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閑話~嵐の夜~ その5




 ユリウスは入れなおさせた紅茶を一口飲んでノアに向き直った。

 『あれほどの能力者だったあなたが、なぜ巫女上がりを求めた? 司祭にならなくても中央でも席はあったんじゃないのか?』

 『あ、それは私も疑問に思いました。巫女上がりをされた方は過去にもいらっしゃいますが、ほぼ神殿に残られますよね?』

 エリザベスも首をかしげた。

 するとノアは肩をすくめて笑った。

 『巫女上がりを求めたのは、先読みが全く出来なくなったからです。ある日からざーざーという雨の音しか聞こえなくなりました。能力の干上がったものが、いつまでも称号を抱くことほど心苦しいものはございません。確かに神官長や長老たちからは中央の後見を勧められましたが、私は市井で暮らしてみたかったのです』

 能力の片鱗が確認されると、早いものだと10歳をいくらかすぎた頃から神殿に召し上げられるという。ノアもそうだったらしく、今度のことは逆にノアには嬉しい楽しい少し不安もある新しい日々の始まり、ということらしい。

 ユリウスは顎を親指の腹で撫でながら考えた。

 そんなユリウスに

 『ねえ、いいかげん会わせてあげて?』

 エリザベスが笑顔を浮かべながらにらみつけた。『私は隊に行く時間だからもう行くわ。けれどちゃんとあなたも自分がなすべきことをなさいよ』

 会わせて欲しいと請われてから、のらりくらりと先延ばしにしてきたけれど、そろそろ限界らしい。

 ユリウスは苦笑いを浮かべ、ノアを眠り姫のもとに案内すべく立ち上がった。

 ノアも促されて立ち上がるが、助け舟を出してくれたエリザベスに深く頭を下げた。エリザベスも優雅に会釈をして頷く。

 『あなたの市井での生活が暖かく穏やかなものでありますように』

 エリザベスの送る言葉にノアは嬉しそうに微笑んだ。


 案内されるまま静かにユリウスの後ろをついてきていたノアは、部屋の中を見て驚いたようだった。

 『どなたかのお部屋ですか?』

 てっきり客室みたいなところにいると思っていたのだろう。それが普通の反応だ。

 『俺の部屋だ』

 ユリウスはそういってベッドの端に腰掛けて、布団を少しずらしてやる。

 穏やかに眠る顔が出てきて、ノアはほっとしたようにその名を呼んだ。

 『ミズキ』

 そのとたん、少女の寝顔がくしゃんとほころんだ。

 『……お、か……さ……』

 切れ切れに母親を呼ぶ。どうやらノアの声は良く似ているらしい。

 しかし少女は目を開けることなくまた眠りに落ちた。この不自然さに

 『眠り魔法か、何かかけているのですか?』

 ノアがユリウスに問うと、ユリウスは苦く笑いながら頭を横に振った。

 『聖霊獣が宿ると、聖霊獣が目覚めるまで本来は魔法は全く使えなくなるんだが、無理やり魔法を使った。無茶のしすぎでこの状態だ。5日ほどで普通に目が覚めるだろうとこれがいっている』

 ユリウスは自分の左腕に宿る盾の紋章を具現化させた。

 ユリウスの服の裾から、白い蛇がしゅるりと出てきてユリウスの腕に服の上から巻きついていた。

 その蛇は寝台に音もなくおりると、ミズキの右腕にきゅるきゅるとまきついた。そこにあるのは白い蛇の対なる獣。眠りについていつ目覚めるか、わからない。

 『エイシス、戻れ』

 ユリウスの呼びかけに、白い蛇はミズキの腕を名残惜しそうに絡まってからユリウスの腕に戻ってきた。再び腕に巻きつき消える。

 聖霊獣が5日ほどと見立てをしているのであれば外れることはないだろう。

 ノアはふとユリウスに別のことを尋ねた。

 『姪っ子にベッドを貸してくださりありがとうございます。ところでランドルフ公爵はどちらでおやすみに?』

 ここはユリウスの私室でベッドは一つしかない。そこでミズキが寝ているのだからノアの疑問はやはり普通のものといえよう。

 ユリウスはげんなりと息をついた。

 『昨夜はこれがしがみついて離れなかった。だからここで寝ていたが? さすがにこんな幼いのを相手にどうこうする趣味はないぞ』

 するとノアはくすくすと笑った。

 さすがにそこまでユリウスに言わせるつもりはなかったのだろう。

 『ありがとうございます』

 そういって深々とユリウスに礼をいった。

 と、そのとき

 『おかあさ……ん』

 ミズキの手がノアへと伸びてきた。

 ノアは苦く笑うと

 『ミズキ』

 そっと幼い手をとった。

 もう片方の手で前髪を掻き分けて額をあらわにする。そのまま頬へと手を滑らせて撫でてやると、少女はその手に擦り寄ってきた。

 子どもならではの本能だろう。

 ノアは優しく笑ってミズキをひとしきり撫でた後

 『もう行くわね』

 そういってミズキの額に口付けを落とした。

 再び少女が安堵したように眠りに落ちる。

 ノアがあっさりとミズキから離れ、部屋の外へ出たとき、ユリウスはほっとしたのを感じた。

 だがそれはつかの間のこと。

 部屋を出たところで、ノアがユリウスに深く頭を下げ礼をのべた。

 『従妹を助けてくださりありがとうございます』

 そして『あの子を引き取りたいのですが』と、とうとうユリウスに告げてしまった。

 ―――言われてしまった。

 ユリウスは先ほど閉じた扉を見た。その向こうでは変わらず少女は眠っているだろう。

 ユリウスの半身を宿して。

 とっさにユリウスは返事が出来なかった。かわりに手をぐっと握っていた。

 黙ったまま階段を降り、元の応接間に戻る。

 そこでようやく、ユリウスはノアにミズキを渡すことを了承した。

 理由はいくつかあった。

 ノアがミズキを引き取りたいと申し出たことはもちろんだが、やはりノアの急な巫女上がりのことも気になったからだ。

 先読みの天才だった巫女が、急に能力が消え市井に降りた。その直後に彼女の血縁の幼子が故郷ごとすべてを失い、あろうことか聖霊獣の対に選ばれてしまった。

 それがすべてこのタイミングで揃うのは偶然だろうか?

 偶然じゃないとすれば?

 それに。

 ランドルフ家でミズキを育てることは容易なように思えて難しいだろう。

 サノメ村を襲った犯人たちがミズキが聖霊獣を宿したと知れば……。

 ミズキが対の聖霊獣を宿したばかりで目覚めていない今、それを知られるとまたミズキは狙われるだろう。間違いなく。

 ランドルフ家で常に守るとしても、彼女を屋敷や敷地内ばかりで閉じ込めるのはどうだろうか。

 彼女を鍛えるにしても、どこに刺客が送り込まれるかわからない。むしろランドルフ家においておくほうが危ないように思われた。

 だから。

 ユリウスはミズキの中の聖霊獣が目覚めるまでノアに預けることを了承した。

 決してミズキの中に聖霊獣が宿っていることは口外しないと言う条件の下で。

 ノアはもちろん守りますと頷いた。

 自分もまだまだ世間から疎いので、ミズキと共に世間のごく普通の価値観や成り立ちを勉強していきたいから、時がくるまではそっとして欲しいと願われて、ユリウスは頷いた。

 せめて生活費をとユリウスが言うと、ノアは笑って横に頭を振った。

 ランドルフ家と繋がっていることがどこでどうばれるかはわからない。用心に越したことはないだろう、その意見にユリウスは頷くしかなかった。

 きっとそれが一番いいだろう。

 ノアがしたという彼女の託宣の最後の部分……優しき刃を振るうだろう、この部分を考えればなおのこと。

 彼女の母親のようなノアを見ればきっとその方がこの子にとって良いのかもしれない。

 そう思ってユリウスはミズキをノアに託す選択を受け入れることができたのだ。



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