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閑話~嵐の夜~ その2


 ごうっと大きな炎が辺りを覆った。

 その中心で少女が魔法を唱えていた。一瞬、幻獣たちが怯む。

 が、少女が息切れで詠唱をやめたとたん、炎の勢いはぐっと弱くなった。

 その機をつかれた。

 炎をかきわけて現れた幻獣に少女が体をピクと震わせた。幻獣はゆっくりと大きく牙を見せ付けるように顔を近づける。

 少女はもう体がすくんでしまったのか動けずにいた。

 まさに幻獣が幼い少女を噛み付こう、そのギリギリのタイミングで、ユリウスは彼女を横から掻っ攫った。

 彼女の目が驚きに見開かれてユリウスを見つめる。

 それはすんだ翡翠よりもさらに明るいエメラルド。

 ユリウスはその瞳を見たときに一瞬止まってしまった。

 ほんの僅かな時間だ。

 その少女を手にした瞬間、体が震えた。

 ずっと自分を呼んでいた何か……、それが今自分の腕にある。

 『今、生きているのはもうお前だけか?』

 問うた瞬間、ユリウスの言葉の意味を正しく理解したのだろう。彼女の瞳がわなわなと震える。あざやかな緑が深く沈むのをちくりと感じながら、ユリウスは彼女を抱えなおしてそこから飛びのいた。飛びのく際にセウスを煌かせ、幻獣をばさりばさりと切り捨てる。

 切り重ねるうちに刀身が血油で光が鈍っても、上下に振り払えば再びセウスは美しく煌いた。

 まわりの幻獣をあらあら片付けて、ユリウスは少女を少し広くなった場所に下ろした。

 その時ユリウスは自分の胸元がちに染まっているのを知った。どうやら先ほど少女を抱えたときに幻獣の牙がかすったらしい。

 だが治療をする間も惜しい。再びユリウスは幻獣に相対した。

 少女は結構な時間、呆然とユリウスを見ていたが、その目に他の景色が飛びこんだ。

 『おとうさん! おかあさん!!』

 悲痛に似た叫び声をあげながら、少女はさっきまで懸命に結界を張り続けていた女性の下に駆け寄った。『おとうさん! おかあさん!! おかあさん!! おかあさん!!』

 何度呼びかけたところで、その双眸はどちらも再び開くことはない。今はかすかにぬくもりが残る手に、再び力や命が戻ることはない。

 『いやあああああ!!!』

 少女の悲鳴を聞きながら、ユリウスは淡々と幻獣を切り捨てていた。

 この町で生き残った住人は、少女だけだ。

 あちこちに魔法の残滓は感じ取られるけれど、生気は感じられない。

 少女には辛いことだろうが、それが事実だ。

 やがて最後の幻獣を討伐し終えると、ユリウスは地面に手を突いた。来る時においてきた馬を探す。地面を通じて呼びかけると、ユリウスの愛馬がそれに応えた。少し時間がかかるだろうが、やってくるだろう。

 それまでの間にユリウスは街に火を放った。

 悲しみと魔法の私怨が強く残る街は、このまま放っておくと怨霊を招いてしまい、ここで殺された人々が留まり悪霊になってしまうといわれている。それを浄化するために、ユリウスは祈りの力がこもった、青火を放った。

 残った瓦礫も、屍も、幻獣の骸もすべて青火にかける。

 時々ユリウスは少女をうかがった。

 さっきまで泣いて泣いて、泣きつくしていたが、今は呆然と青い炎を見つめる。

 夕闇空の下で、翡翠色の瞳は暗く焦点も定かでなく沈んでいた。

 幼い、幼い少女。

 けれど……。

 できることならあざやかな緑の瞳をもう一度みたい。

 あんな悲痛な叫びじゃなく、声がかれてもなお泣き続けるかすれた声でもなく、ただ、普段の声を聞いてみたい。

 ガタッ、少女のほうで瓦礫が崩れる音がしてユリウスはそちらに目をやった。少女が地面に手を突き、地面を握り締めるようにかきむしっていた。

 その指先に血がにじむ。

 ―――何をしているのか。

 ユリウスは目をしかめた。

 と、ユリウスは右手からすうっと力が抜けていくのを感じた。

 初めての感覚に右手を見ると、セウスが薄紅色の球となりくるくると弧を描いていた。

 セウスは少女のほうへふわふわと飛んでいく。少女は首をかしげながら、なにげなくそれを手のひらの上にすくうしぐさをした、その時。

 パアンとセウスがはじけた。

 ユリウスはセウスが少女の中に入っていくのを知った。つまり、セウスが少女を選んだと言うこと。ユリウスに残った盾の聖霊獣であるエイシスの対なるものとして……。

 しかし、少女はそんなことなど知らない。あせったようにユリウスと自分の右手を交互に見ていた。

 『ご、ごめんなさい。今の……割れちゃった?』

 少女はとんでもないことをしてしまったんじゃないかと、恐る恐る謝罪する。

 『別に、それはかまわない』

 むしろユリウスは、セウスが少女の中に入るとは思わなかった。だって、それは……つまるところ……。

 ユリウスは上がりそうになる口元を引き締めつつ少女のもとに向かった。彼女の右手を取り上げて、確かにセウスの紋章が宿っていることを確認した。

 わざとエイシスのある左手で幼い手を握り締めてみたが、宿ったばかりでは何の効果もないらしい。むしろ少女は痛そうに身をよじった。

 ―――なにをやっているんだ。

 こんな幼子相手に。

 苦笑い交じりにユリウスは少女の手を離した。

 少女は不思議そうにユリウスを見上げた。

 『時が来れば、目覚めるだろう』

 ユリウスは紋章に触れないように少女を抱き上げた。軽い体はすっぽりとユリウスに抱き上げられて腕にのせても負荷にもならない。

 このまま、呼びよせた馬のところまで行ってしまおうと歩き出した。

 少女を抱き上げ、そこから伝わるのは今まで感じたこともないほどの喜び。長く捜し求めていたものを手にしたと言う安堵感。

 改めて少女を見れば、さっきのユリウスの言葉だけでは何にもわからないだろうに、しかしその先を聞いてはいけないと思っているのか、ただただユリウスの目を見て真意を推し量っているようだった。

 そのうち少女は目元をうるうると潤ませた。がばりとユリウスにしがみつき、細い肩を震わせていた。すぐにも折れてしまいそうなほど華奢な体だ。

 ユリウスがぎこちなくあやすように背中をさすっていると、また少女は突然体を起こした。

 全くどうにもよくわからない。猫のような動きにユリウスが様子を見ていると、少女は自分の手のひらについた真っ赤な血を見て泣きそうな顔をした。

 少女の手についた血は、ユリウスが流しているものだ。

 少女を助けた時についた幻獣の牙がかすったときにできたものだ。セウスを振るっていた間は止まっていたから気付かなかったが、セウスが少女にうつったので、再び出血した、と言うところか。

 これくらいの傷、エイシスを呼んだらすぐ治るものだ。

 と、小さな手がユリウスの傷口を一生懸命押さえていた。口には何かを唱えている。

 かなり簡略化した高度な癒し能力を持つ魔法詠唱だとすぐに気付いたが、少女の望む魔法効果は現れない。

 それも当然だ。魔法効果が現れないことはユリウスにとって疑問もわかなかった。少女はたった今、聖霊獣であるセウスを宿したのだから。

 セウスが少女の魔力を貪り、自分の魔力と同化させ目覚めたなら、少女はまた魔法を使えるようになるだろう。

 それよりもユリウスは、さっき少女が唱えた魔法詠唱のほうこそ驚いた。10も迎えていないだろう少女が扱う魔法ではなかった。

 第一線で活躍するような超一級魔法士が使う呪文だったからだ。

 この年代、いくら魔法の素質があったとしても、もっと初期の魔法だと思っていたのだが……。

 だがさっきの攻撃魔法の炎もなかなかにすごかった。

 ユリウスがぼんやり考え事をしていると

 『血が出ちゃうよ、お願い、止まって……歩かないで』

 少女は泣きながらユリウスの首元を押さえていた。

 ―――え?

 ユリウスが立ち止まると、少女はほっとしたように目元を緩め、さっきの簡略魔法ではなく丁寧な呪文を唱え始めた。すべての聖霊に感謝し、どうか力を貸してほしいと願う、綺麗な言葉だった。よどみなく唱える呪文に、ユリウスは苦く笑った。

 どんなに願っても、今の少女の体では魔法効果が得られないと知っているからだ。

 なのに。

 少女の手に白く清らかな光が集まり始めた。

 少女は緩むことなく呪文を唱え続ける。

 そしてとうとうユリウスの傷を癒してしまった。

 対の聖霊獣にを宿した直後に魔法を使ったということは、まずありえないこととされてきた。

 それが目の前で起きた。

 ―――まさか……これゆえ?

 ギクリ、とユリウスの体に衝撃が走った。

 恐ろしいような直感だ。ただ、まだ核心には至ってない。

 少女はユリウスの傷が癒えて心底安堵したと言う笑顔を見せた。

 が。

 パタリ、と少女の手か力なく落ちた。少女も驚いたような表情をしたが、そうこうしているうちにぐったりとユリウスに倒れ掛かった。

 無理もない、本来使えないはずの魔法を使ったのだから。

 ユリウスは苦笑いしつつ、少女の小ぶりな頭を撫でた。艶やかな黒い髪がすべすべと指を滑り落ちる。

 『無茶をするな。あせらなくて良い。ちゃんと覚醒したらまた魔法は使えるようになるから』 

 気を失うように眠りに落ちた少女をユリウスは馬に乗せた。

 その肩にどこからともなく白い梟が降りてくる。ユリウスはそれの喉を数度撫でると再び空へと放った。ユリウスの頭上でくるりと回ったかと思うとまっすぐ王都に向けて飛んでいく。

 この村を襲った悲しい出来事を城と幻獣討伐部隊に報告するために。

 

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