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それもまた 望んだもの




 「奥方様、今日はお食事の儀、お疲れ様でした」

 「……」

 終始無言のミズキを、いつも通りてきぱきと世話をしていたユリとランも、最後は互いに顔を合わせた。

 2人は小さく頷きあうと、ミズキの夜着の後ろリボンをそっと結んで

 「今日はゆっくりお休みくださいませ」

 静かに部屋を後にした。

 しんと静かな部屋になると、いっそう心が重く沈んだ。

 外の木枯らしと違い、暖かい部屋の中のはずなのに、寒くて。

 さっきまでユリとランが整えてくれた寝台の上に腰をかけてみたけれど、そこに体を横たえることは出来なかった。

 いっそ、勢いで横たわって布団を被ってしまえばいいとも思うのだけれど。

 ミズキは隣の部屋に続く扉を見つめた。

 いまはいっそ堕ちるところまで堕ちてしまいたかった。

 ミズキは、手を突いていた自分の手元を見た。

 ここ1ヶ月ほど、ミズキはここで一人で眠っていた。

 平和だった。

 それなりに頑張ったほうだと思う。

 しかし。

 ミズキは静かに立ち上がると隣に続く扉を手をかけた。

 ためらいもなくすっと扉を開けて、そちらに入室する。

 そこはいつぞやと同じ、大きな寝台だけがドンとあった。夫婦が寝るためだけを目的とした部屋。寝台のすぐ脇には冷たそうな水が入ったガラスの水差しと、2つのガラスコップが伏せられておかれていた。

 ここにユリウスはいない。

 ユリウスだって最初のあの夜以外、更にこの隣にある自室で寝ているという。なのに、この部屋は毎日整えられて水も入れ替えられているのか?

 ここの使用人たちはどれだけ勤勉なんだ、ミズキは感心してしまった。

 コップの一つを取って、まだ冷たい水差しから水を入れると、ほんのりミントの香りがした。口に入れるとかすかにミントの味が残る。

 ミズキはコップを脇に戻すとその天幕の紗を指でめくった。

 ギシ……。

 寝台に膝を乗せる。

 なんだかいたずらっ子のかくれんぼをしているみたいだ。

 ミズキはくすくす笑いながらそのベッドの端っこに座った。

 ユリウスは来ないかもしれない。

 しかしミズキは彼が今夜ここに来るとほぼ確信を持っていた。

 なぜなら自分がここにいるのだから。

 しばらく寝台の固めの弾力を楽しんでいると

 カツ

 ユリウスの部屋から続く扉のノブが回った。

 ―――ほら。きた。

 ミズキはくすくす笑いながら彼を見ていた。

 くすんだ金髪と夕闇色の瞳がめずらしく困ったような様子でこちらにやってくる。

 なんでここにきたの? そんなことは尋ねない。

 ―――だって、私が望んだから……。

 ミズキは寝台の上に膝で立つと、ユリウスに手を伸ばした。

 ユリウスはその手に応じた。くすんだ金髪が紗をかすってミズキの細い腕の中に入っていく。

 ミズキはくすくす笑いながら……色のない翡翠色の瞳でユリウスを見つめた。

 互いの瞳に熱はなかった。

 あったのは落胆と絶望。

 しかし、ミズキは口元だけは愉しげに、ユリウスの首に自分の腕を巻きつける。ユリウスはミズキの細く華奢な腰に手を回し、さっきランが結んだ夜着のリボンをしゅっとほどいた。するりと夜着は空気を含んで、数箇所をボタンで留めているだけの心もとないつくりを露呈した。

 なくなった締め付けを気にすることもなく、ミズキはユリウスの頭の後ろに回した手に力をこめて、自分の体重で彼を引き倒した。

 2人で寝台にもつれ込んで、ミズキはまた笑んだ。ユリウスの精悍でこれ以上ないほど整った美しい顔を両手で包んで、引き寄せて口づける。

 とたんにミズキの咥内からまた甘い蜜が流れ出て、ユリウスがそれを漏らすまいと舌を絡めた。ミズキはその手を頭の後ろに回して強く抱きしめた。

 ユリウスの体はしっとりと熱かった。

 ミズキの体も、しっとりと汗ばんでいた。

 口付けは激しさを増し、ミズキの唇の端から飲み込みきれなかった互いの唾液があふれ出る。

 ミズキはうっすらと目を開けてユリウスを観察した。

 彼の眉間は怒りを耐えるような深いしわが刻まれていて、そういえば今日はずっと刻み込まれているなと思った。

 ……でも、それももう、どうでも良い。

 激しく絡まる口付けの間に、ミズキはユリウスの夜着の首元から右手を差し込んだ。 

 鎖骨にそって指でなで、夜着を肌蹴させながら彼の左腕をたどる。

 「っ」

 ユリウスの目元が苦しげにしかめられた。艶めいた表情にミズキは愉しくなった。

 そうしてたどり着いた彼の左手と自分の右手を絡めさせてしまえば、簡単に意識は飛んだ。

 もう、このまま熱くなって堕ちてしまえばいい。

 噛み付くようにミズキからあふれる魔力を貪るユリウスを、ミズキはもう片方の手で抱きしめた。

 ユリウスのもう片方の手がミズキの夜着の隙間から忍び込んで、勢いに任せて肌蹴させる。神経質そうなごつごつとした指先が、しかし割れ物に触れるかのような繊細な動きで、白くなだらかな肌をなでた。

 「はぁ……ん……」

 ミズキが白い喉を弓の様に撓らせると、ユリウスはそこにためらいなくかじりつくように吸い付いた。ミズキの声にならない悲鳴が響く。

 ユリウスは怪しく笑んで、首元から耳元までを更に攻めながら、手でゆっくりと確かめるように体をたどって、そこだけたわわな乳房に到達させた。

 「んっ」

 大きくてかたい手のひらで包まれて、でも動きだけは優しい指先に先端を引っかくように弄られてミズキは苦しげに眉根を寄せた。

 今まで感じたこともなかった嵐のような熱がミズキの思考回路を吹き飛ばす。

 もともとまともな感情は残っていなかったけれど、もどかしさに苦しささえ感じた。

 ―――もっと強くして。

 そんな回りくどいものじゃなく。

 ―――壊して良いから。

 ぐちゃぐちゃにして。

 ミズキの願いが通じたのかどうだかわからない。しかしミズキの柔らかくふっくらしたふくらみは、ユリウスの細い指の隙間からこぼれそうなほど形を複雑に変えた。

 「はあっ」

 ミズキの口から熱く甘い吐息がこぼれた。

 ―――もっと、もっと強くして!

 ミズキは更に強くユリウスを抱きしめた。

 いつか好きな人と結ばれたい。

 幼い頃から願っていた。

 でもそんな日は来ない。

 そんな日は来ないのだ。

 悔しさや悲しさは吹き飛んだ。

 繋がった手からそんなことがどうでも良くなるほど熱い更なる欲望があふれてくる。

 もういい、このまま繋がってすべてを貪りたい。

 「……バカな女だな」

 突然、冷めたような声がした。

 ミズキが目を開けると、ユリウスがミズキの脇に手を突いて、ミズキを見下ろしていた。

 「俺が許した時間はまだたってないだろう? お前はあきらめるのか?」

 ミズキの瞳から涙がこぼれた。

 「……バカな人。このまま私を抱けばいいのに。手をつないだだけでこんなにも一つになりたいって思うのに。このまま快楽漬けにしてしまえばいいのよ」

 ユリウスの瞳がまたさらに暗く沈んだ。

 夕闇の明るく暗い色ではない。

 闇に近い色だった。

 「……とりあえず、寝ろ。大人しく」

 ユリウスはミズキの上から外れると、ミズキの夜着をそっとあわせなおした。

 ミズキは首を横に振った。両手でユリウスを追いかける。

 「いっそ私をもう壊して! 夢を見るなんてバカな子どものすることだと……」

 「断る」

 ユリウスはミズキの脇に手をいれ、寝台の上に起こした。

 そうして自分の胸にミズキを抱きしめる。

 「そんなに俺と同じ化け物になるのが、いやか?」

 ユリウスの声にミズキが顔を上げた。

 しかしユリウスの手がミズキの目を押さえた。彼の顔は見えない。見えないけれど。

 「あきらめて俺に抱かれるほど、お前は俺を嫌いなのか?」

 その声はとても痛い。

 彼から伝わる気配はとても冷たくひんやりして、痛い。 

 ミズキは首を横に振った。

 彼にこんなことを言わせたかったのではない。

 「そんなにいやなら、矛盾を再現して……」

 「やめて!」

 ミズキはユリウスの手を奪った。

 ミズキの頬を伝う涙があとから後からシーツにしみを作る。

 それをぬぐうこともせずミズキはユリウスを見上げた。

 彼にここまで言わせたかったわけではない。

 「ごめんなさい……」

 ミズキはユリウスの首に自分の腕を絡ませ、引き寄せた。

 彼の肩口に頭を寄せて、何度もごめんなさいと謝罪する。

 「ちゃんともう一度考える。考えるから……」

 ミズキが言うと、ユリウスの大きな手がぽふんぽふんとミズキの頭を叩くように撫でた。

 「……そうしてくれ。頼むから、俺にお前を殺させるな」

 最強の盾と最強の剣、戦えば本来は互いに互いを壊すという。

 けれど、ずっと宿していた本来の聖霊獣の主と、対の聖霊獣の宿主として目覚めたばかりのミズキ、どちらが強いかなんて戦う前からわかりきったこと。

 搾り出すような彼の声は、きっと彼の心からの願いだっただろう。

 



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