Clover
「四つ葉のクローバーを見つけよう!」
こんなことをきっと誰もが一度は考えて、誰かと、もしくは一人で探したことがあるんじゃないだろうか?
少年時代、少女時代はみんな無邪気で、それを見つければ本当に幸せが訪れるって信じて、必死に探していた。
クローバーの一つ一つに目を凝らし、四つ葉のものをみつけた!と思ったら、葉の裏にもう一枚隠れた小さな葉があったりしてがっかりして、意図せず四つ葉のクローバーを見つけた誰かが興奮しながら、一緒に探していたみんなに自慢するためにクローバーを持って駆け回った。
それを見た私たちは自分が見つけられなかったことにがっかりして肩を落としながら、次こそは見つけてやる! って意気込んで自宅へとそれぞれ帰っていった。
かつてそんな日々が確かにあったのを私は覚えている。
そして、そんな風にして笑いあった彼らとの縁は今ではもうないに等しくなってしまったことも……。
かつて、といっても十年ほど前のことだ。まだ小学生だった私たちは社会の情勢を気にすることも、就職について頭を抱えることも、上司の小言でストレスを溜めることとも無縁の世界にいた。
よく寝、よく食べ、よく遊び、ほどほどに勉強をする。
思えばあのころは時間が過ぎるのがとても遅かった。時間という概念にまだまだ捉えられていなかったからだろう。
楽しむことを第一に考えて動いていた。
だけど、年を重ね、人間関係に悩み、状況によっては思ってもいないことも口にしなければいけなくなり、勉強や習い事、アルバイト、残業、接待と色々なことに時間をとられるようになり、いくら時間があっても足りないと感じるように徐々になっていった。
学校や仕事の帰り道に河川敷を通っても、周りの景色や花などには目もくれず、携帯電話をいじり、暇を潰したり、イヤホンから流れ出る音楽に耳を傾け、ほんの一時疲れを癒し、次の日にはまた同じような毎日が始まるのかと心の中で嘆きながら歩いていく。
いったいいつからこんな風になってしまったのだろう? 嘆いたところで状況は変わらない。
他人と関わり、自分を削られていく。一人になればいいのだろうか? そう考えて行動を起こしたとしても結局最後には人と人との縁の大切さに気づかされる。
なら、どうすればこの疲れきった世界から抜け出せるだろう。
たとえば、喧騒のない田舎町に行き、のんびりとした毎日を過ごす。
たとえば、満天の星空を見に海外へと旅する。
たとえば、昔同じ学び舎で過ごした人々と集まり、今の自分の現状を話し合い、愚痴を言い合ったりする。
そう、たとえば……かつて一緒に遊んだ旧友たちと集まりクローバーを探すこと。
大人になった私たちは言うだろう、
「そんなことは疲れるし、時間がもったいない」
子供のころの僕らは言うはずだ、
「きっと楽しいはずだよ」
子供のころの友人と大人になっても関わりを持っている人がいったいどれほどいるだろう?
ほとんどの人は新しい環境で新しい関係を気づき、数年ごとにその大半の関係をリセットし新しい関係を始めるだろう。
心にゆとりを持ち、過ごしている人がいったい今どれくらいいるだろう?
野道に生えている花に目を向ける人がいったいどれくらいいるだろう?
人と人との縁は今となってはかなり薄いものになってしまった。
一度離れた相手のほとんどは携帯電話のメモリーから名前を消去することで事足りてしまうほど。
かくいう私もかつて、そのように一緒に過ごしてきた旧友たちの顔も思い出せないほどだ。彼らとの縁もほとんどないに等しい。
意識せずとも今の世の中はそういうものだという感覚が刷り込まれてしまったのだろう。
そして、そのようにある意味機械的に毎日を過ごして、ある日突然溜まった疲れが吹き出る。
そんな毎日を過ごす私たちは、時折ふと目に入る綺麗な景色に目を奪われ、疲れきった心が癒されることがある。
進んだ技術、過ごしやすくなった環境。
自分が生まれる以前から努力を重ね、成功を積み重ねてきた先人たち。それは社会を過ごしやすいものにしてきたし、その恩恵を今の自分たちが受けていることも理解している。
しかし、それを手に入れると同時に失ったものもきっとあるだろう。
だからこそ、人は行き詰ったと感じたとき過去に捨てたものに心惹かれ、癒されるのだろう。
「四つ葉のクローバーを見つけよう!」
子供から大人になり、環境や人と人との関係性が変わったとしても、この言葉を言える心を誰もが持っていて欲しい。