初顔合わせ その2
2人はユリウスの祖父のラルフと祖母のマリーンだった。
「突然聖霊獣を宿しているって言われても、きっといろいろわからないでしょう? ユリウスはこんなだし。私とアルの子なんだからもう少し愛想良くて良いと思うんだけど、可愛げ全くないったら……。だから先代に聞いたほうが早いと思うのね」
「……先代?」
ミズキはセレアを見た。
セレアは少し苦笑いをして教えてくれた。
「ミズキ、聖霊獣は一族の者で最も好みにあった魔力の持ち主に宿るの。だから23年前、ユリウスが生まれるまで、剣と盾の聖霊獣は私の父、ラルフと母のマリーンが宿していたのよ」
てっきり、代々で受け継がれると思っていたけれど、セレアに宿ったという話を聞かないあたり、どうやら事情が違うらしいということにミズキは首を傾げつつ頷いた。
―――……それにしても23年前って赤ん坊じゃないのかな?
ミズキはユリウスをチラッと盗み見た。
「本当なら赤ん坊の魔力は安定せん。聖霊獣は赤子が育つまで、加護を与えつつ待つ」
しゃがれた声に、ミズキははっとして声の方向を見た。
ラルフが杖で体を支えつつ話していた。
「しかし、それがどうしても待ちきれんかったらしくてなあ。ユリウスが生まれ出た瞬間、剣も盾もワシらの体から出て行ってしもた。まあセレアとアルの子だ、無理もない話だがな」
ラルフはフオフオッと笑う。
ミズキにはなぜそれが無理もない話なのかわからない。
赤ん坊はいろいろ不安定で、聖霊獣がその体に二つも入るのはよっぽど危ないと思うのだけれど。
と、ミズキはアルファードを見つめて、そもそものことを思い出した。
アルファードは現国王の弟だ。
国王ルーファスは大地と豊穣の聖霊獣に選ばれたから、国王の座についた。
つまり王子の時代、その継承の可能性はアルファードにも当然ながらあったわけで……。
「残念ながら私もセレアも聖霊獣の加護は受けているけれど、継承者ではない。しかし、聖霊獣はより好みのものに鞍替えする。それゆえ、聖霊獣の加護を受けているものは命を落とすそのときまで、聖霊獣の器の候補者なんだ」
アルファードの話にミズキは頷いた。
加護を受けたものというのは聖霊獣が宿る資格があるということ。つまり魔力の質は十分に整っているということだ。
そういうことなら、納得できる。
剣と盾の聖霊獣の加護を持ったセレアを母にもち、大地と豊穣の聖霊獣の加護を持ったアルファードを父にもち……それゆえ、ユリウスは生まれ出た瞬間、魔力が安定もしない赤ん坊にもかかわらず、資質が十分すぎるほどあることから剣と盾の聖霊獣に宿られてしまった、と……。
ミズキは顔を手で押さえた。
なんだか聞いただけで頭が痛くなった。
ユリウスは自分の話である筈なのに、まるで興味もない他人事であるかのように、茶を飲んでいた。
「赤ん坊から受け入れるには少々きつい代物でな、これはよく体調を崩しておったが……」
ラルフは懐かしそうに目を細める。
その視線の先にいるユリウスに、愛情が注がれているのは一目瞭然だった。
まるで良くぞ大きくなったといわんばかりの眼差しに、ミズキのほうがもじもじしてしまう。
「ユリウスが5歳になろうかという頃……初冬だったか、剣の紋章が騒いだ。それでわしらは知ったよ。この世界のどこかに、剣の紋章を受け継ぐものが現れたと」
ラルフは今度、ミズキを見て目を細める。
「お前さん、いくつになる? 誕生日は?」
「……18です。誕生日は菊鹿月の7日……」
「なるほどな」
ミズキの返答をラルフは満足そうに頷いた。
一年を通して一番最後に咲く花の菊は、敬意を持って暦に取り入れられていた。
月の読み方は新年から、初月、雪花月、流水月、花萌月、若葉月、波月、海渡月、月夜月、門徒月、長船月、菊鹿月、聖夜月。
1年は春、夏、秋、冬と4つの季節を持っていて、一般的に雪解けの流水月から若葉月を春、波月から月夜月までが夏、学校が始まる門徒月から菊鹿月が秋、聖夜月から雪花月が冬とされている。とはいえ、若干気温によって季節の感じ方は前後があるだろう。
実際のところ、地域によっては菊鹿月の頃には雪で埋もれる地域もあるわけで……。
菊鹿月を初冬というのも無理はなく、それ故ラルフはミズキの返事に嬉しそうに微笑んだ、ということだ。
「ちゃんと受け継いだわけだな」
何の疑問もなくそう言い切る彼らに、ミズキのほうが違和感を感じた。
「……あの、よろしいでしょうか?」
ミズキが言葉を挟むと、ラルフはうんと頷いた。「聖霊獣が伴侶を決めてしまうということに、疑問を抱かれないのですか? たとえば好きな人がいても、それは無視されてしまうのですよね?」
ミズキの問いにラルフは目を丸めていた。
「なんだ? ほかに好きな男がおったのか?」
この言葉のやり取りに既視感を感じる。つい昨日のユリウスとのやり取りだ。
だがラルフの言葉には珍しい、といわんばかりの驚きが含まれていた。
「いえ、私の話ではありません」
間髪をいれず否定するミズキの言葉は、だがしかしラルフには全く届いていないらしく
「うーん、ほかに好きな男がおってもなあ、たぶんお前の体はもうそれらを受け入れられんだろうなあ」
ラルフは遠くを見ながらぼやいた。
「は?」
ミズキは意味がわからずラルフを見た。
「お前の中の聖霊獣が、他の男の種を拒む。お前に宿った聖霊獣が目覚めるまでの間に、聖霊獣がお前の体を作り変えとるからの。お前の体は他の男を受け入れることができん。同衾しようとしてもお前の体液の魔力に相手の男が耐え切れずに死ぬ」
―――……は?
一応、人間の生殖に関しての知識はミズキも持っている。持っているがしかし。
その斜め上を行く言葉の羅列にミズキは目を白黒させた。
―――ていうか、私、どこかの猛毒獣?
ミズキの唖然とした視線に気づいているかどうかはわからないが、
「対を持つ聖霊獣はどれもそういうつくりになっておるらしい」
ラルフは気にせず続けた。「同様に、対を持つ聖霊獣を宿した男も他の女は抱けん。種は魔力の塊で他の女には猛毒だし、そもそも他の女にオスとして機能しない」
ミズキは頭を押さえた。
自分の体が知らぬ間にどうこうされている事実は横においておくとしても、だ。
いつの間にやら自分は人類の女というカテゴリから外されてしまったらしい。
なんだか本当にいろいろ置いてけぼりにされている気がした。
と、そんなミズキに
「……あなたはユリウスが嫌いなの?」
それまでずっと黙っていたマリーンが静かに問うた。
ミズキはきょとっとマリーンを見て、苦笑いしつつ横に首を振った。
「好きも嫌いも、昨日お会いしたばかりですし……」
「あら? 10年前に会ってるんでしょう?」
ミズキの言葉にセレアが間髪いれず突っ込む。
「それは……ですが幼子でしたから。まあアカデミー時代に、ランドルフ公の話題は女子たちの口に良くのぼっていましたが、私にすれば雲の上の存在であられましたからね。昨日、お会いするまで、きっと2度と会わない縁のない方だろうと思っておりました」
ミズキがきっぱりと言うとセレアはげんなりと息をつき、マリーンは面白そうに笑った。
「ああ、もう。本当にうちで育てれば……」
さっきから幾度となくセレアが言う、うちで育てればという言葉がミズキは気になって、そちらを見れば、セレアは諦めにも似た息をつきながら教えてくれた。
「本当はあなたをうちで育てたかったのよ。遅かれ早かれうちの子になるんだからいいじゃないかって。けれどユリウスがどうしてもエルトーンに帰すって……」
ミズキはユリウスを見た。
彼にどんな意図があったか……気になるけれど、きっと教えてくれないだろう。
そんな気がする。
ミズキは小さく笑うと
「でも、私はノアに育ててもらったことを感謝しています。だから、ノアに私を託してくださったこと、心からお礼申し上げます。ありがとうございました」
深く頭を下げた。
「あなたがそう思っているならいいわ。私のほうも、たんにわがまま言っていただけだしね」
セレアが苦笑いして頷いてくれたので、ミズキはほっと心の中で胸をなでおろした。
「……話は変わる、というかもとに戻るのだけど」
マリーンがミズキに声をかけた。
その表情は年齢をずいぶん重ねているとは思えないほど、どこか少女のいたずらっぽさというか、女子特有の好奇心をありありと描いていた。
「もうユリウスと、手をつないだ?」
ミズキに優しく問う。
―――手?
ミズキは神経質そうに長い彼の指を思い出した。その手が絡むように自分の指を撫でたあの時……。
ぞくりとした震えがよみがえって、ミズキの頬がかっと赤くなった。
その反応にマリーンはまあっと嬉しそうに声をあげた。
なんだか薄ら寒いものを感じていたが、案の定。
「じゃあユリウスと同衾もしたのね?」
「ゲホッ」
思わずミズキは顔を横に背けて咳き込んだ。
ユリウスも向こうで咳き込んでいた。
……あの人でも動揺することはあるんだな、自分も胸元をなだめつつ、ミズキは心の隅で新しい発見に感動していた。
しかし、それにしてもである。
いきなり何を言うのか、この人は!
愛らしいおばあちゃんと和むどころか、油断も隙もない。
……いや、だがしかし。
マリーンのいう同衾の真意はともかく、本来の意味である同じ布団で今朝くっついて寝ていたのは事実だ。
思い出せば胃のあたりがギリギリと痛くなる。
「あら? まだなの?」
「よう辛抱できるな!」
マリーンは、あらまあとミズキに言い、ラルフも驚きを隠しもせずユリウスを見た。
「辛抱も何も。そういうことは互いに想いの確認みたいなのがあって、そして結婚してからではないのですか?」
ミズキは冷静に二人にいった。
ついでに向こうで睨みを聞かせているユリウスにも向けている。
幸い今朝は何もなかったようだが。
少なくともミズキは自分が好きで、自分を好きな男じゃないと、そういうことはしたくない。というよりすべきではないと考えていた。
なんでこんな道徳的なことを若い者が年寄りに言うのか……。
普通は血気盛んな若者に、控えろというのが大人や老人の役目ではないのか。
しかし、そんなかたいミズキを二人は笑った。
「お前さん、いまどきの若者のくせに頭が固いな」
―――いや、たぶんそれはあなたの性モラルがゆるいんです。
ミズキは心の中だけで反論した。口に出せるはずない。
しかし暴走老人は止まる事を知らなかった。
「そもそも結婚までなんて待てるわけない。対の紋章が近くにあったら、たまらなく欲しくなる。紋章を重ねたら、溺れたくなる。対が目覚めたら、なおさらその香りは何にも勝る媚薬だ。わしなんざ、これが目覚めた日に褥にひきこんどったわ」
ラルフは笑ってマリーンの手を引っ張った。
「まあ、あなたったら! 恥ずかしいわ!」
マリーンは恥ずかしそうに赤く頬を染めラルフの腕を叩くが、だがどこかまんざらでもない様子だ。
そんな2人にミズキのほうが真っ赤になった。
ラルフは自分がマリーンを引き込んだといっていたが……、ミズキは再会したその日に、うっかり自分がユリウスを引き込んだらしいという前科がついてしまった。
そしてラルフが言うところの、匂いに惹かれるというのももう実感している。
たまらなくいい匂いがするのだ、彼は……。
紋章じゃなく彼の香水か何かかもしれないけれど。
マリーンはミズキに向き直ると
「でも、あなたが不安になる気持ちもわかるわ。聖霊獣はやどるし、ユリウスも性格はともかく顔だけはあんなのがくっついていますからね、妻になるものとしてはいろいろ気をもんだり心配でしょう」
深い青い瞳でミズキを見つめた。
さっきまでのおっぴろげで恥ずかしい老夫婦の瞳ではなく、孫をいたわる慈悲深い色を持っていた。
「でも大丈夫、さっきラルフがいったみたいに、聖霊獣のおかげで浮気なんかもの心配もないわ。あなただけを大切にするでしょう。最初こそ紋章を重ねるだけで突き抜けちゃう快感に、はしたなさや後ろめたさも感じるかもしれないけれど、慣れたらもう、夫婦の営みのマンネリ防止策と思えるわ」
なんというか、大らかというよりむしろ赤裸々な老夫婦に、ミズキは顔が引きつった。
マリーンは更に続けた。
「あと対の紋章が次の後継者に継承されても、元の宿り主同士には効果が持続しているから、心配要らないわよ」
マリーンがニコニコしていう。
良く見れば、二人の手にはうっすらと紋章痕が残っていた。
きっとあの痕は消えないのだろう。それがずっと2人を結びつけるのかもしれない。
「だからじゃんじゃん子作りなさい?」
にっこりと笑顔で言われて、ミズキはその場で崩れ落ちそうになる体をどうにか堪え支えた。
いろいろ聞きたいことや言いたいことはあったけれど、なんだかそれ以上に聞きたくないあんなことやこんなことまで話しかねない勢いに、あとでユリウスに聞いたほうがよっぽど精神的にマシな気がしてミズキは黙り込んだ。
ユリウスも疲れたのだろう、その後の夕食を一緒にという誘いは固辞して、ミズキを連れて早々に自分の屋敷に戻してくれた。
ミズキもまた疲れていたので、それだけは本当に助かった。