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それにまつわる誤解とあれこれ




 「ふうん? ユリウスが今朝機嫌が良いのはそういうこと?」

 エリザベスが目ざとくミズキの首もとのあざを発見してニヤニヤと笑う。

 「……!」

 ミズキが真っ赤になりながら目をぐるぐるさせつつ首もとを押さえ隠した。

 このあざだけは本当にびっくりした。

 ユリに首が赤いのは虫さされですか? お薬ご用意しましょうかと言われてミズキも自分の首を鏡で見た。

 そのときの第一声が『なに、これ!』で、驚くミズキにユリが慌てて、毒虫だったらどうしようとあたふたした。

 ただ、年かさで既婚のランがこほんと咳払いし、これは虫刺されではないからと教えてくれて……ランがどういう勘違いをしたかはわからないけれど、ミズキにはこれから体中にそういうあとがつくこともあるかもしれないけれど、数日で消えるから心配しなくて良いといい、ユリにもそんな痕で慌ててはいけないと諭すという一こまがあった。

 ―――まあ、そのなんだ? 夕べあの時にユリウス様につけられた痕なんだけども。

 しかしエリザベスは気にした風もなく

 「本当にね、食事したあとするのって、一番気持ちいいわよね。普段って普通に気持ちいいのはいいんだけど、やっぱり重ねすぎてるからあんまり魔力差ないじゃない? でも片方が食事したあとって圧倒的な魔力差があるから、繋がると流水が一気にざざっと流れてくる感じがたまらないというか、癖になるというか」

 ―――……誰か、誰かこの歩く検閲無視の貴婦人の暴走を止めてくださる方はいませんか!

 ミズキは逃げ場もなくエリザベスの赤裸々話に直撃された。

 「……エリザベス様。ミズキが石化してますけど?」

 「あら? 可愛い。このままうちに持ってかえって飾っちゃいたいわね」

 「……ユリウス様がお屋敷を崩壊させそうですけど」

 ミズキはエリザベスとレニーのやり取りをどこか遠い世界のように聞いていた。

 と、そこに。

 「なあ、すごく隊長機嫌悪いんだけど……昨日、仲直りしたんじゃなかったの?」

 ヴィアンが眉をしかめながらやってきた。

 は?

 その場にいた面々の目が点になる。

 「仲直りというか、その……そもそも喧嘩は別にしてませんでしたけど?」

 ミズキが恐々いうと、その場にいた面々は心の中で、それは嘘だと思った。

 昨日の2人の様子がおかしかったのは誰もがわかったことだ。

 それが、今日は何事もなかったかのようにいつもどおり。そしてミズキの喉や首もとには真っ赤な花を散らしたようなあからさまなあと。

 どういう仲直りが行われたか、見れば明らかだ。

 ミズキはできるだけ首もとの詰まった服を着て隠しているつもりのようだけれど、逆に目立つというか際立って眼のやり場に困る。

 「ヴィー、あなたが隊長に何かしたんじゃないの?」

 レニーが呆れたようにヴィアンにいった。

 他の人間に、そんな不機嫌さはぶつけられていないのだから。

 「ヴィー、ごめんなさい。ユリウス様にそんなにひどいことされたのですか?」

 ミズキが心配そうに尋ねるとヴィアンは、大丈夫だよと笑ったけれど、ふと首をかしげた。

 「ミズキ。隊長のこと、普段なんてよんでる?」

 「は? ユリウス様はユリウス様でしょう? ただ、今朝、そう呼ぶなといわれましたけど……」

 ミズキはいってから、かあっと顔を赤くした。

 今朝の、ユリウス様呼びごとに1度の口付けというのを思い出してしまって恥ずかしくなったのだ。

 白い頬だけに赤くなると良くわかる。

 しかし、彼を呼ぶごとに口付けはさすがにひどい嫌がらせでしかない。

 「でも、どうお呼びしたらお気に召すのか……」

 ミズキは俯いた。

 もじもじする姿は愛らしい、愛らしいけれど。

 「……俺、そのうち刺されそうな気がしてきた」

 ヴィアンはやれやれと手のひらを上に向けると、やってられないとその場から離れていった。

 「私、間違っていますか?」

 ミズキがレニーに問うと、レニーは苦笑いしていた。

 「なんだか聞いているとこっぱずかしくなるけど、気付いてあげて? このままじゃ本当にヴィーが気の毒だわ」

 そういってレニーも練兵場のほうに消えていく。

 ミズキとしては真剣な質問だっただけに、そういう反応をされると困ってしまった。

 「昔話をしてあげましょうか」

 最後に残ったエリザベスがミズキの鼻をちょんと指先で触った。

 ミズキが顔を上げると

 「私がなんでユーリって呼んでいるかっていう理由なんだけど。知りたいかしら?」

 エリザベスのなんとなく否を言わせぬ雰囲気にミズキは頷いた。

 エリザベスはにっこり微笑むと

 「最初は嫌がらせだったのよ。昔ユリウスの家にいったときに、ある子が呼んでいたから真似したの。ユリウスには私がそう呼ぶことをやめてくれって言われたけれど、そんな嫌がらせ……いえ楽しそうなこと私が聞き入れるはずがないじゃない? 続けるうちにユリウスがあきらめたわ。でもランドルフ家にもすぐ浸透したからいいのよ」

 ミズキはエリザベスを見上げた。

 ある子?

 以前、エリザベスがユリウスをユーリと呼んでいるのを聞いたときに、微妙に心に仄暗さを抱いていたミズキは、それを聞いて更に暗い気持ちになった。

 ―――なんだよ、他にもユーリって呼んでた子、いたんじゃないか。

 俯くミズキにエリザベスはにっこりと笑うと

 「10年前、ユリウスを最初にユーリと呼んでいたのはそのときランドルフ家にいた幼い眠り姫。さあ、誰でしょう?」

 そう言い残し、はちきれんばかりに大きくなった腹をさすりながら自分の執務室へと入っていった。

 臨月に入っているため、簡単な片付けや雑務があるらしい。……こんなことは俺がするとヴィクターがやきもきしているけれど、エリザベスはこれは私の仕事とピシャリと跳ね除けている。

 一人ぽつんと取り残されてミズキはあらぬ方向を見つめた。

 ―――10年前、ランドルフ家で眠っていた幼い女の子……。

 ミズキは自分の頬を抑えた。

 ミズキが最初の世界を失ったあの日。サノメ村から次にリラの街で目が覚めるまでの数日間、ミズキは記憶がない。

 あいまいなほどに。

 ノアに最初に尋ねたのは『ユーリはどこ?』という言葉。

 ミズキのおぼろげな記憶の中で、しっかりと残っている大好きな匂い、安心できる温度、リラの街で目覚めた時、それらはすべてなくなっていた。

 夢か幻かもしれないとさえ思った。

 けれど、先日ランドルフ家で、ミズキは10年前のあの数日間、あの家で眠っていたらしいことが発覚した。

 嘘だと思いたいけれど。

 何かの間違いだろうって言いたいけれど。

 あの時なくしたと思った匂いや温かさは今、ミズキのすぐそばにある。

ちゃんと、わかっているのだ。あの人が幼い頃のミズキが大好きだったユーリだということ。

 けれどそう呼べなかった。

 素直になれなかった理由は一つ。

 怖かったのだ。

 拒絶されたら、と思うと。

 でも、彼は望んでくれているのだろうか?

 自分がユーリと呼ぶことを……。

 「……いいのかな」

 手を伸ばしても……。

 ミズキはぽつんと呟いた。

 

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