7 恋
烏帽子視点
「阿・吽よ。今日は誰も通してはいけないよ」
返事も聞かずに言い捨てて自分の住処に戻る。一人になりたい。
もともと寂れた神社だ。阿吽に言いつけはしたが、誰も来ないだろう。朝夕、様子を見に来る彼女がちらりと浮かんだが、その人に逃げられたからこそ、悩んでいるのだ。
しばらく避けられてしまう可能性を考えれば切なくなる。徹夜で一仕事を終え、くたくたな身体は睡眠を欲していたが、頭は彼女のことでいっぱいだ。眠れない。
そう、逃げられてしまった…。
動揺して口走ってしまったとはいえ、あんなことの後に告白しようとするなんてひどい男だと思われただろうか。
昨日までの彼女は、決して自分のことを嫌っている様子はなかった。自惚れかもしれないが、自分と一緒のときは、いつも楽しそうに笑っていてくれたように思う。
本音と建前?
彼女が使い分けられるわけがない。
本人は至極まじめな顔でいるつもりらしいが、くるくる変わる表情は何を考えているか分かりやすい。
そこがよいのだけれども。
では、友人としてしか見られないということだろうか?
周辺の飲食店の情報交換や当たりだった店へ一緒に出かけたりしてきた。これは一般的にはデートと言っていいだろう。彼女の趣味は美味しいものを食べること。B級だろうが、イロモノだろうが、美味ければよしとする彼女の食への追求は他に類をみない。
近隣県で開催予定のB級グルメ大会へ誘われたときは、理由もなく担当地域から離れられないこの身体を恨めしく思ったものだ。
そんな彼女が、夕飯に誘ってくれるというのはかなり心を許してくれていると思っていた。
少年姿で接していたので、男としては考えたことはなかったようだが、一緒に学祭をまわった反応を見るに充分にその余地はある。顔を赤くして恥らう彼女はかわいかったな。
彼女とのデートで多少はしゃぎすぎてしまったのは否めないが、紳士的に振舞えたと思う。
周囲に男がいなかったと言っていたので、そこを踏まえつつもう少し違う立場へ発展させようと考えていたが、まだ早すぎたのかもしれない。その点は再検討しよう。
一番の問題点は、自分が神ということだろうか?
これまで人の子と友人となっても神ということが知られると距離を置かれることが多かった。彼女も初対面のときは、胡散臭そうな顔をしていた。
新しい世話係が来るときは大抵そんな表情をされるので、信じてもらいやすいように宙に浮くなどと分かりやすい演出をしているのだが、その後は一線を引かれてしまう。
しかし、彼女とは食という共通する趣味が分かり種族の垣根を越えてすぐに仲良くなれたし、わがままな阿にも頑固な吽ともうまく付き合ってくれているようだったので、このことは考えないようにしていたが…。
人族と神族。ふむ、避けていくわけにはいかないのか。
相談に乗ってくれそうな経験者はいたかな…。
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環視点
烏帽子様の告白もどきに答えないまま逃げて、寄せられた好意に気持ちがぐるぐるして落ち着かない私が相談したのは、大学時代の友人だった。竹を割ったような性格で学生時代もよく相談に乗ってもらっていたものだ。仕事が終わっただろう頃に電話をかけてみれば、彼女はすぐに出てくれた。
そのうえで一連の出来事を話せば、逃げたのかと呆れられつつ彼女は切り込んできた。
「それで、その神様のことどう思っているのよ?」
「だってさ、今まで中学生くらいの子だったんだよ。敬語使ってかわいいなぁと思っていたらさ、いきなりでかくなって、声もいい感じに低くなってて、いやでも男の人って意識させられた」
「あぁ、あんたいい声の人好きだもんね。ゼミも教授の声で決めたんだっけ」
「いやー、ちょっと変態みたいに言わないでよ。ちゃんと研究内容でも選びました」
若かりし頃といっても2年前の話を蒸し返されて赤面する。
「とにかく、そんな人が人ごみでぶつからないように先を歩いてくれたり、守りますとか言ってエスコートしてくれるわけよ。よくよく思い出せば、チビだったときも、遅くなったときは送ってくれてずっと女の子扱いしてくれてたのか。かと思えば、実験教室でめちゃめちゃはしゃいでかわいかったし。…なんかとにかく顔を見るたびきゅんってする」
「あんた、それ末期だよ。それで、好きってわかっていなかった方がすごいわ。両思いおめでとう」
「もしかして、私って烏帽子様のこと好きなの?でもさ、逃げちゃったよ」
「私に聞くなよ。そんだけ惚気てまだわかってないのか。あんたはその神様のことが好きで間違いないね。逃げたなら、謝ってくれば?」
「でもさ、なんかこっちの気象庁発表で火山性微動が増えているとかニュースで流れてるんだよね。これって怒ってるんじゃないのかな」
「でもさでもさってうるさいのよ。どうせ、世話係なんでしょ。すぐ会うじゃん。どっちにせよ、一度話さないと進まないでしょうよ。そっちの山って活発なことで有名だし、気にしてないでさっさと行きなさいよ」
じゃねと電話は切れた。ツーツーという電子音を聞きながら、呆然とした。
友人の後押し?を受け、神社へ向かう。足はあまり進まず、少しでも顔を合わせるのを遅らせようとする。ガードレールに座ってなんとなく空を見上げれば、簡単に見つかる冬の星座が輝いていた。
友人からばっさり断言されたが、実感がない。本当に烏帽子様のことを好きなんだろうかといまひとつ気持ちが掴めない。
冷たい空気を吸って、これまでを振り返ってみる。
出会って1ヶ月、ほとんど烏帽子様は子供の姿だった。それでも、一緒に過ごした時間は穏やかで、けして嫌ではなかった。一回り年の離れた弟みたいなものだと思っていたから、結構懐まで入れていた。
実の兄にまで色気がないと呆れられていたから、こんなに共通の趣味で盛り上がれたのがうれしかった。
そりゃ、チビのときも吽君を散歩させながら車道側をさりげなく歩いたり、寒がったら上着を貸してくれたり優しいなと思っていたさ。冗談で私がもっと若かったらねぇなんて言ったさ。
あちらが、逆にでかくなったけどね。
大きくなった烏帽子様の目尻に出来る笑い皺を見たときや馬から降りるときに支えてくれた大きな手とかふとした折にドキドキさせられることもあった。それも認めよう。
お一人様結構な私だけど、初めて実家を離れて暮らすのは堪えていた。近くに家族も友人もいない、そんな私に突然現れた烏帽子様という存在。
おはよう。いってらっしゃい。がんばってね。おつかれさま。おかえりなさい。
穏やかな笑みと共に言われる言葉。私の心に空いた隙間に染み込んでいった。
烏帽子様の傍は心地よい。
好きなのかもしれない。
だいたい、あちらが私を好きというのは本当なんだろうか?なんだかそれらしいことを言われて含みを帯びた目でじっと見つめられたので、そんな風に思ってしまっただけで、勝手にのぼせて勘違いしてしまっただけなのではないか。だって、大学祭で遊んだときにも、友人に友達だって言っていたし。
え、何それ、恥ずかしい。勘違い?
…とにかく、逃げたことを謝るのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
話を聞かずに逃げた私があれこれ憶測で悩んでも仕方がない。
私の体温ですっかり温まったガードレールから立ち上がり、歩を進めた。
ぐだぐだ悩んでいたら、夜風で身体がすっかり冷えてしまった。
荷物持ちさせたお礼ということでサツマイモの炊き込みご飯をタッパに詰めて持っていたが、それもすっかり冷めてしまっている。
雑穀米と角切りサツマイモを出汁で炊き込み、カリカリに炒ったジャコとごまを最後に混ぜた食感と香りを楽しむ一品。実家の家族も好きだと言ってくれる自信作。美味しいといってくれれば重畳。謝りやすくなるってもんだ。
石段を登れば、狛犬達がいる。
「こんばんわ、烏帽子様はご在宅かしら?」
いつもは歓迎ムードなのに、今日は顔を見合わせて困った顔だ。
「こんばんわ。せっかくおいでいただいたのに申し訳ありませんが、今日は誰も通すなとの言いつけで、環様でも…」
「そう」
力なく言う。
「あの、環様」
「なあに、吽君」
「主様と何かありましたか?様子がおかしかったのです」
烏帽子様はやはり怒っているのかもしれない。もしかしたら、2度と…?
悪い方向へ考え始めればきりがない。冷たくなった指先を握りこむ。
「まあちょっと。荷物を持ってもらったお礼に作ってきたからこれ渡しといてくれる?貴方達の分は蒸かして別のに入れてあるからね。またお詫びに伺いますって伝えてくれると助かるわ。お願いね」
わざと明るく言って踵を返す。
神社から自宅まで10分。学生街へ続くこの道は街灯が等間隔で並ぶ。
烏帽子様の都合上遠くへは行けないから、近所で遊び倒すために何度もこの道を通った。
この3週間、吽君を散歩させながら2人で歩いた。待ち合わせをしてわくわくしながら歩いた。
照れながら歩いた。
朝、弱い私がいらいらしながら仕事へ向かう道があっという間に変わった。
改めて烏帽子様の存在が私にとってどんなものだったかを感じる。
「なんだ。拒否されてから分かっても仕方ないじゃんねぇ」
誰に求めるでもなく独り言は出てくるが、夜で人もいないと分かっていても涙は意地でこぼさないようにした。
さっき暖め続けたガードレールが見えてきた。家まであと半分ってところだ。
その横に置かれている自動販売機で、冷え切った身体を温めるためにHOT飲料を買う。一口飲んでは、カイロ代わりに両手で握る。レモンのすっぱさとはちみつの甘さがじんわり染みてくる。
やばいな。早く帰らないと堪え切れそうにない。身体は温まったけど、涙の方は逆に加速しそうだ。
上を見上げて瞬きを多くしてじっとしていたら、今、一番会いたい人の声がした。
「環!!」
さっき見つけてた星座がやっと滲まなくなったと思ったのに、一瞬にしてまた見えなくなった。
そのまま振り返れば、涙がこぼれてしまうので、袖でぐいっと拭った。
夜だし、目が赤いのは気づかないでしょ。まあ拭った動作でバレバレかもしれませんが。
「こんばんわ、烏帽子様」