小話的なプロローグのエピローグ
サブタイトルのつけ方がへたくそで申し訳ないです。
ランドルフ家の豪華家紋入りで、やたらと乗り心地のいい馬車に揺られながら、ミズキ・レイノールはうつらうつらと舟をこぎかけては意識を取り戻し、という動作を繰り返していた。
さすがに明け方の2時間の睡眠では疲労が抜けない。
けれど、目の前の男の前で居眠りをこぐのだけはいかんせん耐え難い。
この、絶世の美女と並んでもなんら遜色しない、それどころかお株を奪いかねないほどの美男子、ユリウス・マール・ランドルフ公爵の前だけでは。
教会で彼の説法があると噂されれば、それはもうたくさんの貴族令嬢や信者が集う。
この国の凛々しく精悍で美しい王子と並んで、見劣りしないほどの美貌をもつ男。
そんな人物の前で醜態をさらすのは絶対にいやだ。
今更と思われようが、それでもいやだ。
だが、あまりに眠すぎて、頭痛すら覚えた。
ミズキが眠気と頭痛を我慢するためにぐっと眉間に力を入れ、司祭服の裾を握る手に力をこめていると
「いっそ隣でそうされるほうがマシだ。目の前で不細工な百面相をされるのは見るに耐えん」
見目麗しい男が、自分の隣の席をぽんぽんとミズキに叩いて示した。
―――不細工いわれた……。
眠たさを我慢している顔をそう言われては、反論のしようもない。
「申し訳ありません」
謝罪しつつ、目の前の男に言われる事柄に対しては、ことごとくミズキに拒否権はないので、仕方なしにユリウスの隣に腰をかけた。
……見た目だけなら、神様が与えた類を見ない美しさと優しげな顔なのに。目を見れば笑ってないわ、口を開けば、容赦がないわ。
ああ、もう。だったらこの立場から下ろしてくれといいたいけれど、さすがにそれは許してもらえないだろう。
寝顔を見られるのも、不細工なところを見られるのもいやだ。
だったらやっぱり隣であれば覗き込まない限り、表情は見られないだろう。
ミズキはなるべく男のほうに近寄らないよう気をつけながら手を膝で組んだ。
「……その後、調子はどうだ?」
ユリウスの抑揚のない声が降り注ぐ。
一瞬誰かに聞いているんだろうと言葉を無視しかけていたが、この馬車の中には自分と2人きりだと思い出しミズキは隣を見上げた。
「どう、とは?」
ミズキがぼけた頭で問い返す。
どうにもこうにも眠くて、イマイチ頭が働かない。
「右手の様子だ。昨日まではずいぶん腹をすかせていたようだが……昨夜の火炎鳥を食っただろ?」
ユリウスに言われてああ、とミズキは思い出す。
昨夜、というか今朝方のアレか。
今はあの時感じた妙な空腹感もなく、落ち着いている。
「大丈夫だとは思いますが」
ミズキは右の手のひらをしげしげ眺めた。
昨日の夕方、ユリウスとミズキは北のバレの港に帰国した。
先月から教会本部のあるバーネット神聖国に出かけていて、やっとの帰国だった。
しかし帰国直後、ユリウスのもとに伝令鳥が舞い降りた。
それはアニアス川沿岸に幻獣が出ているから討伐してこいという命令を携えていた。
すぐにユリウスはこの馬車を走らせて事件のおきているアニアス川に向かった。
あたりはすっかり夜更けの空気に包まれていたが、なんとなく魔力の流れで、幻獣との戦闘が始まっていることは感じていた。
今戦っているのは、妖魔討伐部隊らしい。
ミズキはアカデミーの頃、妖魔討伐部隊と幻獣討伐部隊は、能力が違うことを教えられた。この2つは管轄からして違う。妖魔討伐部隊は騎士団や魔法師団に属する。だが幻獣討伐部隊は、なぜか教団に属する。
それはおいといて、とにもかくにも今戦っている彼らでは荷が重過ぎるのは明白だった。
急がないと彼らは全滅するかもしれない、それどころか戦闘の状況によってはあのあたり一帯の街が壊滅する被害を受けるかもしれない。
ミズキの胸が痛んだ。
街が壊滅、それだけはどうしても避けたい。
ミズキは右手を握り締めた。
彼女は自分の身に宿る聖霊獣……ユリウスの宿す盾の聖霊獣の対である、剣の聖霊獣が目覚めた時、自分が負わねばならない職務を知った。
4家は飾りではない。
この国を守るための大切な武器・盾となる力だ。
こんな時は率先してその力を振るわねばならない。
また貴重で大切な力ゆえ、必ず血の中で聖霊獣を代々受け継ぐことを義務付けられている。
そのことに関していえばまだ、ためらいは残っている。
ためらいは残っているけれど、でも受け入れなければいけない時期も迫っていた。
日に日に自分の体になじんでいく聖霊獣。これを外すためにはミズキは死ななくてはいけない。
それだけは真っ平ごめんだ。
だったら受け入れるしかないのはわかっているけれど。
戸惑いを抑えるように、ミズキは空腹を訴える自分の右手を左手で押さえた。
ユリウスたちがアニアス川沿岸に到着した時、妖魔討伐部隊は善戦していた。幻獣討伐部隊じゃなく、妖魔討伐部隊が幻獣を相手にしているのだ。その幻獣をあそこまで追い込んでいるのは、妖魔討伐部隊によっぽど剣の達人と、敏腕の魔法使いがいるということだ。
だが。
ミズキとユリウスも幻獣が戦いの方針を変えたことを鋭く察知した。
あのままでは妖魔の自爆によって、辺り一帯何も残らなくなってしまうだろう。
「私が行きます」
ミズキはユリウスの判断も聞かないまま幻獣の前に飛び出した。
右手を前に差し出し、ぶれないよう左手を添える。
今に弾け飛びかねない幻獣に向けて、右手の剣の聖霊獣を呼んだ。
『セウス』と。
ミズキの手から光と共に溢れたセウスは、ぱくりと幻獣を丸呑みし、文字通り食べた。
その後は、どうやら獲物が美味しかったのか、満足そうにミズキの中でまた眠っている。
あの時幻獣は力を暴発させようとしていた。しかしそれも介さず飲み込んでしまうとは。
今ひらひら手のひらをふってみても、握ったりしても、右手にある刺青の目の模様は気持ちよさげに眠ったまま。昨日感じた空腹感はどこにもない。
と、その手をユリウスが自分の左手で奪い取った。
「っ!」
一瞬で全身を駆け巡った電流に似た甘い疼きに、くっと息を飲む。
「ふむ。なかなかいい感じだな」
ユリウスの表情に艶めいた色が混じった。
彼の左手から甘くしびれる様な熱が送り込まれそうになって、ミズキは慌てて右手を奪い返した。
今、絶対にユリウスはわざと左手を使った!
「味見はさせてくれないのか?」
「ご自分で調達なさってください!」
ミズキは上がりそうな息を耐え、頬を赤く染め潤んだ眼差しで、ユリウスを睨んだ。
ユリウスは楽しそうに笑みを浮かべると、くつくつと喉を鳴らした。
ミズキとユリウスの手には対なる聖霊獣が宿る。それが宿る箇所を触れ合わせると抗えないほどの甘く熱い疼きが生じる。
一方的にではなく双方に起きる反応。
ユリウスの祖父母から聞くところによると、対なる聖霊獣を宿した2人には、それが自然な反応なのだそうだ。
『大丈夫、そのおかげで浮気なんかもの心配もないし。まあ、ね? 最初は突き抜けちゃう快感に、はしたなさや後ろめたさも感じるかもしれないけれど、慣れたらもう、夫婦の営みのマンネリ防止策と思えるわ』
ユリウスの祖母に最初から赤裸々なことをあっけらかんと言われて、めまいがしそうになったのは内緒の話だ。
そもそも、夫婦の営みとかなんとかいってましたけども、そんなことになっちゃうんだろうか。
このユリウスと?
―――えー……?
想像しかけて、なんだか恐ろしいというか滑稽な様子しか思い浮かばない。
これまでにもいろいろあるけどそれはそれ。
第三者的に見ればかなりアンバランスだと思うが。
半年ほど前、ユリウスがいうには『ミズキに長年眠っていた聖霊獣が目覚めた』日に、ミズキはユリウスの家にわけがわからぬまま連れてこられた。そこでは、はじめから当然のようにミズキは彼の奥方扱いを受けた。
だが、はっきり言ってしまえばそんな一線を越えてしまったことなど一度たりとてない。
時々流されそうになったスキンシップはあれど、超えたことなどない、ないったらないのだ!
他の聖霊獣もちや経験者には信じられないという目をされるけれど、そんなもの知ったことじゃない。
ミズキにはどうしても譲れない理想があるのだ。
もちろん、ミズキ自身、司祭として勉強をしてきたのだから、この国の4家の役割と引き継がれる聖霊獣のことは当然理解しているし、役割も知っている。
対に選ばれた人間の本来の役目だってちゃんと知っている。
だが、その対の役割が自分の身に降りかかるだなんて、誰が想像しただろう?
しかもその聖霊獣が幼い頃から自分の身に宿っていて、それゆえずっとランドルフ家が全く存在を隠して後見にいたなんて……ねえ?
ユリウスはわざと妖艶に笑んで
「奥方の体調管理も私の大事な仕事だからな」
今度は右手でミズキの左手を取り、ミズキに見せ付けるように手の甲に唇を落とした。
「……! 私は!! まだその件に関しては納得したわけではありませんから!!」
ミズキは両手を引き戻して、彼から一番遠のくように隠すと、体もぐっとユリウスから遠ざけた。
そんな彼女の様子をユリウスは面白そうに眺める。
ふっと今度は優しげに笑んで
「なんだ? さっきの街で街長に夫婦と言ったことまだ根に持ってるのか?」
首をかしげた。
またしてもミズキの顔が真っ赤になった。
普段、透き通るほど白い彼女の肌は、こんな時ゆでだこみたいに首まで染まる。
「だが、お前が俺の対であるのは事実なんだし、あんな時間帯に数時間休むだけに2室も用意させるのは気遣いが足りないと思わないか?」
ユリウスは淡々と事実と正論を並べてミズキを包囲する。
「そ、それはっ、そうなんですけど! でも、ですね!!」
ミズキは顔を真っ赤にしたままぐっとスカートを握り、ユリウスに呑まれまいと反論した。
確かに部屋を2室用意させるのは申し訳ないとは思う、思うけれども! 寝台は2台あっても良かったんじゃないかと!
目が覚めたときにこの迫力美形を目の前に目覚めなければならないこちらの精神も気遣って欲しい。今更といわれてもなんでも気になるものは気になる。
涎が垂れなかったかとか鼾をしなかったかとか、いろいろ気にせねばならないことが山のようにあるのだ。
だが、この場合誰がユリウスに勝てよう?
口元には愉しげに笑みを浮かべ、あれやこれや考えて青くなるミズキの反応を楽しんでいる。
「昨日までの教会本部への届出の旅で、晴れて俺たちは夫婦になる許可も無事におりたことだし? 深夜未明の働きで疲労もずいぶんとたまっているだろう? 急ぐ旅でもないし、そうだな、その先の温泉宿でゆっくりしていくか? もちろんまた部屋も褥も一組で」
ユリウスの提案にミズキはがちがちになって頭を横に振る。
それだけは勘弁して欲しい。
どうかどうか後生ですから。
「まだあの時の期限はきてませんっ」
ミズキは涙目で反論した。
期限という言葉をユリウスも思い出したのだろう。
「そういや設けてたな。……首を絞めたな」
自嘲気味にいうけれどプルプルと頭を横に振るミズキには聞こえていないだろう。
ユリウスは穏やかに笑んで、ミズキを引き寄せた。自分の膝元に彼女を乗せ、胸元にミズキの頭を抱き寄せて深く座りなおす。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、そこここ中にユリウスの温かい体温を感じてミズキは真っ赤になって慌てた。
「なっ……!」
「じっとしてろ。暴れるな」
抱え込む形で腕を回され、動きを封じられる。
―――ぎゃー、これ以上密着したら緊張しすぎて死ねるっ!!
とすれば、一番じっと動かないことが得策に思えて、ミズキは両手を顔で隠してそのままの体勢を受忍した。
ちょっとも動かないよう、カチコチに体をかためて耐えているとユリウスのため息が拭きかかった。
でも、下ろすつもりは全くないのかミズキを抱えたまま窓の外を見やる。
再び静かになった車内で、心地よい揺れがミズキの睡魔をゆり戻した。
今、ミズキの手は、さっきとっさにつかまったままユリウスの胸元に両手をついていた。
下ろさなきゃ、そう思ったとき、馬車が石を踏んだのかがたんと揺れた。
反射的にまたユリウスの服につかまった。
昨日はバーネット神聖国の帰りともあって司祭服だったけれど、今はユリウスもミズキも普段の服を着ている。ミズキは白いブラウスと黒のドレス、ユリウスは白いシャツと黒いズボン姿だ。
ふと、ユリウスの胸元においていた手のところで
―――あ、あんなところ、傷がある。
傷一つない美しい男だと思っていたのに、シャツのあいた襟元から覗く鎖骨の彫りの途中に大きな傷あとがあるのに気付いた。
ぼんやりと、ミズキの脳裏に昔の記憶がよみがえった。
ミズキの最初の世界が終わった日、薄れ行く記憶の中で見た、自分を抱き上げる暖かな手。その胸元からあふれる赤い血。
あの日死んでしまった皆みたいに、この人まで動くなるんじゃないかって、その傷を手で押さえたっけ。
でも幼い子どもの手じゃ小さすぎて、傷を覆いきれなくって、もう歩かないでって言うのにどんどん歩くから、そのたび血がドクンドクンってあふれてとても怖かった。
もうずいぶん薄くなっているようだけれど、痛々しい。
なんとなく、手をそこに置くと、ユリウスがミズキを覗き込んだ。
あの日と同じ、夕闇の空と同じ瞳の色で。
彼の傷あとに置いた手の、手のひらから、どく、どくって規則正しい音が伝わった。
ああ、よかった。ちゃんとこの人は生きてる。
ミズキは安心して、襲われる睡魔に連れて行かれるまままぶたを閉じた。
規則正しい呼吸を繰り返しだしたミズキをユリウスは優しい目で見つめた。
彼女の顔にかかった絹糸のようなつややかで細い黒髪を、そっとよけてやる。
おきているときに手を伸ばし触れれば、目を白黒して、白い肌を真っ赤にして、そして怒ったり抵抗したりする。その怒ったり抵抗したりというのは、彼女の中の美徳と道徳的な観念を考えた結果から生じるもので、けして自分を嫌っているのではないとユリウスは知っている。
その抵抗する姿も気に入っていたりするが。
ユリウスはどこか自重めいた笑みを浮かべると、赤く艶やかなミズキの唇に自分のそれを重ねた。
とりあえず 夫婦になるらしい2人のプロローグのエピローグ。
…次からは 過去編です。
2012.11.26 一部加筆修正しました。