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奥方様って 誰ですか?


 馬車に乗って揺られること数十分、ミズキは居心地の悪さを感じていた。これまで自分が知っているものと何もかもがかけ離れすぎて、なんだかむずむずした。

 ……いや、かつて幼い頃、無条件に親から与えられたものを貪っていた頃は、考えることもせず今思えば高価なものを身につけた時期もあった。

 しかし、その親や親族があの日亡くなり、あれから10年、今のミズキは自分の状況に見合った生活観が備わった。

 分相応という言葉も覚えた。

 だから余計に感じる。

 今の自分の状況は、ものすごく場違いなことになってるな、と。

 もう何もかも違う。

 この馬車自体がもう、本当に違う。

 全然揺れないし、さっきから結構座ってるけれど、お尻だって全く痛くならない。柔らかく、しかし弾力のあるクッション、そして座面は豪華な革張り、室内も色調穏やかにまとめられた空間は、さりげなくしかし立派な誂えだと一目でわかった。

 それに中の匂いからして違う。

 匂いの発生源はきっと彼だろうと検討付ける。

 ミズキのそれまでのイメージとして、街で働く男たちのように、男の人はもっと汗臭かったり、埃くさかったり、いわゆる男くささがあるという偏見があったけれど、ふわりととろけそうないい匂いがする。甘いって言うのじゃなく、かといってブルーやグリーン系、柑橘系の匂いとも違う。どう表現したらいいかわからないけれど、とにかくミズキ好みの良い匂いがした。

 その匂いに酔いしれそうになったけど、頭を振って我に返る。

 ミズキとて一応風呂には毎日入っているが、そういう匂いに対して日常的な嗜みがない。こんなにも匂いに気を使う人だ。もしもミズキのにおいを不快に思ったらどうしよう……。

 その現実に、ミズキの中の何かが一瞬でさめた。

 そしてさめたところで

 「……ランドルフ公爵、質問したいことがいくつもあるんですが、お伺いしても?」

 生まれて初めて乗る最上級の馬車のふわふわシートに、一抹の居心地の悪さと場違い感を感じつつも、それをどうにか敷き潰し、隣に座る美しい人に尋ねた。

 彼はミズキを見て、なにか不満気に眉をしかめ

 「気が向けば、な」

 ため息をつき頷いた。

 気が向けば、ってまた曖昧な。

 ていうか、ずるくないか?

 ミズキは一瞬そう文句をいいそうになったが、でもそれを口にしたらせっかく気が向けばもらえる答えも貰えなくなりそうで、慌てて質問を言葉に乗せた。

 「では1つめ。あなたはさっき、あちらの枢機卿方のお迎えは、私をモルモット扱いにすると言った。あなたはどう違うのです?」

 ……それを聞かずに車に乗ってしまったのは迂闊だったと思う。

 しかし、後の祭りだ。

 ただ直感的に、枢機卿に収監されるより、この人のほうがいいと思ったのもまた事実。

 彼はドアの窓枠に肘を突いて手に自分の頭をもたれさせながらミズキを見た。まじまじと観察するように見て

 「別に、私はあいつらみたいにお前を実験体にする気も、解剖してすみずみ調べる必要も今更感じていない。ただ、あのジジイどもが先にお前を連れてったら話が面倒になるから、こっちが先に動いただけのこと」

 そっけなく言い放った。

 ―――解剖って! どこまで解剖されるんですか!

 少し想像して寒気がした。

 けれど、ふと彼を見上げた。

 今更という言葉がひっかかった。

 でも。

 ミズキにこの手のひらのものを埋め込めたのはこの人だということを思い出した。

 これが何かなんて、彼は調べるべくもなく、知っている。

 だから、もしあちらさんに捕まっていても、どの道この人は迎えにきてくれたということだろう。

 つまり……?

 「じゃ、2つめ……」

 ミズキは2つ目の質問をしようとした。

 と、そのとき、馬車が止まった。

 「ついたな」

 彼は組んだ足を元に戻した。

 外から扉が開かれる。

 「お帰りなさいませ。旦那様、奥方様」

 と、とても渋いロマンスグレイな執事様が恭しく頭を下げた。

 「ああ」

 彼はそういうとミズキを立たせて先に降りるよう促した。

 ミズキはというと、一瞬きょとんと固まっていた。

 なんだか耳慣れない言葉を聞いたと思っている。

 その優しげなロマンスグレイはミズキに手を差し出すと

 「長くお戻りをお待ちしておりました。奥方様」

 曇りも霞みも何もない笑顔でおっしゃった。

 「お……おく!?」

 何かきき間違いだろうかと、ミズキは執事と背後のユリウスを交互に見るが、ユリウスはそっぽを向いたまま知らん顔をしているし、執事はニコニコ満面の笑みだ。

 「はい。私はこの屋敷の執事を勤めさせていただいているマーロウと申します。この10年、私どもは奥方様の一日も早いお戻りを願っておりましたので、ようやく願いが叶いましたこと心より嬉しく存じます」

 マーロウは恭しく一礼をする。

 「あの、どういうことですか!?」

 ミズキがユリウスを振り返ると、ユリウスは盛大に息をついた。

 「うるさい。俺がいいというまで喋るな。とりあえず屋敷の中に入れ。話はそれからだ」

 ユリウスは屋敷のほうを顎で示した。

 喋るなと言われてミズキはぐっと言葉を押し戻した。

 今にもあふれそうな叫び声もどうにか我慢する。

 マーロウの手を借りて馬車からおり、ミズキは屋敷を見上げた。

 そこは、ミズキが住んでいたリラの領主様のお屋敷よりも小ぶりだけれど、しっかりとした石造りの、でも十分大きく立派なお屋敷があった。

 これが、この国の大貴族と呼ばれる4家のお屋敷……?

 つくりとしてはシンプルだけれど、かなりしっかりしているのは見て取れる。ただ、こう、想像していたどーんというお城ではなかった。

 ミズキの反応をどう捉えたのかは分からないけれど

 「こちらはユリウス様の私邸でございます。本宅はここから東に馬車で30分ほど進んだ場所になります」

 マーロウが説明した。

 ―――あ、なるほど。

 大貴族の家が地方領主の家より小さいはずがないな、ミズキは自分の早合点に苦笑いをした。

 だが、だがである。

 中に通され、喋ることを許されないため、黙って話を聞きながらミズキの眉根には深くしわが刻み込まれていた。

 「こちらが奥方様のお部屋にございます」

 マーロウの案内で通されたのは、ミズキがいた教会で司祭長クラスにあてがわれていた部屋よりも倍も広く、あつらえも数段立派な広い部屋だった。

 その調度品も一見、シンプルにみえるけれど、どれも一目で立派な材と手が加わっているとわかるものばかり。

 色合いも落ち着いた生成り色や木目調で目に優しい。

 奥方様云々は置いといて、ミズキにはもったいないような部屋だった。

 「急なお戻りで、ご不便をおかけすることがあろうかと思いますが、何かご入用のものがございましたら、私か侍女頭のベネスにお申し付けくださいませ」

 奥方様という呼ばれ方にミズキはなんともいえない複雑さがこみ上げる。誰の奥方様と呼ばれているのか、確認をするのが異様に怖い。

 マーロウに手で示された侍女頭がすっと前に出てきて、優雅な礼をとってくれる。

 ベネスという女性は、口元にしわが入っているが、少し厳しい表情の、でも若い頃はきっと気が強く美しかっただろうと思われる女性だった。

 ベネスは

 「奥方様のお好みになる色や体型が分かりませんでしたので、お洋服や下着がまだ間に合っておりません。今日のところは既製品でご容赦ください。明日、針子を呼ぶ事になっておりますので、そのときにお洋服をそろえさせていただきます。あとお部屋のあつらえも、奥様の好みを伺ってからとのことでしたので今は飾り気もない状態です。近くこちらも業者を呼びますので、それまでご容赦ください」

 そういうと恭しく頭を下げた。

 ミズキも礼を返したもののおさまらない居心地の悪さにむずむすした。

 いろいろいいたいのに、まだ喋れない。ちらりとユリウスを見れば、

 「もう喋ってもいいぞ」

 面倒くさそうに許可が出た。

 ようやく許されてミズキは詰めていた息をはぁっと吐くと、マーロウとベネスに改めてちゃんとしたお辞儀をした。

 「ミズキ・レイノールです。今は頭が混乱して何をどういえば良くわかりませんが……お世話になるような様子なので、どうかよろしくお願いします。それから私のことはミズキとおよびください。あと、私はそんなにお洋服なんて要りません、標準の修道服を少しいただけたら十分でございます。裁縫道具を貸していただければ微調整も自分で出来ます。もしお屋敷仕事でお手伝いすることがあればお申し付けください。お部屋も分不相応なほど立派で、十分すぎるほどです。お気遣いありがとうございます」

 ミズキがそう並べるとベネスは居をつかれた顔をした。無言でマーロウを見上げる。マーロウはさっきからの朗らかな表情を変えないまま

 「お茶を用意しましたら私どもは一度下がります。どうぞお心ゆくまでお話し合いくださいませ」

 にこやかに一礼をして下がった。それと入れ替わるようにして、ノアと同じくらいの年齢だろうか? 侍女がワゴンを押して入ってきた。テーブルの上に、流れるような手つきでお茶菓子と紅茶が並べられる。

 準備ができると彼女も一礼して去ってしまい、とうとう部屋にはユリウスとミズキが残された。

 なにをどうしていいのか分からず、ミズキがちらりとユリウスを見やると、ユリウスはやれやれと顔に書いてソファに座った。

 「あの……更にお伺いしたいことが増えてしまったのですが。ランドルフ公爵、とりあえず、今の私のこの状況って何ですか?」

 ミズキが問うと、ユリウスは

 「姓で呼ぶのはやめろ」

 そういった。

 一瞬、何のことかわからず首をかしげると

 「忘れたのか?」

 彼が確認する。

 ミズキはしばらくユリウスの顔を見てどうしたものか考えたが

 「……ユリウス様」

 彼の名前を呼んだ。

 とりあえず、今この立場の意味を知るのは恐ろしいけれど、どの道長く帰れないということだろう。

 だがまたしてもユリウスは少し微妙な顔をした。

 ―――なにか、間違えた?

 ミズキが恐々伺っていると、ため息をついてユリウスは手でもう一つのソファをミズキに勧めた。

 話が長くなりそうだなと感じ、ミズキも頷いてそこに座った。

 ユリウスの長い指かティーカップのもち手にかかり、優雅に口に運ぶ。

 そういえば喉が渇いていたなと思い出し、ミズキもそれに倣う事にした。

 「……いただきます」

 一口、口に含むと、花園にいるような錯覚がするほど、美味しいお茶だった。

 ただしお高くとまった感じのしない花園……。

 美しいたくさんのバラを感じるけれど、どちらかというとワイルドローズに近い香り、そこにほんのり柑橘が入っているような、そんな味。

 「……美味しい」

 ミズキが思わず呟くと、そこで初めてユリウスの表情が和らいだ。

 ミズキを見つめて小さく笑む。

 思わずミズキの鼓動が小さく跳ねた。慌てて、いやいやそんなはずないと打ち消したけれども。

 「さっきの質問。この屋敷におけるお前の立場だが」

 しっとりと耳になじむ声に、ミズキはたたずまいを改めた。

 音を立てないようにティーカップもソーサに戻す。

 が。

 「マーロウやベネスが言っていたように、お前はこの屋敷の女主ということになる」

 ユリウスの返答に、ミズキの目元がいささか険しくなる。

 嫌な予感しか感じない。太ももの上においていた手はぎゅっとスカートを握り締めていた。

 「……それは何故ですか? 奥方様と言われても、そもそも私は結婚もしておりませんし、予定もありません」

 「婚姻の日程についてはこれから決めるから気にしなくて良い」

 「いや、相手もいませんし」

 「おまえな、ここは俺の家で、お前が女主になるんだから、相手は俺以外に誰がいる」

 夕闇の瞳の色にまっすぐに射抜かれた。

 穏やかな光の中に、その瞳の色は少し似合わない。けれど、彼の全体の風貌が華やかで美しい絵画のようだから、逆にアンバランスな雰囲気があってなかなか見ごたえがある。

 しかし。

 いきなりの話にミズキは額を押さえた。

 「すみません、あまりに想像を超えた展開で頭がついていきません」

 「ちゃんと時がきたら迎えに行くといったはずだが?」

 「記憶にありませ……ン?」

 ミズキは反射的に言い返しかけたが、何かがかすったような気がした。

 10年前のあの日……。

 ミズキは初めて彼とあったあの日のことを思い出していた。

 夢と現であやふやな部分があるけれど、確かに、迎えに来るという言葉を聞いた。

 『いつか時がきたら目覚める』

 ―――……何が?

 ミズキは自身に問いかけながら漠然と自分の右手を見ていた。

 きっと、この手……。

 『あせらなくて良い。ちゃんと覚醒したら、迎えに来る』

 そうだ、遠のく意識の中で聞いた。

 彼の腕の中で。

 ……夢でないのであれば。

 呆然とユリウスを見つめながら、ミズキは確かに思い出した。

 一度思い出せば他のあれこれも芋づる方式についてきて、ミズキの頬が一瞬で赤く染まる。

 「記憶にあったか?」

 絶妙のタイミングで、にやりと笑うユリウスに

 「……夢でなければ、あったかもしれません」

 ミズキはしぶしぶ頷いた。

 夢であって欲しいと思うけれど。

 たぶん、きっとあれらは現実。

 ミズキは火照った頬を手で押さえた。


 

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