5 見回り
すでに21時をまわり電力供給時間が終了したのになぜか明るい構内には、どこを向いても酒臭いとしか言えない状態だった。
21時を過ぎれば暗くなると思っていたが、ランタンや、古参サークルなどは発電機まで用意して電力供給時間終了後の明かりを確保し、夜通し飲み明かそうとしているらしい。一体、君達はどこへ向かおうとしているのか。そこまで酒好きではない私としては、彼らの情熱が理解できない。
手には懐中電灯を、私服の上に蛍光イエローの大学事務ジャンバーを羽織り、主任と烏帽子様は私を挟みながら歩いている。先輩や烏帽子様から話を聞きつつ、夜間の大学祭とは歓楽街のような感じではないのかと考えていた私は、甘かった。
先ほど、裸の男子学生をご神体様じゃー、神輿じゃーと叫びながら担ぐ20人程の集団にかち合ったときにそんなことを思った。
「今回はおとなしいですねぇ」
「ええ、本当に」
私の頭越しにそんな話がなされているが、信じられない。止めなくてよかったんだろうか?止めるのが、今日の仕事なんじゃないのか?
「止めなくてよかったんですか?」
「止める基本は、器物損壊・暴行・性犯罪・事故につながりそうなことをしているときかなぁ。さっきのはひっかからなかったよ」
「主任、普通、屋外で全裸は性犯罪ですよ?」
あって顔した!!
「ふふ、大学祭中の全裸なんて普通すぎて忘れていました」
烏帽子様、爽やかに笑ってもフォローになっていないです。
1時間かけて、運動系サークル棟からS字を描くように構内の1回目の見回りが終わらせ、大学事務室へ戻る。時折、遠くで雄叫びが上がったり、なぜか太鼓を叩く音が鳴り響いていたりしたが、すれ違う学生は、みな酔っ払っているけれど暴れたりはしていなかった。今はまだ宵の口だそうで、これからが大変らしい。
「まだ11月だから凍死の心配はないけど、路上で寝ている学生さんとか、飲み歩き中にはぐれてしまった女子も出てくるし、とにかく見つけたら保護で。とりあえず、休憩しましょう」
緊急時に鍵が必要になることもあるので、大学祭中は鍵当番が置かれる。3年前からは見回り当番も出来たため、1度見回りを終えたら事務室に帰り鍵当番と交代というスタイルになっている。鍵当番は、夜間は男性だけだったのだが、見回りもとなると人数が足りないので、私のように女性も当番に入り、負担の多かった男性がより休憩を取れるようにした。
トランシーバーやジャンバーを脱ぎ、コーヒーを入れる。主任は携帯をチェックすると電話のため奥へ移動した。
「お疲れ様でした。はい、コーヒー」
砂糖とミルクはセルフでお願いします。事務室の隅にある応接セットのソファーに座った烏帽子様にコーヒーを差し出す。テーブルの上には籠に入れたスティックシュガーとコーヒークリームを乗せた。
「ありがとうございます」
そのときだった。主任の焦るような声が聞こえてきた。
「まだ予定日まで1ヶ月もあるじゃないですか。大丈夫なんですか!!」
主任の言う予定日とは、きっと奥さんの出産予定日のことだろう。初子ということで、まだ生まれる前から奥さんの惚気と共に色々聞かされてきた。何があったのだろう。
「どうしたのかな?」
不安に思い、烏帽子様に話しかけてみる。でも、烏帽子様は先ほどまで座っていたソファーにはもういなかった。
「佐々木さん、こちらは私達に任せて行ってください」
電話している主任に話しかけている。
「いや、しかし・・・」
「見回りは2人で大丈夫です。任せてください」
神様に任せてくださいって言われたら、逆らえないよね。
「…本当にありがとうございます。でも、課長に相談をいれてから」
まだ続いていた電話に何か二言三言伝えてから、課長へ電話をかけなおす。
「タマさん、課長が代わってって。はい」
いつも通りの口調だが、顔が真っ青な主任から、状況が掴めないまま電話を代わる。
「代わりました、環です」
「あ、お疲れ様。タマさん、佐々木君の奥さんが救急車で運ばれたということで、今日は烏帽子様と一緒に見回り、鍵当番してください。初めての学祭で戸惑うこともあるだろうけど、明日もあるのでこれ以上の変更は難しいので、よろしく頼むよ」
主任の奥さんが救急車で運ばれたくだりで驚いたが、課長に告げられた内容はもっと驚いた。でも、主任の奥さんは県外出身で親戚はそばにいないって聞いてる。今、傍にいられるのは主任しかいないんだ。
誰にだって初めてはあるのだ。まだ烏帽子様が一緒についてもらえるだけいい方だ。
迷いはしたが、私が出来る返事はひとつ。
「はい。わかりました」
お願いしますの意を込めて、見つめてくる烏帽子様にうなずく。
「本当に申し訳ありません、どうぞよろしくお願い致します」
主任は早く病院へ行きたいだろうに何度も頭を下げて出て行った。
二人で事務室から見送ってドアを閉める。
「佐々木さんの奥さんって身体が弱いらしいです。変事があったんだなって思ったら傍についていてほしくて。環さんには悪いことをしましたね」
「いいです。いつまでも新人でいるわけにはいきません。1回目の見回りはしましたし、私達でなんとかしましょう。それよりも烏帽子様にはご迷惑をおかけします」
守護してくれているとはいえ、事務の仕事を手伝ってもらっているのだ。主任が抜けたことで、力仕事は、烏帽子様がメインになってしまう。
「…環さん、私が大学でどのような位置にいるか知らないでしょう?」
「へ?」
「私も一応は大学事務に籍を置いているんですよ?自分の仕事をするだけで迷惑と言うことはありませんよ」
「えぇ!!先輩だったの!!」
神様の世話係というのも非現実的だが、神様が同僚というのはもっと非現実的だろう。
驚いた私を見て満足したのだろう。烏帽子様のにやりとした人の悪い笑みを浮かべた。
悪い顔するの初めて見た。
戻ってきた別班に、事情を説明して、見回りに出る。
「暴れているわけでもないんだが、白衣の集団が黙々と正門へ向かって歩いていてなぁ。ちょっと不気味だったな」
戻ってきた先輩達が口々に見回り中に見た注意人物を教えてくれる。
気をつけてと先輩達は疲労を滲ませていた。今回の見回りは、苦労したらしい。
「行きますよ」
昨日の昼、烏帽子様と通った屋台大通りは、全く様相を呈していた。
屋台の裏側から聞こえてくる嘔吐する音。酒瓶を持ってふらふら歩いている男子学生。テントから聞こえる駆けつけ三杯コール。酔っ払いに慣れていない私には何もかもが恐ろしい。さっきの、なんとかしようという決意はあっという間にしぼんでいった。
尻込みをしていると、後ろからざっざっという何かが規則正しく歩く音が聞こえる。
振り向けば、先輩達が教えてくれた不気味★白衣集団が歩いているのが見えた。
知り合いと目が合ったらしい烏帽子様が会釈をしている。シュールな光景だ。
「さあ、背筋はちゃんと伸ばして。大学事務の監督する立場であることを忘れないでください。私の後ろで怯えていたら余計に絡まれますよ」
後ろから肩を叩かれる。昨日は心強く支えてくれた手が、今は恐怖を煽るものでしかなかった。
「環さん、あそこに倒れている子がいますよ」
怯えを隠せない私に業を煮やした烏帽子様は後ろから見守っていますと言いつつ、指示を出してくる。おっとりしているくせに意外と人使いが荒い。
烏帽子様は、早く行けと言わんばかりにくるくると懐中電灯で倒れている学生を照らす。ええ、急かされなくとも行きますよ。小走りですよ。
「呼吸は正常ですね。ものすごく酒臭いです」
「寝ているだけですかね。一応保護しますか」
烏帽子様が寝ている学生に腕を差込み、肩に担ぐ。一輪車に乗せて毛布をかけてやる。
「戻ります」
「はい」
行き倒れの酔っ払いが多すぎる。いつも穏やかな烏帽子様が疲れを隠さないでいるくらいには、このやりとりは繰り返された。
所属がわかるようにサークル名・学科名が書かれた法被やつなぎやトレーナーを身につけるようにと指示が出ているため、身元確認は簡単だ。一度、事務で保護し異常を確認した後、引き取りにくるようにテントへ連絡を入れる。きゃっちあんどりりーすって主任は笑っていた。
「よっこいせ」
一輪車を持ち上げて、バランスをとりながら進む。
「烏帽子様、よっこいせはまだ若いんだから言わない方が」
「環さん、私は250歳くらいですよ。もう十分おじいちゃんなのです」
そういえば、阿君と200年一緒に暮らしたって言ってたな。見た目は若いのに。
「烏帽子様は江戸時代生まれなんですか?」
「そうですね。ウチを継いだのは、150年くらい前かなぁ。あの頃は、開国だの何だので忙しなかったです」
懐かしがっているけれど、いろいろ突っ込みたい。
「ウチを継ぐ?」
「私は二代目ですよ。親が初代で、代替わりしたから。親は仕事で今まで神社からあまり離れられなかったから、キャンピングカー買って初代狛犬達と一緒に全国放浪の旅に出ています」
「…楽しそうですね。はは」
烏帽子様への神様としての敬意はもうなかったのだが、他の神族までありがたみが一挙に薄れてしまった。
「だいたい巡回ルートは見終わりましたから、この子が最後でいいでしょう。戻ったら交代しましょう」
大学事務室が入っている建物が見えてきた。
2回目の見回りに出たのが、11時半。終えたのが1時。別班の見回りが戻ってくれば今日の仕事は終わりだ。
保護していた酔っ払い達も順次引き取りが来ていた。
「お酒はほどほどにね」
「すみません」
と私達が連れてきた男子学生も頭を下げて自分でテントへ戻っていった。
喧騒の中から自分のホームベースに戻って来られてほっとした。
「おつかれ」
烏帽子様が入れてくれた本日2杯目のコーヒーをグビッと飲む。
遠くでロケット花火が鳴る音が聞こえた。…まだまだ気は抜けない。