それにまつわる誤解とあれこれ その7
それにしても、それにしてもである。
思い返せばグリスという男が気になった。
いい意味にではない。
会議室から出ると
「おーい、嫁ー」
ヴィクターがミズキを手招きした。
―――嫁ってなんだ、嫁って!!
心の中で思いつつそちらに向かう。
今度はヴィクターの執務室に入ると、そこにはエリザベスもクレスタも、ついでにレニーとヴィアンも揃っていた。
「……巨頭会議ですか?」
ミズキが思わず尋ねると、まさかとヴィクターが笑った。
それから真顔になって
「やつの機嫌はどうだ? なおったか?」
ミズキに尋ねる。
「あー……」
―――どうだろうなあ??
ミズキは苦笑いした。
「何を話したの?」
あいまいなミズキの表情に今度はエリザベスに尋ねられた。
ミズキは天井を見上げつつ
「やー……お前は一人で満足に家に帰ることも訓練も出来ないのかと言われて、かえす言葉もないなーと思いつつ、また万が一、自分じゃ勝てないほど強い相手に襲われたら、相手が塵になる瞬間まではいろいろ覚悟しなきゃいけないなーって……」
成り行きを話したら
「それ、言ったの!? ユリウスに!?」
エリザベスが目を丸めた。
「はい、いいました」
ミズキがあっさり頷くと、エリザベスが顔を両手で覆った。
ヴィクターもあちゃーと顔を手で押さえる。
「おまえさん、火に油注いでどうするんだ」
げんなりしたように言われて、ミズキも困った。
「……だって、今日はたまたまクリスが助けてくださいましたけど、毎回誰かが助けてくださるとは限らないじゃないですか。都合よく誰かが通りかかってくれるなんてそうそうあることじゃないですし。でもあの人のことだからこれからも私のことを観察するでしょうけど、それだって離れている場所でことが起きてしまえば手出しできるものでもありませんよね。理論上は可能とされている瞬間移動の魔法だって、まだ確立されていませんから。だったら相手が塵になる瞬間まで耐える覚悟っているのかなって……そういったらそのあと理不尽なこと言われて怒られましたけど」
ミズキが言うと、その場にいた面々はめいめい大きく息をついた。
「お前、俺が何のためにユリウスにさっきの場を無言と着席の命令を徹底させたのかわかれよ……」
「ちょっとユリウス様に同情したかも……」
ヴィクターとヴィアンがげっそりと呟く。
「あなたらしいといえばあなたらしいけれどね」
レニーも困ったようにミズキを見て笑った。
エリザベスもやれやれと息をついているし。
「自分でも、言い過ぎたとは思いますけど、でも腹立ったんです」
百歩譲って、確かに自分の嫁候補が誰かに汚されるのは確かにいい気はしないだろうって言うのはわかるけれど、でも、いつでも確実に自分が危ない時に助けに来てくれる絶対的英雄がいるわけではないのだ。
さっきミズキ自身が言ったように瞬間移動の魔法は確立されていないのだから。
それこそ
「お言葉ですがさっきのあの場で、最後の最後的なところで言えば私が穢されることはないという意味合いにとれなくもないことを、ヴィクター様とユーリ様でおっしゃったじゃないですか。つまり手出ししなくてもいいって思ったんじゃないのですか?」
それについてはミズキの中でもまだくすぶっていたのである。
「まあ!」
ミズキの問いにはエリザベスもレニーも目を丸めてヴィクターを睨んだ。
「おいおい! 勘違いするなよ! 普通に考えろよ、自分の嫁さんが他の男に手を出されるのが許せる男なんていないだろ! あの場ではグリスが対の聖霊獣に手を出したらどうなるのか知らない様子だったからそういっただけで、指一本触れられたくないんだぞ! 本当は!」
ヴィクターが慌てていう。けれどその言い訳の方向はエリザベスに向かって言っているのは明白だ。
エリザベスもまんざらではないのか、怒りを静めてならいいわと頷く。
ここの夫婦は本当に仲が良いなとミズキは羨ましくなった。
ふとレニーがヴィクターとエリザベスを見上げた。
「そういえば一応私たちも対の聖霊獣の宿主と普通の人間の禁忌は入隊時に聞いていたんですけれど、結局どこから先が死に値する禁忌になるのです? 普通に飲み物とか回し飲みしてますよね?」
その質問はミズキも気になるところだった。
ミズキも一緒に2人の顔を見ると、ヴィクターとエリザベスは顔を見合わせて
「あれだな?」
「あれね?」
と頷きあう。
そういう意味ではまだまだ縁がないというか知識のないミズキと、あとなぜかクレスタも首をかしげた。
エリザベスは少し考えるそぶりで
「別にね、普段の唾液や汗は毒でもなんでもないのよ。けど性行為中の体液は……」
「あれはなあ……。よくよくいうと対の聖霊獣同士の性行為は繁殖行為というより魔力の平均化を目的にしているも同然なんだ。つまりそのときの体液はまさに聖霊獣の魔力というわけだ。……毒だろ?」
「まさに毒ですね」
ヴィクターの問いかけにレニーは神妙に頷いた。
「ミズキはどうやら抗ってるようだがな、俺は正直、ユリウスは良く付き合って我慢してると思うぞ。クレスタも対を見つけたら、わかるさ。対の聖霊獣を宿した主同士の互いの魔力は、これ以上もないほどの嗜好性が高い美酒だ」
ヴィクターが心の底からいい、エリザベスも何度も頷いた。
―――そんなこと言われても。
ミズキは心の中で唇を尖らせた。
が。
ミズキは、そういえばとヴィクターを見上げた。
「そういえばユリウス様の魔力がたぶん明らかにごっそり減っていたんですけれど、何かあったんですか?」
ミズキが尋ねるとヴィクターはこれ以上ないほどがっくりとうなだれた様子を見せた。
「お前、それを今、俺に聞くのか? ユリウスには聞かなかったのか?」
「本人には聞かないほうが平和に思えたんです」
「それは自分自身の身の平和じゃないのか? 俺たちの心の平和を考えろ」
「私も人の子です。危ない橋は渡りたくないんです」
皆苦笑いした。
誰だって危ない橋は渡りたくない。
エリザベスはしょうがないわねと息をつくと
「ミズキ。あなたがさっき言った瞬間移動の魔法はね、実はもう現実で使われているのよ」
そう苦笑いした。
ミズキは目を丸めた。
初耳だったからだ。アカデミーにいた間でさえ、理論は言われているけれどどうやっても実現は不可能と言われていた。魔法の道と呼ばれる時間短縮道がせいぜいだと思っていた。
なのに使われているというのはどういうことだ。
「普通の人間の手に負える魔法じゃないから、実現不可能って言われているのよ。私の紋章、太陽の聖霊獣は光速で移動ができるの。つまり超高速移動、ね。だいたい見える範囲は一瞬で移動できるわ。だからそれを瞬間移動って言うこともできるのよ。あ、今はしないわよ?」
「あたりまえだ」
エリザベスの断りにヴィクターが疲れたように頷いた。
ミズキとて、出産間近のエリザベスに無理はしたくない。
「それでね、子どもの頃にユリウスがそれに興味を持っちゃってね。聖霊獣の力を使って、私と同じように超高速移動できるようになっちゃったのよ。場所は見える範囲。ちなみに見える範囲というのは自分の伝令鳥などを通じてでもいい、そのとき自分の魔力が同じ時間を共にしている場所……ようは伝令鳥のいる場所にはユリウスは一瞬で移動出来るって言うわけ」
ミズキは目が点になった。
「……あの、じゃ、ユリウス様の聖霊獣の魔力、ごっそり減っていたのは……?」
「……やらかしたってことだろ」
ヴィクターがげんなりと言う。
「私のじゃない聖霊獣の宿主があれをやったら、1回の移動でも結構持っていかれるからねえ。人間の魔力じゃまず足りないわよ」
エリザベスも頬に手を当てながら頷いた。
ミズキはあああと頭を抑えた。
なんだかいろいろパズルが繋がった。
なんであの日あの道に都合よくユリウスが現れたのかとか。
ユリウスの聖霊獣の食事が終わるまで、単独行動禁止令とか。
つまり今日あんなにユリウスの魔力が減っていたというのは、もしかして……いやきっとあの場面をユリウスも近くで見ていたのではないだろうか。エリザベスが言うところの瞬間移動をして。じゃないとあんなに魔力が減ることはそうそうないはず。
―――来てくれてたのか……。
ミズキが頬を瞬間沸騰させていると
「……お前ら、余計なこと言うなよ」
ユリウスがため息をつきながら入ってきた。
皆苦笑いしてそちらを見る。
「やー、あまりに隊長が不憫で……」
「不憫とか言うな」
ユリウスはヴィアンをぎろりと睨んだ。
でもその場にいた面々の目は、先日食事したばかりの対の聖霊獣がいるのに、それから数日後空腹になるということはつまりそういうことだろう? しかも、嫁さん、襲いかけられても次はそれを覚悟して受け入れようとか言っちゃってるしという、言葉にしないものの複雑な色を絶妙な配分でのせていた。
ユリウスはもう一度息をつくと
「ヴィアンはそれより何か腹の足しになりそうな案件を、なければ妖魔でもいいから見繕ってきてくれ」
ヴィアンに顎で指示を出した。ヴィアンは苦く笑いながら頷くと、ヴィクターの執務室を一礼して後にする。
彼が出て行く扉が閉まり終えてから
「で? クリス、何かわかったか?」
ユリウスは金と銀の瞳を持つ少年に向き直った。
クレスタは今度ヴィクターを見やった。ヴィクターが頷く。
「さっき、奇妙なことだけわかった」
突然と始まりだした4家重鎮たちによる巨頭会議の中、ミズキはぽつんと見えない話に首をかしげた。




