奥方様のお仕事~特訓編~ その2
面白い事になりそうだと観客が増える中、不思議とミズキの気持ちは落ち着いていた。
エリザベスを見れば、彼女もまたミズキを見ていて楽しそうに棍棒を回し、ぎゅっと握り締めた。
「そろそろ始めましょうか」
エリザベスの言葉に、ミズキも少し重心を落とした。
棍棒で戦った経験などほとんどない。
アカデミーの授業で少し習ったけれど、基本のさわりを教えてもらった程度。
ミズキはぎゅっと棍棒を前に構えた。ついと右手が動いて棍棒を握る位置を少し変える。
ミズキは反射的にユリウスを見やった。
先ほどの助言がよみがえる。
『体の動きに逆らうな』
そういうことか、ミズキは改めてエリザベスを見つめた。
「ユリウスに捕まるなんて不運な子。あんまりぼやっとしてたら私があなたをその鎖から解放してよ?」
エリザベスはにっと笑うと棍棒を正面から振り下ろしてきた。
加速度もそうだけど、振り下ろすスピードも尋常じゃなく速い。
エリザベスの勢いにのまれそうになったけれど、ミズキは一瞬早く左によけて、パアンとエリザベスの棍棒をはじいた。
びりびりと伝わる衝撃に手がしびれてしまいそうになる。ミズキはそれを振り払って改めて棍棒を握り締めた。
かなりギリギリではあるけれど、ミズキの身に宿った聖霊獣のおかげでどうにか動けそうだった。
「さっきの1撃目をよけたのは褒めてあげる。でもそう何度もできるかしら?」
エリザベスは2撃、3撃目と今度は早く細かく棍棒を突き出してきた。それもまたギリギリのところでかわし避ける。
一通りかわしきったところでエリザベスはにっと笑って距離を取り直した。
「なるほど、ユリウスの対の聖霊獣を宿しているだけはあるわね」
くるくると棍棒をバトンのように振り回し、「でも、避けるだけでは終わらなくてよ?」
改めて攻撃姿勢をとる。美人はどんな姿も様になって一枚の絵のようだ。
ミズキもまた先ほどとは違う構えをした。右手に握った棍棒を背中に隠すように持つ。
勢いをつけてこちらに飛び込んでくるエリザベスをギリギリまでしっかり見つめ、ミズキは背後に握っていた棍棒をひらめかせた。
ぱあん。
棍棒が一つ空を飛び、カタンと地面に落ちた。
コロコロとエリザベスの足元に転がったのは先ほどまで彼女が使っていた棍棒だ。
「……」
エリザベスは、自分の喉元で寸止めされている棍棒の先にあるミズキの顔を見た。
さっきまでの炎がまるで嘘のように静かに、ミズキの棍棒を手でよけて、落ちた自分の棍棒を拾い上げる。
「どちらの紋章、身につけてるんでしたっけ。盾と剣、どちら?」
「……剣です」
ミズキは棍棒をおろしながら答えた。
エリザベスの息は一つも上がっていない、しかしミズキは肩で息をし、その膝はもう笑い出しそうなほどだった。
「なるほど。最強の剣をその身に宿してるの。なら私の速さを交わすのも無理はないわね」
エリザベスはにこりとミズキを見た。
それからユリウスを振り返って
「ご満足いただけたかしら?」
肩をすくめて見せる。
ユリウスは小さく笑ってパンパンと拍手を始めた。
それが引き金となってあたりの騎士たちからも惜しみない拍手がもたらされる。
「エリザベス」
向こうからクマのような大男が驚くほど心配そうな顔で近づいてきた。
レニーも近づいて
「エリザベス様、お身体は大丈夫ですか?」
少し心配そうに尋ねた。
エリザベスはうっとりする笑顔で頷いて
「大丈夫よ、これくらい。多少は動かないと母体にもよくないもの」
ふふふと微笑む。
―――母体?
ミズキはきょとんとエリザベスを見てそしてぱっと口元を手で覆った。
「あなたも心配しないで? 無茶はしないって約束したでしょう?」
エリザベスはそういうと熊の様な大男の頬にそっと赤い唇を寄せた。
―――あわわわわわ。
そうだ、エリザベスは伴侶がいる。4家の聖霊獣の宿主で、現在、伴侶を得ていることが公になっているのは国王と彼女の2人。
ミズキがアカデミーに入学するしないともめていた頃に彼女が結婚を発表したらしく、騎士コースの教室が一時通夜会場のようだったと言われている。
そのあとすぐ懐妊のニュースが流れて、再び騎士コースが通夜会場になったとの噂があったので、あれから何年だ?
たぶんその腹にいるのは第一子ではなく第二子だろうと瞬時に憶測する。
そしてあの熊のような大男が彼女の夫なのだろう。
―――美女と野獣!!
しかしとても幸せそうな2人だ。
「身篭っていらっしゃるとは知らず、申し訳ありません!」
ミズキが謝罪すると、エリザベスはきょとんとミズキを見て、それからくすくすと笑った。
「気になさらないで? 私も楽しかったのよ。それに先ほどの運動くらいでしたら私には準備運動くらいでしたもの」
エリザベスがニコニコしながらいう。
……どうやらエリザベスが身に宿す最速といわれる太陽の聖霊獣は伊達ではないらしい。
けれど、棍棒とか振り回していたのだ、それが腹に当たらなくて本当に良かった。
ミズキがぺたんと座りこけていたら
「その程度で息切れしてたら、戦地では本当に死ぬぞ」
ユリウスがミズキのわきに手を差し込んで引き起こした。
もちろんミズキだってわかっている。エリザベスに手加減されていたことも。
「あいにくと私は屋内生活愛好派だったんです」
引きこもり読書生活万歳!
それを地で行く生活をしてきたのだ。
最強の聖霊獣を身に宿しました、これで強い戦士にもすぐ勝てます! なんて問屋がおろされるわけがない。
くくっ、ミズキの耳元に笑い声が聞こえ、そちらを見ればユリウスがおかしそうに笑っていた。
これには他の騎士たちもぽかんとした表情をしていた。
「……ユーリの笑い顔なんて久しぶりに見たわね」
エリザベスも驚いたようすで呟く。
「これは俺を退屈にはさせないからな」
ユリウスはそういってミズキを椅子に座らせた。
それから
「それにしても体力なさすぎだ。鍛えろ。せめて1時間は戦えるくらいにならんと使えん」
今度はため息交じりにいう。
―――1時間も戦い続けるって! 屋内引きこもり読書生活愛好派に無理を言うな!
心の中で叫んだけれど、実際口から出たのは、はいという言葉だけだった。
戦場は下手をすれば1時間どころか1日続く事だってあるのだから。
「あと、レニー」
ユリウスがエリザベスのところについていたレニーを呼び止める。
「はい」
レニーはたたずまいを改めてユリウスを見た。
「これに魔法の組み立てを教えてやってくれ。どうも頭でっかちだ」
「かしこまりました」
レニーはくすくすと笑いながら頭を下げた。
またアカデミーの頃みたいにレニーに魔法を習うのか。
でもミズキは少し嬉しくも感じていた。
全く知らない人の中で、少しでも知っている人がいることがありがたかった。
「隊長、奥方様を一通りひけらかされた所でお尋ねしますが、本格的配置はいつごろを?」
別の騎士がユリウスに頭を下げながら尋ねた。
年はユリウスよりもいくつか上だろうが、身長はユリウスと同じくらい、ユリウスのうすい金髪に対し、目立つ赤毛だ。
顔立ちもユリウスはほぼすまし顔を通す人形のようだけれど、こちらは愛想のある綺麗な顔の男だった。
―――……もしかして、顔で選んでる、とか?
あたりを取り囲む騎士たちも髪の色こそいろいろと違えど、全員どこか気品があって見目がいいものばかりが揃っていた。
彼はミズキの視線に気付くとにっこりと笑んで
「はじめまして、ミズキ様。ヴィアン・ディ・コーリスと申します」
とろけそうなしぐさでお辞儀した。
「ミズキ・レイノールです。どうかミズキとお呼びください」
あきらかに貴族階級の人に傅かれるのは、庶民感覚として非常に居心地悪い。
ミズキが丁寧にお辞儀をするとヴィアンは小さく笑って
「ではお言葉に甘えて、ミズキ、どうか私のこともヴィーとお呼びください」
最初から愛称で呼ぶことを許してくれた。
なんとも気さくな雰囲気にミズキの頬が自然と緩む。
「奥方様、ご注意くださいね? この男は見かけ優しそうで面倒見のよさそうな男ですが、実際面倒見が良すぎて細君一人を選べず、女人を囲ってる危険人物ですからね」
ヴィアンの背後から覆いかぶさるように別の男が現れた。
黒髪の短髪で、強面系の精悍な顔つきに対し、少しひょうきんな男だった。年かさはユリウスと同じか若いくらいだろうか。
―――囲う?? って……?
なんだかあまりよろしくないような意味合いにミズキが首をかしげる。
「グリス、お前、言葉を……」
「わかった。では言い方を変えましょう。本妻も愛妾も選べないで全部自宅においてる女の敵です、と」
「……」
ミズキは驚きの目でヴィアンを見やった。確かに面倒見のよさげな綺麗な男ではあるけれど、女性に対しそこまでの包容力があるのか。
当のヴィアンは大きく息をつきながら顔を手で押さえる。
「……グリス……」
「あ、俺はグリス・ケリー。20歳。奥方様はまだまだ若いね。15、6歳くらい? 大将、いくら覚醒したからってまだ犯罪的じゃないっすか? 俺としてはもう少し育ってるほうがいいな」
そういって彼はミズキの胸元あたりを見た。
何を確認されたのかを知ってミズキの頬がかっと赤くなった。
「グリス、お前いい加減にしろ」
ヴィアンがグリスをぶんっと振り払う。グリスはおどけるように笑ってそれをよけたけれど、ユリウスが冷たい眼差しで一瞥すると顔つきを変えた。
ばつが悪そうにそっぽを向く。
ミズキは息をつきながらグリスに向き直った。
「どうか奥方扱いはやめてください。それについては証ばかりが先行して実感が伴いませんので。ですので私のことはミズキと呼んでください。あと訂正させていただきますと私は18です」
ミズキの言葉には、周りの者たちもどよめいた。
つまりミズキが年相応に見えないというのだろう。……おもに体つきが。
ここにいるエリザベスを筆頭にレニーなどもそうだが、この国の女性はだいたい豊満というか肉感的だ。胸なんかは豊かに膨れてウエストはきゅっとくびれている。そしてお尻はまたふっくらと美味しそうだ。
一方ミズキはというと、母方の東方の血を色濃く受け継ぎ、華奢というより貧相な体つきだ。
全体的に薄っぺらいという印象を与える。
そして顔立ちも童顔で、実年齢より幼く見られることが多い。
―――こんな組み合わせだったら、そうか、いくら私が婚姻的な年齢に達していても、彼は変わった趣味を持っていると取られかねないのか……。
ミズキは申し訳なさと自分への情けなさでどよんと沈んだ。
と、その頭上から声が降ってきた。
「……理想は1ヶ月だが。現実は2ヶ月といったところか」
温度をこめない声が何を言ったのか、一瞬皆わからなかった。
ヴィアンも気の抜けた顔でユリウスを見る。
「ヴィアン、お前が俺に聞いたんだろう? これの本格的投入時期だ。今のままでは体力が圧倒的に足りない。中の剣の反応に体が追いつかない。食事させつつ様子を見る必要があるな」
ユリウスがさっきヴィアンに聞かれていた返答だった。
―――食事?
全員でお食事会でもするのか? それとも育っていないミズキに無理に栄養を与えて育てるのか?
想像しただけで恐ろしい。こういうときはあれだ、余計なことは言わないに限る。
ミズキは黙ったまま話をきいていた。
「……御意」
ヴィアンは神妙な顔つきでユリウスに頭を下げた。
その後ユリウスはエリザベスに二、三、言付けをするとミズキの腕を引っ張った。
何事かと視線で訴えると、
「ベネスが早くつれて帰れとやきもきしていたからな」
そういってミズキごと隊舎の中に入っていく。
早くつれて帰ってこいと言われたのになぜか隊舎なのかわからない。
しかもレニーも一緒についてきた。
「さっきのだが」
ユリウスが廊下を歩きながら低い声でいう。
ミズキがそちらを見上げると
「グリスのいうことは真に受けるなよ」
小さく言われて、ミズキは頬が緩みそうになるのを一生懸命こらえた。彼なりにいろいろ気にしてくれているらしい。
かわりにわかりましたとだけ答えておいた。
地下に降りて、大きな扉の前で、ユリウスはようやく腕を放してくれた。
「レニー、あとは任せる。終わったら知らせてくれ」
「わかりました」
きょとんとそちらを見れば、レニーは小さく笑って
「ここ、湯殿なのよ。つまり汗を流してこいってことね」
そう教えてくれた。
ミズキは目をぱちくり2、3度ほど瞬いてからはあと大きく息をついた。
―――あの人の考えることは、いまいち理解できない。