青き日々 その1
その後ミズキは司祭コースで順調に勉学に励んだ。
早く卒業をしてあの教会に戻って、自分にこの学校で勉学を受けられるよう取り計らってくれた方々に恩返しがしたかった。
だから飛び級制度でも何でも使えるものはなんでも使った。
一方、心のどこかで、入学式にきてくれたし、司祭コースに進んでいることだし、またあの人と会えるだろうか? どこかで淡い期待を抱いていたのは事実だ。
最も現実はそう甘くないけれども。
……結論を言えば卒業するまで、彼に会えたことは1度もなかった。
でも彼の話を聞かない日は1日もなかった。
教師たちから聞く彼の伝説的な逸話も多かった。
たとえば13歳のアカデミー史上最年少で入学し、14歳と半年で修了したとか。この記録はまだ誰にも破られていないらしい。
あと司祭コースだったそうだが、剣を握らせれば騎士コースの誰にも劣ることなく、一回り近く違う相手も全く寄せ付けないほど圧倒的な強さを誇っていた、とか。
他にもその美貌にたくさんの女学生からアプローチを受けたり、アカデミーまで令嬢や貴婦人がこぞって押しかけ、彼が在校する間のアカデミーの学生数はとてつもなく多かったとか。
それはもう、1年中話題に事欠かない存在だったらしい。……本人が何かをしたという話は剣と武術、魔法や学業面以外であまり残っていないので、主に周りがいろいろ彼の周辺で、彼にまつわる何かを起こしたものが多かった。
やがて彼が枢機卿という役職につき、アカデミーの式典などに招かれるようになると、再び女学生たちが色めきだしたそうだ。
今の女学生たちのように……。
ミズキ自身は、噂話に花を咲かせることはなかったけれど、ミズキが年齢が一番年下とあっていろんな人に気にかけられたり、世話好きのオジサマ方やお姉さま方にあれこれ世話を焼かれたりしていたため、会話に進んで入るほうではないけれど、いつの間にやらすっかり耳年魔にはなっていた。
とにかく女子の噂話はすごかった。噂というより欲望というべきか?
兵士育成コースなどの女子はわりと寡黙なタイプが多いけれど、文官コースや司祭コースの女子は、年相応の明るさと好奇心を持ち合わせたものが多かったからというのもあるだろう。
基本的に女の子は総じて格好いい人や素敵な人、美しいものが大好きである。
毎日、兵課のだれそれが格好いいとか、魔法課のなにがしが素敵だとか噂をして、最後に必ず『それでもユリウス・マール・ランドルフが一番美しくて格好良くて素敵だ』という結論になるのがお約束だった。
特に彼は、4家の……聖霊獣を引き継いだ稀人であるから、対となる配偶者を探し出し必ず娶らねばならない。その配偶者が決まっていないことから、魔術師育成コースの女子と司祭コースの一部の女子は少し色めきだっていたりする。
……何ゆえ魔術師育成コースと司祭コースの一部の女子かと言うと、どうやら彼が宿す聖霊獣に起因するらしい。
4家には聖霊獣の保持の義務がある。次世代に聖霊獣を引き渡す役目も負う。つまり自分が動けなくなった時に確実に稀人を用意せねばならない。
そのため、対の聖霊獣がいろいろな基準に見合うものを探し出し、伴侶とさせて、次世代の稀人を作るわけだ。
もちろん選ばれた相手に身分差がある場合が多いが、そこは4家の聖霊獣が選んだ相手だ、文句など言わせぬで通される。
選ばれる基準に何があるのかと聞かれると、その聖霊獣の好みにあった魔力を持っているということに尽きるらしいのだけれど、それが何かといわれれば、やはり上質で良質の魔力ということらしい。
先々代の王妃はアカデミーの魔術師コースに入学した日に、当時はまだ王として即位してなかったけれど、入学式に参列していた王子の聖霊獣に対として発見されたらしい。
そんな逸話も実際にあるわけで、魔術師コースや司祭コースの中でも魔力の高いものは胸に期待を抱いている、というわけだ。
ま、そういう観点から行けば自分には縁遠い話だなとミズキは端から気にも留めていなかった。
今はなきミズキが生まれた村はもともと皆魔力が高く、ミズキの先祖にも幾人か王都に名を残した魔法使いがいる。ミズキも幼い頃はそこそこいろんな魔法が使えていた。
だがしかし、あの日からぷつりと魔法が使えなくなった。
魔力が枯渇したというのだろうか、初歩中の初歩の魔法も使えなくなってしまった。
そんなわけで、最初からそういう資格がないミズキは『私が伴侶の候補者に』と夢見るものたちをある意味冷静に見ていた。
むしろその制度というか摂理に憤りさえ感じる。
聖霊獣が、相手に宿る魔力だけで宿主の伴侶を決めるということは、宿主である人間たちの意志などお構いなしということだ。
そもそも、もともとの宿主に好きな人がいた場合どうするのだ?
それをまるで無視するというのは、なんだか腑に落ちない。
ここにいる面々に言わせれば、どんなに好きな人がいようと、あのユリウス・マール・ランドルフの伴侶に選ばれるのであれば何を捨ててもなりたいと声を荒げていたが、そういう好奇心的な問題ではない気がする。
いや、自分には関係のないことで当人たちの問題だろうと分かっているが、だがなんとなく。
やっぱり伴侶になるのであれば、想い、想われて結婚したいとミズキは思っていた。
実の両親がそうであったように……。
ああ、でも、……あの夕闇の空の色の瞳が、誰かを見て熱くなったりするのだろうか?
いや、もしくは今頃誰かと寝所をあたためあっていてもおかしくはない。
そう思うと、ミズキの心はざわりと落ち着かなかった。
そんな自分に気付いては、全くほとんど見ず知らずの人間に対し何を理想をぶつけているんだと苦笑いした。
ミズキの魔力については少し気になるという人物もいる。入学式のすぐあとのことだ。
アカデミーでは入学式のあとすぐに必ず全員稀人かどうかの審査を受けなければならない決まりになっている。
最初に一次審査的に出身地や略歴、アカデミーの魔術師コースの教師も勤める上級魔法使いと握手をするだけの魔力審査を受ける。
そこでなにもなければ寮に戻り、なんらかの判定が出ると別室にご案内される。
確立で言えば9割以上の生徒はそこで早々に明日に備えてねというわけだ。
生まれの早い順に審査を受けていくため、今年度の新入生の中で最年少のミズキは一番最後に審査を受けた。
自分以外の新入生が誰もいなくなった会場で、一番最後に名前を呼ばれ、どきどきしながらそちらに向かう。
『ミズキ・レイノールです』
挨拶をして入出すると、『魔術師コースで精神と魔法構築の授業を受け持つレニー・マカイです。早速ですが握手するから手を出して』と、いささか疲れた様子の先生に言われてミズキはいつもの癖で左手を出した。
そのときは別に何事もなく『左利きなのね』と先生も左手を出して握手をした。
『レイノール……ね。参考までに聞きたいのだけど、あなたって生まれた村はどこ?』
『今はありませんが、東にあるサノメ村です』
ミズキがそういうと、レニーの顔が変わった。
サノメ村の悲劇は有名な話なので、聞いてしまったほうはたいていこんな風に申し訳なさそうな顔をする。
しばらくしてレニーが静かに口をあけた。
『……ちなみにゲン・レイノールを知ってる?』
『ゲンは私の曾祖父です』
するとレニーは眉根を寄せてミズキの手をぎゅっと握った。
訝しげに首をかしげながら、深く探るようにミズキの左手から魔力を探る。
『……今から失礼なことを聞くわ。先に謝ります。ごめんなさい。けれども、返答してね? あなたはゲン・レイノールの直系の曾孫? 血の繋がりはちゃんとあって?』
さすがにこの質問にはミズキも眉根を寄せた。ようは、どこかで養子が混じっていないかと聞いているのだ。
そのミズキの反応にレニーは謝罪をもう一度述べる。
『ごめんなさい、失礼だとは思ってるの。でも大事な質問だから、お願い』
もう一度請われてミズキは
『ちゃんと直系です。幼い頃婚姻の話をしてくれたときに、曾祖父が自分の髪と私の髪を結びつけて、そのとき赤い煙が出ましたから』
そういうと先生は慎重に頷いた。
『それなら間違いがないわね』
この世界の決まりごとの一つに、血族の4親等内の者と結婚は出来ないというものがある。それはこの世界をつかさどる神がお怒りになるからだとかで、例え結婚したとしても絶対に子が成せないため、近親婚はタブーとされている。
そのため古くから血脈診断というのがある。たとえばリーブの葉に互いの唾液を落として煙の色を見るやり方もあるし、互いの髪を1本とって結びつけて出てくる煙の色で占うやり方もある。どちらも4親等を越えれば白い煙をあげ、4親等以内であれば赤い煙を上げるのだ。
曾祖父はミズキに実地でやり方を教えてくれた。
この赤い煙が出るものとは結婚してはいけないよ、と。
……たしか、ミズキが父親にべったりで、大きくなったら父の嫁になりたいとか言っていたからだろう。
幼い子どもにありがちな夢を曾祖父はあっさりと打ち砕いたわけだ。
『でも、そうなればますます気になるわね。悪いけど両手出してくれる? 手袋、ぬいでね』
レニーはミズキにそういった。何が気になるのかはよく分からないがミズキは言われるがまま手袋を脱いだ。
『その手の刺青は?』
レニーは最初ミズキの刺青にもう一つ眉間のしわを深くしたけれど、
『……これは、生まれた村がなくなったときに……』
ミズキがどう説明すればいいのか分からず言葉を濁すと、どういう風に汲み取ってくれたのかは分からないが、レニーはそれ以上は聞かずにミズキの両手を取って作業を再開した。
しかしそれでもレニーの眉間のしわは取れなかった。
『困ったわね。私の持論から行くと、あなたは血統的に優秀な魔法使いの素質があると思うの。そうでなくてもサノメ村は、最後は悲しい閉じ方だったけれど長年優秀な魔法使いを多く輩出してきた。そして魔法史を紐解けば、今の魔法使いたちが何気なく使っている魔法の道とか、浮遊飛行の魔法とか、他にもあるけれどけっこう重要な魔法を構築したのは、レイノールという家系の魔法使いたちなの。そこからいくとあなたは十分家系的な条件が揃っているはずなのに、魔力が全く見つからないの。逆に気になるくらいよ。それで、思ったのがこの刺青……。やるせなさでほったのかもしれないけれど、この刺青こそがあなたの魔力を封じている気がするわ。その刺青がなくなれば、なんだかあなたは化けそうな気がする。カンだけどね。ま、これ以上の審査は私には無理だから隣で見てもらいましょう』
レニーはそういうとミズキを寮に帰る扉ではなく、別室に続く扉へ案内した。
その部屋で椅子に座って待つよう言われて、ミズキは広い部屋にぽつんと1つだけある椅子にちょんと腰をかけて待った。
正面には鏡があるだけの、他は何もない部屋だった。
しばらく待っていると、ズキンと右手が痛んだ。左手で押さえていると、鏡の向こうを誰かが歩いている音がした。ふとその音が正面の鏡で立ち止まる。ぼそぼそと人の話し声がして、やがて一つの扉が開いた。
『お疲れ様。私のわだかまりは杞憂だったみたいね』
さっき1次審査にいたレニーが扉を開けてミズキに微笑んだ。
どうやらあの鏡の向こうでなにやら審査をされたらしいけれど、どういう診断があったのか、分からない。
『個人的に、あなたには興味あるわ。だって、なんだかおもしろそうなんですもの』
レニーはそういって、隣の扉のほうを見て笑う。
……先ほどの部屋で誰がいたのか。
その扉にふれたい気もしたけれど、いたむ腕をぐっと押さえてミズキは寮に戻った。
……後になって3次審査に進んだ人から話を聞けば、そこでは通過した4人が1室に集まって審査が始まるのを待っていたらしい。しかしその全員が何の質問もなくお疲れ様と帰されたという。
ふと疑問に思って、二次審査は何があったのか尋ねると、どうやら鏡にむかって教師のいう魔法の言葉を詠唱し、反応を見られたらしい。……そんな詠唱となえる間もなく、ミズキは帰されたけれど。
ちなみに、その詠唱をその後繰り返してみても、何の反応もないらしい。魔術師コースの一人が言うには、あの部屋の床には魔方陣があって、それと言葉が反応したのだろうと言っていた。
そんなわけで、ミズキたちが入学した年の生徒の中に稀人認定されたものはいなかった。
本当に稀人というのはなかなか見つからないのである。
でも、2次審査まで残ってしまったことで、ミズキはしばらく噂になった。
……大人しく学園生活を送りたいと願っていたにもかかわらず。