予知の原理と定められた未来について
「後程な客人」
全知全能に近い天空の司書様がそう口にする場面は既視感のあるものだ。そうだ。僕は旅した。そして戻った。僕は、口を開く。
「もう」
「もう、済んだ。そうですね」
あるいはこの人もとびっきりに近いのかもしれない。僕の言葉に重なるように飛んだ言葉を聞きながら僕は、頭を振るしかない。P・Mが僕の体を掴んだままの変わらない姿で、むくれたように僕に言う。
「勇作の馬鹿!」
「だから。ああいう魔法なの。九条さんもいい加減勘弁してくれよ」
P・Mは納得できない子供のように駄々をこねる。
「だけど、だけど」
「さあ。さあ。どうでした。後は、私の口にした通りに進むでしょうか?」
「予知を外したことは?」
「少なくとも一度は外しましたよ。昨日、外したばかりです」
「そっか。予知もあんまりあてにならないものだね」
確かに全知全能に近いのだろう。そう。あくまで近いのだ。だから惜しげも無く手品のネタを明かすように、自分の間違いを認めてしまえるのだ。
「ね。ね。G・Gもだけど、あなた。予知ってどういう仕組みなの?」
「自由を奪う魔法です。運命を定める魔法です」
そちらのタネはどうやら明かしてくれないみたいだ。僕は氷がわずかに残った炭酸飲料を口に含めながら、仕組みを覗きにかかる。『力』なんてそんなものだ。そうしていつものように落胆した。
「何だ…」
「何だ。こんなことか」
「先取りしないで欲しいね」
「原理は簡単ですよ」
「九条さんに教えなかった理由は?」
「ないですよ」
「ね。ね。それならやり方教えてよ」
P・Mは興味津々だ。さて、その原理はと言えば、あまりに単純だ。僕にもひょっとするとやれそうな、あるいはやれなさそうな。
「なんだろうね。予知って言ってもそっちにとってはただ数字を数えているだけだなんて」
「それは、原理は簡単ですよ。特に進化論に支配された分子的に中立なこの世界では。でも、実際にやるのはひどく難しいものですよ。私が持つ力ではコード化された百万進数の百万桁の数を読み上げるのが限界ですけど、理論的には無限進数の無限桁を用いて、全ての数を網羅するものです。それでも、数がパターン性で変わる数列が難しいものになると並列分散無しでは厳しいですね。原理は本当に簡単です。理論的にはこの世界でネイピアのボーンと呼ばれているものを拡張した方法に過ぎません」
「万物は数なりと来たものだ。自由は高き所にまします、か」
「確かに。相手は魔法使い。加えて魔の領域の輩。彼らの自由なパターンを完全に追うのは私の用いる桁数の予知では確実ではありません。手ごわいですよ」
「そういう意味ではないけどさ。って、美奈。今、予知外した?」
「普段は予知を抑えています。続けると怖くて会話も出来なくなりますから」
それは何だか分かるような気がする。自分のものが自分のものでなくなっていく感覚。自分自身さえも知ってしまうと後には何も残らない。
「汝自身を知れ」と教えた神は何を言おうとしたのであろうか? おそらくは「興味を失え! 客観的たれ!」と言ったのだろうか?
世界をその手にするGODが、汝自身を知れとは酷な要求をするものだ。興味を失うとき、人は一度死ぬのだ。客観的になるとき、人は一度奴隷になる。だが、GODが言うのならそれもまた仕方の無いことだ。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。
「でさ。そろそろ行かない?」
飲みかけの飲料を景気付けにがばーっと流し込んだ九条さんがそう口にするも確かに正しいことだ。天空の司書様は、美奈は、あいまいな笑みを浮かべながら、九条さんにならって手元のオレンジジュースを飲み干してこう言った。
「客人。私はどちらが良いとも言えませんが」
「ん。いい。そろそろ行こう。店員さんの目も厳しいし」
お勘定は僕としては別々が良かったのだけど、非難が轟轟と湧き出でたので、仕方なくおごることにした。というか。二人の異世界人は、財布すら携帯していないとくるから、ま、僕がおごる他に仕方なかったのだけどね。
さて、学校に戻らなければならないだろう。僕の姉上は正気の沙汰じゃないくらい強力なチョーノーリョクシャであるわけで、おそらくあの魔法で廃墟となった都市圏でも校舎内に居て確実に助かっている強運の持ち主だった。姉上はそういう人間だった。僕らは戦力を増やさなければならない。従って、姉上のいる3-8へと向かわなければならない。それも、早急に。そうしてついた途端に待ち構えていた姉上は、教室の入り口で先頭列の机に向かって腰かけているのだ。先生は教壇の上にいるにも関わらず注意もしない。いや、できないのだ。そうして姉上はこの人もまた同じように言う。あるいはこの姉上をしてそうなす源は、クレアボヤンスという名の念動力は、光の織り成す予定を確率的に見透かす超能力は、あるいはもはや魔法の域であると言っていいだろう。
「…あなたたちもどうしようもない子ね」
ああ。確かにその時、時間は止まっていた。僕ら四人を除いた全ての時間が凍りついたように時間の影響をねじ伏せられていた。その超能力は、時間に対する干渉なのか、あるいは空間に対する干渉なのかも、判別としない。ただそこには僕ら四人の状態だけが取り出されていたのだ。
「私がそう言ったらそれでいいの。学校に来て大人しくしてればいいものを」
「…相変わらず無茶苦茶なことやれちゃうよね。姉ちゃんは」
「わかったわ。OK。で、私に信じろと言うわけだ。今日中には私たちが住むこの大都市圏が無くなってしまうって言うのを」
「そうだよ」
「わかったわ。わかったわよ。勇作が滅多にしてこない頼みだもの。それで、場所は?」
姉上はなんだかんだと言ってどこか優しい。僕に似て、特にこれと言って特徴の無いその癖、女性となると整った顔にも見えるその表情には意地の悪そうな笑みが、あるいは、どこか大事な物を忘れてしまったような笑みが浮かんでいた。だが、それでいて姉上のその半分は生ぬるい優しさでできているのだ。
「元先生の山田さんのいる場所って言ったら分かるかな?」
「…あんたさあ。最低の人間だよ。クズだね。我が弟ながら。情けないにもほどがあるのよ。まあ、それはそうと、美奈。あなた、楽しくやってる?」
全くだ。僕は最低の人間に近いだろう。今、質問を受けている天空の司書様が全知全能に近いように。
「異世界の日常というのも悪くは無いですが」
「OK。そう楽しくはないわけか」
姉上は、そう口にすると、両手を叩きあわせる。それから、さあ行った、行った、とでも言うように両手を開いて僕らのことを教室の外に向かって押し流そうとする。そうして実際のところ僕ら三人は姉上に命令される玩具の兵隊のように強制的に回れ右をさせられる。
「それなら、さっさと済ませちゃうか」
僕だってそうしたいところだ。姉上が言う通りにしたいものだ。僕は夢を旅する。ふと、その時のことだ。僕は、突然、今だったら予知ができるような気がしたので、ちょっとばかし未来を盗み見てやることにした。姉上のやり方でも、美奈のやり方でも無く、僕が使える『力』でのやり方で。
だから、僕は荒漠たる荒野で、ラグナロックが今まさに起こりつつある、あの異世界の終わりにおいて、大魔法使いG・Gの姿を見た時も驚かなかったし、その場にいくつもの人とは思えない死体があることにも構わなかった。そうして、おやおや、姉上ともあろうものが。ひざを屈して青息吐息であることにも僕は構わない。つまるところ状況は最悪だ。姉上さえも死にかけた人間の仲間入りってわけさ。そこには天空の司書の姿なく、P・Mともなるとどこにいることやら。
「愚かしいことだよ。進化論さえ終えることができない神を頂くものが、私に勝てるとでも思うのか」
男装の麗人は舌鋒においても容赦してはくれないのだ。その体を覆うように空間が、対称性の破れた空間が、エネルギーの奔流を持て余すように、暗黒エネルギーを生成しては消滅する。その力の使い方はと言えば以前にも見たことがあった。P・Mが本気モードになった時によく使う手だ。
「異世界人よ。P・Mのことを笑うつもりなら止すことだ。元々汝らに与えられるには本当に過ぎたる力だったのだ」
「僕にとっては」
「そうだ。『力』がある。あなたにとってはこの全てでさえも夢に過ぎぬだろう。だが」
どうやら僕の『力』では予知となると手が余るらしい。男装の麗人が歩き近づくごとに、足元の岩が音を立てて沈む。その食い破られた大地の腸から、赤い光と、青い光が交互に漏れては消える。電波よりなお細い、エネルギーの真空地帯が、波長十の二百乗からの奇跡の電磁波が、γ線よりなお長い、圧倒的なエネルギーを持つ波長十のマイナス二百乗からの奇跡の電磁波が、漏れては儚くも、神々の大地を崩壊させながら、現世の光へと減衰し消えていく。その全てがこの男装の麗人の怒りによってもたらされ、突き動かされているものだった。
「せいぜい怯えるがいい。私は、決して諦めない!」
全ての力は念動力に過ぎない。だが、この戦慄すべき大魔法使いが行使する力は、確かにその域を超えているように思わせてくれるものだ。ああ。僕は悟っていた。この大魔法使いを敵にしては本当に、真実のところ、勝ち目が無い。だから、僕は、静かに退室することにした。
「さようなら…」
「sit! さよならだ。異世界人! グッバイ! せいぜい、せいぜい夢を見ろ!」
僕は台詞さえも取られてしまう。G・Gは、男装の麗人は、僕に何の恨みがあるというのだろう。その時、薄れゆく景色の中で僕は敗れた時、全てを奪い取られてしまうことを初めて知った。




