遠き落日
青火は鬼火だという。
しかしこの青火は冷え冷えとしているのに神々しいほど美しい。
その青火に気付いた時、もう涙は枯れていた。
どれほど泣いただろう。
大好きな家族の変わり果てた姿に、大好きな村人たちの悲しい姿に、瓦礫になってしまったそれまでの家、村に、泣いて泣いて、泣くことしかできなくて、やがて涙も枯れた。
そんな時にぼうっと青い炎が目に入った。
……なんで、こんなことになったの。
ミズキは呆然と座り込んで、すべての惨劇を燃やすために青火を放った少年……、今、空を闇に染めようとする夕闇と同じ色の瞳を持つ彼を見上げた。
いくつくらいだろう? 自分よりも年上だけれど、まだあどけなさがどこか残る。
彼は少年といっても、とても美しい顔立ちをしていた。
人形を思わせるほど美の黄金率を極めた顔立ちは、しかしこの状況において、人間らしい温かみを一切感じさせない冷たいものだった。
あたりは先ほどまでの惨劇が嘘のように静かだった。
ほんの数時間前まで、悲鳴や爆音、物を投げた音、肉の裂ける音でいっぱいだったのに。
だからだろうか。
―――ああ、これは夢だ。
そう思った。
この村を襲った化け物たちも。
母親にここで静かにしていなさいと地下の貯蔵庫に入れられたことも。
祖父や父親たちに厳重にかけられた結界でそこから出ることも叶わず、がたがた震えながら聞いた皆の叫びや泣き声も。
やがてその結界も破られて、とうとう化け物たちにみつかり食われそうになった瞬間
『今、生きているのはもうお前だけか?』
ミズキを庇うように現れた彼も。
瞬く間に化け物たちをすべて切り捨てたしなやかな姿も。
化け物たちに殺されたすべての村人に浄化の炎を放ち、その燃え行く様を無言で見送る姿も。
きっと夢に違いない。
そうだ。これはきっと白昼夢で、目が覚めたらまた村も元通りにもどっていて、みんな生きていて、元気に笑いかけてくれるに違いない、ミズキはそう思った。
だってこんな悲しい光景、ない。
それを背景に感情のかけらもなく立つ美しい彼だって。
こんな、人形みたいに生気のかけらもないのに。
その彼の肩口が真っ赤な血に染まっていた。
そういえば彼はミズキが化け物に食われそうになっていたあのとき現れて、ミズキをかばってくれた。そのときそこを食いちぎられたのだ。
―――血、止めなきゃ。
手を伸ばそうにも、ミズキの体は、立つ事もできなかった。
自分の体重すら震える腕では支えきれず、ガクリと地面に崩れた。
彼のところに、行きたいのに……。
―――お願い、動いて。
もどかしさに、指先が地面を握り締める。
そのとき、ミズキは男の手のひらに浮かぶ、薄紅を纏った白い光を見た。
光は彼の手のひらの上でほのかに輝くと、ふわふわとミズキの顔の前に飛んできた。
……なんだろう?
ミズキが右の手のひらをそれに向けると、光の玉はそうっとそこに乗って、パンと輝きを増してはじけた。
『っ!?』
まぶしい光にとっさに目を瞑る。次に目を開けると、あの光はどこにもなかった。
そのとき初めて男の表情が驚きを含んだものに変わった。
『ご、ごめんなさい。今の……割れちゃった?』
『別に、それはかまわない』
彼はミズキの謝罪も特別気にとめるでもなく、ミズキの頭のあたりまで進んできて、ミズキの右手を彼の左手が取り上げた。
ズキンと少し痛みが走る。
『っ』
ミズキが眉をしかめると、彼はため息交じりに手を離してくれた。
『時が来れば、目覚めるだろう』
そういって、ミズキの脇に手を差し込む。
彼が何を言っているのかミズキにはわからなかった。聞き返すのもいけない気がして、されるがまま彼に抱き上げられる。
幼いミズキの体は、すっぽりと彼の両腕に包まれた。そこはとても柔らかくて暖かかった。
彼の胸元においていた手からはドクンドクンと鼓動が伝わる。
ああ、この人は生きている。
今、ここで自分以外に唯一生きている人。
どうにも無くしたくない離したくないぬくもりに、ミズキはぎゅっと彼の首に腕を回してしがみついた。
そのとき、ミズキの手をぬるっとした暖かいものが滑った。
赤くべっとりとしたそれは、彼の肩口から、いまだあふれてとまらない。
『ふ……ぇ……』
ミズキは急に怖くなった。
もし、今、彼まで命の鼓動をとめてしまったら……?
少し想像しただけでそら恐ろしいものを感じた。
ミズキは彼の肩口に両手を置いた。
どうか、とまって。
お願いだから止まって。
なのに、いつもは簡単に使えた魔法が、なぜかなかなか使えない。
彼が歩くたび、そこから血があふれてきて、ミズキの目から涙がこぼれた。
『血が出ちゃうよ、お願い、止まって……歩かないで』
ミズキは彼の肩口に手を置いて一生懸命、魔法の力をかして欲しいと聖霊にお願いした。
どうかお願い、彼の血を止めて。
お願いだから。
この人がいなくなるのはどうしてもいやだ。
ミズキの手から知らず知らずのうちに白い光があふれ出ていた。
何かを感じたのか彼は足を止めて、腕の中のミズキを見やった。
やっと歩くのをやめてくれたと、ミズキは彼を見上げた。
そうしたら、彼の肩口の血も止まった。
彼が驚いたようにミズキを見つめる。
―――血、止まってよかった……。
ほっとしたと同時に、体が鉛のように重くなった。
指先も腕も頭も。
『無茶をするな。あせらなくて良い。ちゃんと覚醒したらまた……』
彼が何かを言っているけれど、もう聞き取れない。
自分の体なのに支えきれなくて、急激に暗くなる思考にミズキはなす術もなく意識を手放した。
途切れる意識の中で、母親が安堵したように微笑み手を振る姿を見たような気がした。
それが、ミズキがそれまでの平和な世界を失った日、最後に見た夢だった。