったら、勇作は捨て駒として大魔法使いのとこに行く。三十分耐えなさい。その間にこっち側から解決してやるから」
姉上の言うことはいつも適当で、どこか反論したくなるが、基本的にいつも正しい事を突く。近似解というやつだ。天空の司書様は、異論もない。P・Mは少し心配そうに僕の顔を覗き込む。後は僕だけど、僕としては正々堂々の決闘であるわけだし、卑怯な手もあまり使えそうもない現状からして、大人しく従っていいものか迷うところだった。何といっても相手は大魔法使いだ。実際に未来において相対した身としては、勝ち目のない戦いは遠慮したいところだった。
「勇作。男の見せどころよ」
「うん。勇作。ガンバ」
「客人。魔法使いのことはあまり気にするな。時間さえ稼げば、それが全て解決してくれる」
三者三様の突き放した言いように僕は、はいはい、と頷くことしかできなかった。それで、決まった僕らのやることといったら、結局は相手と同じで、殺人だ。規模こそ違うものの立派な犯罪である。世界を救う殺人者の物語。何ていうのは、聞いていてつまらないものだよ。きっとね。あるいは、僕らは誤っているのかもしれない。一人殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄だ、とかよくそういうこと聞くだろ。だから、結局のところ、僕らはチョーノーリョクの使い方を間違ってしまった見本に過ぎないのかもしれない。今崎新は神父だと天空の司書は口にしていた。僕らが持つこの力は、あるいは彼が考えるように神の御元に近づくためにあるのかもしれない。あるいは、その逆として神の御元から離れるためにあるのかもしれない。僕は傾いてしまう天秤を感じながら、他人事のようにそんなことを考えていた。僕は、そういったつまらない問いを抱え込む。これから七十億分の四が、七十億分の一に問うのだ。あるいはその逆か。どちらにしてもそれは救いようのないことのように思えた。だから僕は、姉上が楽しそうに呟くのを聞きながら、ただ、姉上の言葉に対する自分の反応の鈍さを考えていた。
「さあ。行くわよ。長崎なんて修学旅行以来ね。カステラ買って、ビードロでもお土産に凱旋するのよ」
「カステラって何?」
「デザートの一種でしょう」
長崎。修学旅行以来だ。長崎。その言葉と共に、僕は、あの空恐ろしい原爆のことを思い出すのだ。物理的に可能なものは魔法的に遡って再生することが可能だ。主は種を撒き、収穫する。主の御名はほめたたらえよ。相手には原子爆弾以上にスマートな手を打てる魔法使いが最低でも一人はいる。僕はその相手がG・Gであることにかけるだろう。僕は、かの大魔法使いが何に惹かれてあの、楽園に近い失楽園を捨ててまでこの物理的束縛に縛られ尽くした世界の住人と契約を結んだのかは知らない。だが、僕はあれ以上に強力な『力』を使う魔法使いを見たことが無い。僕は祈ろう。最大の戦力を黄昏の大地に放逐できた可能性に対して。僕は祈ろう。今崎新が交渉に値する相手である可能性に対して。僕は祈ろう。僕らの二度目が、種を育てる可能性を。主は荒れ地にさえも種を撒く。そこに収穫はあるのだろうか。僕に分かっていることはただ一つだ。主の御名はほめたたらえよ。それだけだ!




