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遠き日の記憶


 額に残るのは、優しく柔らかなぬくもり。

 母のものでもなく、父のものでもなく。

 初めて自分に触れる柔らかさ。

 父や母の匂いとも、故郷の村でかいだどの匂いとも違う、心地の良い香り。

 時折浮上する意識の中で、ミズキはその温かさを『ユーリ』と呼んでいた。

 耳に何か言葉は残るけれども、何を言われたのか記憶が定かではない。

 それらは浮いては沈む波のような意識の中で、おぼろげに残る霞に消えそうな記憶。

 ただ暖かく、ただ柔らかく、ただ愛おしく。

 自分にあったのはぬくもりを求める子どもの本能。

 すがれば抱き返される強さに、ミズキは再び意識を沈めた……。


 次にミズキが目を覚ましたのは、村がなくなって5日後のこと。

 自分の顔をのぞきこんでいたのは、年の離れた母方の従妹のノアだった。

 『ユーリは?』

 それは目覚めてすぐミズキが問うた言葉だった。

 眠った自分のそばにあったぬくもりだったのに、今はどこにもない。

 そもそもあの人の腕の中で気を失ったはずなのに、あの綺麗な人はどこにもいない。

 ノアはミズキのいう人物が誰なのか全くわからず、不思議そうに首をかしげた。

 もしかして、本当にすべて夢なのか?

 村のことも、現れたあの人のことも、さっきまであったはずのぬくもりも。

 長く眠ったから、ぐちゃぐちゃになったのか?

 なら父や母はどこにいるのだ。

 泣き出したミズキを、ノアがぎゅっと抱きしめてくれた。

 しかしそれは夢の中で何度も与えてくれた力強い温かさと安らぎとはちがうもの。ノアは母に似た匂いを持っていたけれど、全く別物だった。そのことがミズキに母がもうどこにもいないことを改めて突きつけて、幼いミズキの胸が寂しさで押しつぶされそうになった。

 あの日、涙はもう枯れたと思ったのに、ミズキの頬には大粒の涙が幾筋も流れた。


 ミズキが目覚めた場所、そこは王都のはずれにあるリラという町の教会だった。ノアはこの街の教会で司祭の仕事についていた。 

 あの人のことを知りたかったからノアに聞いても、ノアは何のことかわからないと首を傾げるばかり。

 どうやら捜査官がミズキの縁故を調べて母方の実家に連絡を入れて、それでノアが引き取りに名乗りを上げたということらしい。

 やはりあの人は夢だったのだろうか?

 でも、夢ではない。

 ミズキの右の手のひらから肩近くにかけて、あの日から閉じた目のような紋様と、それを複雑に囲むような渦巻き模様の刺青が刻み込まれていた。

 いつ刻み込まれたのかは分からない。

 まるで昔からあったかのように、痛みも違和感もなく自分の腕に刻まれていた。

 最初は見るたびにドキッと驚いてしまった。模様が少し不気味で怖かったけれど、ミズキが辛い時や、さみしくなったとき、そこが暖かくなって、なぜか優しい気持ちが伝わってきた。

 そんなことが何度かあって、ミズキはその刺青を優しいものと受け入れた。

 ただ、他の人が見たら気味悪がるかもしれないから、手袋をしたり、なるべく長袖をきて人目に触れぬよう隠して生活はしていたけれど。

 そんなこんなで、ミズキは穏やかに生活をおくっていた。

 あの村の最後の日に起きたことがまるで本当に夢だったと思うくらいに平和で穏やかだった。

 大人たちは陽気で、子どもたちはいつも笑っていた。

 そろそろ良いかと入れられた教会の学校で、ミズキはめきめきと学力を伸ばした。

 13歳の頃には、高等部の生徒に混じって授業を受けるようになるほど。

 『お前は賢いね。たくさん勉強していろんな知識を身につけるといいよ』

 あと数ヶ月で15を迎える夏の終わり、教会の長老シスターに呼ばれたミズキは、王都にあるアカデミーに入学をするよう告げられた。

 まさかそこまで甘えるわけには行かない、高等部を出させてもらっただけでも十分すぎるほどで、これからは教会に恩返しをして恙無く生きていこう、そう思ってミズキは辞退しようとした。

 しかし、アカデミーは卒業後に王国内の機関に勤めることを条件に授業料はかからないのよ、それにこの国で最高峰の教育機関でもあるから、ぜひ行きなさいと説得されてしまった。

 さらに畳み掛けるように長老シスターは一通の白い封筒をミズキの前に出した。

 『ここにあるのはあなたの入学許可証』

 ミズキは目を丸めた。

 アカデミーは学力が優秀であるとか、剣の腕が立つ、腕っ節が強い、魔術が優れている、ごく稀にしかいない稀人であるなど、何かにおいて群を抜いて優秀であれば、入学を認められる。しかし稀人以外は、上級貴族貴族が後見にいて推薦状1通を提示する、もしくは教会の長老、枢機卿、自治領主と言った中級貴族など、3人以上の推薦状を添えなければならない。

 つまり、今入学許可証があるということは……。

 『お前の勤勉さを見てね、私と、シズネ、そして自治領主のコールマン様の推薦状を送っていたんだよ』

 ミズキは驚きの目で目の前の長老シスターを見つめた。

 『いきなさい、ミズキ。アカデミーに行くことは決してお前の人生において損にはならないから。勉強も何事も、許される時に存分になさい。それでももし足りなければ、必要な時に勉強をなさい』

 温かいシスターの言葉にミズキは深く頭を下げた。

 『ありがとうございます。しっかり勉強をして、このご恩をお返しいたします』


 そうして迎えた入学式で、ミズキは思いがけない人物と再会をはたした。

 あの悲しい記憶と一緒にしてしまいこんでいた箱が蓋を持ち上げる。

 入学式に参列する騎士団隊長や魔法士団隊長、それに教会からの枢機卿といった面々が歩く中、その姿が続いた。神々しいほどの枢機卿クラスの司祭服を纏って。

 あの顔を見忘れるわけがない。

 あの時よりもずっと凛々しい大人の顔になった彼がそこにいた。

 ドクン、ミズキの右手が疼いた。

 でも、きっとあの人は自分のことなど覚えていないだろう。

 ミズキはぎゅっと手袋ごと握り締める。

 どうにか感覚をやり過ごそうとしていると、ふとあの男と目があった。……目があったと思うにはあまりにも一瞬でおこがましいかもしれないけれど、記憶のままの、人形のような美しさ、夕闇の空の色のような瞳は健在だった。

 その目は留まることなくふいっとそらされる。

 ……やはり気のせいだろう。

 ミズキは小さく息を吐いた。

 きっとあの人は忘れてしまっているだろう。

 8年も前にあった幼い子どものことなど。

 けれど、その日初めてミズキは彼の名前を知った。

 男の名は、ユリウス・マール・ランドルフといった。

 この国には4家と呼ばれる重大なお役目を持った貴族の中の貴族がいる。

 彼の姓はその中の1つの家のものだった。



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