邪魔する女の仕返し
社会人二年目にして、初めて僕は同僚に誘われて合コンに行った。
本当は合コンなんていうものにはまるで興味がなかった。
なぜなら、初めから目的が「相手探し」というような気がして、僕はそこまで異性にがっついた男ではなかったからだった。
同僚の「どうしても男一人足りないんだよ、頼む!」という言葉を受けて、しぶしぶ行ったのが事の始まりだった。
そこには、男女五人ずつが居酒屋の長テーブルに集合していた。
僕は興味がなかったというのもあって、テーブルの一番端に座った。
僕の目の前には合コンという派手なカップル作りの場に似つかわしくない雰囲気を持つ、大人しそうな良子という女性が座った。
自分から話をするというよりは人の話をじっと聞き入り、まっすぐに人を見つめて優しく笑いかけていた。
がやがやと盛り上がる雰囲気の中だからなのかもしれないが、周りの雰囲気の中では 彼女の存在が僕にとってはオアシスのように思えた。
そんな良子は輝かしく見えて、心の中で「合コンにきて良かった」と思えた。
その良子の隣には、彼女とはまるで正反対とも思える和子という女性が座っていた。
この合コンの盛り上げ役なのか?と思うほど、和子は一人で話し続けていた。
むやみにはしゃぐ彼女の声は、キンキンと居酒屋内に響き渡りラジオに入る雑音のように感じていた。
彼女の存在は、この雰囲気の中で邪魔以外の何者でもなかった。
誰かが「和子さんの唇は忙しそうだ」と言った。
その言葉は、遠まわしの嫌味だということをここに出席している誰もが感じていたようだった。
そんな言葉を意に介す様子もなく、和子は笑いながら肩をすくめ舌を出した。
どうやら彼女には周囲の人の気持ちを察するという考え方は頭に無いようだ。
僕の目には既に良子の姿しか写らなかったのに、そんな視線の前には必ず和子が入ってきていた。
何か僕に話しかけたようだったけれど、それさえも耳に入ってこなかった。
「ねぇ、そうでしょ?」
和子が僕の目の前に躍り出る。
心の中で「ごめん、目障りなんだ。君には興味ないよ」と思いつつも、「そうだね」と生返事だけ返していた。
会もお開きの時間になり、合コン恒例の携帯番号渡しをすることになった。
この合コンでは、自分の携帯番号を紙に書いて、意中の人の前に置いてその場を後にするという決まり事があった。
そして、女性がもらった相手の携帯番号にかけると成立ということらしい。
僕は自分の携帯番号を紙に書いて、良子の前に置いて席を立ち店を後にした。
三日後、和子から電話がきた。
「良子に電話番号渡したでしょ?あの子大人しいからさ、私に代わりに電話してくれって言ってきたのよ」
代わりに?本当にそうなんだろうか?
「でさ、デートってことで一緒に映画でもどう?」
突然の誘いに、僕は戸惑ってしまった。
その誘いが良子からなら本当に嬉しいけれど、今僕がデートをしようと聞かれている相手は和子なのだ。
返答に困り無言でいると、和子はさらに話を進めた。
「良子が私も一緒に、って言うんだけど、次の日曜日行くって決めちゃっていい?」
良子と二人のデートなら楽しみにできるのに、よりによって和子も来るのか。
せっかくの初めて良子とデートできると思ったけれど、彼女が本当に和子に頼んだのかもしれないと思い、仕方なく日曜日に三人でのデートを了承した。
日曜日になり、僕らは映画を見に行った。
映画館では、僕と良子の間に和子が座った。
映画が終わり食事に行くと、僕の前には和子が座り、良子は斜め向かい。
食事を終えて外にでると雨が降っていた。
僕が用意してきた傘の中には和子が入ってきて、僕と和子が相合傘をして良子は後ろから僕らの後を歩いてきた。
初めてのデートなのに、和子の存在にはうんざりしていた。
今日のデートは、まるで僕と和子のデートのようだ。
別れ際、良子に「また一緒にどこかにいこう」と言った。
彼女は静かに「うん」と答えた。
すると和子が、「じゃあ来週は遊園地に行こう!」と叫んだ。
和子がいる前で誘ったのが失敗だった。
「良子と僕の二人だけで」と言えば良かったんだろうけれど、ため息をつきながら仕方なく和子が来るのを了承してしまった。
和子は良子の友達だというのもあって、とても無下にはできなかったのだ。
そんなことで、二度目の遊園地のデートも三人だった。
遊園地がデートによく利用されるのは、二人乗りの乗り物が多いからなんだろう。
ジェットコースターもお化け屋敷もウォータースライダーも、全て二人乗りの乗り物には僕の隣に和子がいた。
ここまでくると、和子の良識を疑ってしまう。
もしかして、和子は僕とデートしているつもりなのだろうか?
一方、良子は楽しそうに笑みを浮かべ続けている。
きっと彼女は、人を恨んだり妬んだりという邪な心が本当にないのかもしれない。
なんとか良子と二人の時間をつくれないものかと、観覧車を待つ列の中で作戦を考えてみた。
僕らの前には一つの観覧車に乗り切れない人数のグループが楽しそうにはしゃいでいて、彼らの順番になった時に、係員が和子を彼らのグループと間違えて乗り物に押し込んだのだ。
和子が、「いえ、私は一緒ではありません!」と叫んだのを聞いたのだが、係員が僕の目を見て「混んでるから乗り合いでもいいですか?」と聞いた問いに「どうぞ」と和子にわからないように答えたのだ。
和子が悲痛な声が遠ざかるのを聞いて、ほっとした。
良子は少しうろたえた表情をみせ、「和子、大丈夫なのかしら?せっかくのデート中なのに……」と呟いた。
僕は疑問を感じて、良子に尋ねた。
「良子さん、僕が携帯番号を置いたのは君の前で、前回のデートも今回のデートも僕は君と僕のデートだと思っていたんだけど?」
良子は不思議そうな顔をした。
「あの日、私の前には誰の携帯番号も置かれてなかったんです。和子は自分のデートなのに、いつも私に声をかけてくれたと……思っていたのですけれど?」
和子が良子に渡るはずの僕の携帯番号の紙を取った事実が明らかになった。
和子は僕とデートしている気分だったのだろう。
僕が好きだったのか?
それとも自分の前に誰の携帯番号も置かれていなかったことへの嫉妬なのだろうか?
僕は改めて良子に僕の携帯番号を渡した。
そして、僕が和子ではなく良子と付き合いたいと思っていることを告げた。
良子は頬を赤く染め、はにかみながら「よろしくお願いします」と答えた。
邪な和子に僕らの関係を邪魔されないように、このことは和子に内緒にするように良子に釘をさした。
和子が観覧車から戻ってくると、顔を真っ赤にして文句を並べた。
「どうして止めてくれなかったのよ!ひどいわよ!」
良子がうろたえていている姿は忍びないので、「いいじゃないか、三人で一緒に乗れば……」と軽く和子を慰めた。
それでも和子の気持ちは収まらずに怒りの言葉を撒き散らし、なんとも苦痛な時間になった。
次のデートから、僕はやっと良子と二人の時間を楽しむことができた。
電話も良子と話せるようになった。
やっと僕らの交際が始まったという気持ちだ。
良子は口数が少なかったけれど、いつも笑顔を見せる女性だ。
子どもやお年寄りには、積極的に手助けをみせるような優しさもあった。
妬みや嫉妬という言葉は、彼女の中に見つけることができなかった。
そんな理由もあったのかもしれないが、良子の側にいた和子はネチネチしたような空気をいつも感じさせた。
だからこそ、和子が良子に嫉妬したのかもしれないと感じた。
良子との楽しい時間があるからこそ、和子の僕への毎晩の電話が鬱陶しく感じた。
今日何があったのか?どこにいったのか?ということにはじまり、どんな食べ物が好きだとか何色が好きだというものだった。
和子には好意がないどころか、良子への携帯番号をこっそり取ったことやら、嘘をついていたことへの嫌悪があった。
毎日かかってくる電話は、良子と僕が和子に内緒で関係を進めていることがばれないようにするための我慢と考えていた。
そんな気持ちがあったから、僕が和子の話を聞いていないことで、和子がイライラしたり、腹をたてるようなことが頻繁だった。
それでも和子に良子との関係を知られ恐ろしく苦痛な時間を得るよりは、僕にとってはまだマシだと思っていた。
しかしながら、和子への秘密がバレるその時がきた。
街で良子と二人で買い物をした僕らは、交差点で信号待ちをしていた。
歩行者信号が青になって歩き出そうとすると、前から女性がすごい勢いで僕らに向かって走ってきた。
それは鬼の形相をした和子だった。
彼女は怒りに声を震わせていた。
「あんたたち、二人で何やってるのよ!」
良子は顔を青くして、涙声で言った。
「ごめんなさい、ごめんなさい。隠すつもりはなかったの。でも和子があの合コンの日に、私の前に置かれた電話番号をくすめたのを知って……、だから言えなかったの」
和子は良子の顔を睨み続けた。
そもそも、良子が手にするはずの携帯番号をくすねた和子が悪いのであって、良子にも僕にも疚しいはずだ。
それなのに、なぜに和子はあんなに強気で良子に怒りをぶつけるのだろう。
和子が怒りに振るわせた右腕をあげ、良子の顔に平手打ちしようとした時に、僕の中の堪忍袋が切れた。
振り下ろされる和子の右腕を掴んで止めた。
「いい加減にしろよ!」
和子への怒りの言葉が流れ出てくるのを自分でも止められなかった。
「毎日僕に電話をかけてくるのもいい加減にしてほしい。僕が好きなのは初めから良子だけで、君じゃない。僕の目の中に君が移りこむのさえ邪魔なんだよ!」
和子の怒りの眼差しは、蛇のようだった。
良子は僕の横ですすり泣き、僕らの周りにいた人たちが三人の様子を怪訝な顔をして見つめていた。
和子は低く小さな声で一言つぶやいた。
「覚えてらっしゃい……」
たった一言を言い終えると、くるりと後ろを向いて走って人ごみの中に消えた。
僕は良子の肩を抱いて、「大丈夫、僕らは何も悪いことはしていない。姑息なことをしていたのは和子なんだから」と慰めた。
その数秒後だった。
道の反対側から数メートル離れたところで悲鳴があがった。
「救急車を呼んで!」
僕らも横断歩道を渡り人ごみの方へ歩いていった。
そこには、さっきまで僕らを睨みつけて鬼の形相をしていた和子が、トラックに轢かれて道路に横たわっていた。
道路には和子のどす黒い血が耳や頭から、少しずつ広がっていた。
あれからもう七年たった。
僕と良子は共通の忌まわしい思い出を癒しながら付き合いを続け、あの日の事故から三年して僕らは結婚という形で結ばれた。
翌年には、かわいい娘が生まれた。
夫婦の間に子どもが生まれたことで、僕らの過去の影を薄くしつつあった。
こんなことに気がつかなければ、色濃く思い出すこともなかっただろう。
それは昨晩のことだった。
夕飯を用意している良子の側に近づき、「おい、もう一人子ども作るか?」と料理をしている彼女の腰を手で引き寄せた。
良子は「ふふふ……」と笑みを見せた。
良子の腰に置いていた手がチクリと痛みを感じた。
見下ろすと娘が僕の手を小さな指でつねっていた。
「こらっ!」という顔を娘に見せると、娘は二本の指をさらに強く捻った。
僕が更に怖い顔を見せると、娘が肩をすくめ小首を傾げ舌を出した。
そして小さく「くすっ」と笑った。
娘の素振りは僕に和子を思い出させずにはいられないものだった。
娘の顔の上に和子の顔が重なって見えて、僕の背中には冷たくじとっとした汗が流れてきた。
考えたくはない。
和子がこんな形で、あの日の仕返しをはじめているとは……。