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15/17

ハ 自覚

☆☆☆


この街は、火山が近いせいで温泉が多い。

実はこの大学にも、温泉がある。


だいぶ前に、理工学部が実習で1度ボーリング調査をしたのだ。機材をどう調達したのか詳しくは知らないが、建築科と地球地質学科とが一緒に行った大掛かりなもので、空いている大学敷地の隅を穿ってみた。

面白そ…いや、危険があってはいけないと見に行ったら、温泉がポンっと湧き出た。

温泉に入りたいなぁ。湧けばいいのにと直前に思っていたことは、誰にも言えていない。


とにかく、温泉が湧いた。

大学側は、それの扱いに困ったが無駄にするのもという話になり、温泉施設が作られた。

温泉宿のように豪華ではないが、40℃くらいの程よい温度で、手触りはさらりとしていて、湯量も豊富。入りたいと思った手前、試してみれば、手足を伸ばしてゆっくり浸かれるのが気に入り、毎日行くようになった。


今日も入りに来た。

毎年、大学祭期間中は、1番近くにある温泉として重宝され芋洗いのごとく混雑するのだが、今は夕飯時のせいか人が少ない。

いつもの定位置につくことができた。




ぼーっと何も考えずに1日の疲れを癒す時間が今日は違った。


先ほどのアレはなんだ?

生まれてこのかた感じたことがない。


まだ一緒にいたい。

信頼してほしい。悲しい顔をさせたくない。笑っていて。

安心してください。貴女を守らせて。

それらを全部まとめたような、あとからあとから溢れ出してきて止まらない気持ち。

………心を満たすこの気持ちの名前は?


手をお椀にして、浴槽のお湯をすくいとってみる。指の隙間からこぼれていく。

しまいには、なくなってしまった。

まるで水のような、そこにあるのに掴めない気持ち。

早く捕まえないと消えてしまいそうで、焦る。


今、頭の中には彼女しかいない。

初めてだ、こんなこと。


…本当に初めてか?本当はいつからだ?

よく思い出せ。いつから彼女のことを考えていた?


今日はいわずもがな。朝から彼女のことしか考えていないことに愕然とする。

10月はもう大会議より彼女だった。

9月は?1年経っても彼女が私の元に来ないかもと焦っていた覚えがある。

8月?では、7月?それとも、6月か?

5月の…彼女を学食で見た日から、だ。


私は、彼女が幸せそうに笑っているのを見たときから、彼女に夢中なんだ。


彼女がいい。


あのとき、そう思ったじゃないか。

唐突に、理解した。この気持ちの名前は、恋だ。


私は、環さんに恋をしているんだ。




初めての事態に、地に足がつかない。

洗面道具一式を持ち、ウチへ帰る。

ウチの石段を踏み外すなんてことしたことがなかったのに、転んだ。

大きな声も出てしまったが、それより阿・吽の目の前で転んだので、ものすごく驚かれて、いたたまれない。


「うはぁ!!」

「「主様!?」」

「…なんでもない」

まだなにか言いたそうな阿・吽をなんでもないで押し切って、中に入る。


入り口脇に置いておいた環さんへのお土産を見つける。

荷物になるからと帰りに渡す予定だった出雲のお土産。農産市場で買い物をしている環さんを見たときに、あとで届けようと思っていた。

まだそこまで遅くない時間だから、本当なら届けてもよいのだが…。

明日、渡そう。

……明日。

今まで、どんな顔をして会っていたのだろう。わからない。


彼女はどう思っているのだろう。

自覚はしていなかったが、自分は約半年好きでいたらしい。知り合って、彼女はまだ1ヶ月で、自分のことをどう思っているのだろう。そのことが気にかかる。


今朝は、今まで周囲に男がいなかったと言っていた。

そんな彼女には焦って迫るよりゆっくり距離を縮める方がいいだろう。

この1ヶ月、仕事帰りに阿吽に会いに来てくれて送っていくついでにご飯も食べに行って、1番心を許してもらっているのではないか?


そこまで考えて、自分が彼女を手に入れようとしていることに気づく。

彼女が笑う横にいたい。傍にいたい。きっと1番幸せを感じる場所がそこなのだ。

いつかは。いつかはその場所にいられるだろうか。




布団に入って、そんなことを考えていたら、眠ってしまっていた。

起きたら、もう明日になってしまった!!

今日は彼女と佐々木氏と見回りをするのだ。どんな顔、どんな顔と焦ったが、待ち合わせ場所に行けば、環さんが自分以上に切羽詰まった顔をしているのを見て冷静になる。

いやに佐々木氏がにやにやしているが、気合を入れた。


夜間大学祭は、例年通りだった。途中、佐々木氏が帰るという突発事態もあったが、怯えていたわりには彼女も頑張ってくれて、救急車を呼ぶようなことはなく済んだ。

ただ警察は呼んだ。


「こんな時間にすみません、よろしくお願いします」

普段は車両が入れないように制限している門を、開ける。

事情を聞かれるのは被害があったサークルの子達で、こちらも、事情聴取が終わった子から順次報告書を作るために事情や名前を控える。

被害は共通棟の間のテントに軒並み集中していて、カメラだの屋台のお釣りに用意していた小銭だのといろいろあり、事情聴取が終わるのは1時間半くらいかかった。

「どうもお手数をおかけしました」

本当にお疲れ様です。

最後の警察車両を見送り門扉を閉めて事務室に戻る。




事務室が入っている建物のドアを開けると環さんの叫び声が聞こえた。

「人違い!!人違いだから!!放して!!」

放して?捕まえられているのか?


居ても立ってもいられず声がした事務室の方へ走る。先ほどまで座っていたはずのカウンターにはいない。もどかしくドアを開ければ、環さんが保護した学生に押し倒されていた。


神の職務の関係上、穏やかな心持ちでいることを心がけていたが、跡形もなく消えた。

のんびりしているとか穏やかな性格とか評されることが多いが、元々火山の神、気性が荒いのを抑えるためにそう努めているだけだ。

惚れた女が押し倒されているのを見て、わざわざ穏やかでいようなど思わん。


涙目になった環を見て、さらにその思いが増す。

とりあえず、剥がす。触るな。


走り寄って環を男の腕の中から助け出すと、背中側から蹴りを1発いれてうつぶせにして取り押さえた。本当はこんなものでは済ましたくないが、環が気になる。

「環!!大丈夫か!?」

自分の後ろにいる環に声をかければ、大丈夫と返事があった。

声が震えている。本当に大丈夫だろうか。

しかし、まずはこれだ。動けなくしているこれをどうにかせねば。

「とりあえず、話を聞きましょう」

うめき声がうるさい。


環は、男を放してやれという。環がそう言うならと、逃げられないようにしながらも、放してやった。

すると、いきなり環に向かって男が土下座をして驚いた。

どうやら寝ぼけたらしい。

環はよいと言うが、自分は決して許しはしないので、顔と名前と学部を覚える。

環が押し出して男を事務室から出て行かせる。

その背中は、疲れ果てていまにも座り込みそうだ。


それでも、私の方に向き直る。顔を見てビクッとされるのは傷つく。そんなにひどい顔をしているのだろうか。

そのとき、電話が鳴った。

「で、でます」

なぜか宣言されて、電話を取られた。


電話の相手は、佐々木氏らしい。山が噴火したから、何事か気になったのだろう。

「…あとで報告したいことはありますが、烏帽子様には何もありませんでした。ご本人に代わりましょうか」

彼の心配事を増やすのは本意ではない。直接、話しておこう。受話器をむしりとる。

「烏帽子です。はい。ええ。大丈夫です。すぐに治まります。心配させてしまい申し訳ありません」

がしゃり。乱暴に受話器が置かれた。

環がその音に再びびくつく。相手を怖がらせてどうする。どうしようもないな。落ち着け。




はぁぁぁぁ。ため息を吐いて気持ちを切り替える。そうすると、この少しの間にしたことが次々と浮かんでくる。

「あぁ、やってしまった…」

冷静になればなるほど、自分の取り乱し様に落ち込む。


彼女を守ると言ったのに守れなかった。

どれだけ怖い思いをさせてしまったのだろう。自分の不甲斐なさにまた怒りがわくが、まず先に謝らなければ。


「申し訳ない。約束したのに、守れませんでした」

「さっきの?あれは驚いたけど、襲うというよりも彼女への愛情行為だったせいか、そんなに怖い思いはしなかったよ。心配しなくて大丈夫」

予想外の返事に驚くが、強がっているそぶりはない。

「本当に?」

「本当」

それでも、信じられず確認するが、力強くうなずかれた。

よかった。いや、よくはないが、よかった。


安心すれば、自分の職務のことを思い出す。

窓の外は、先ほどまでよい天気であったのに、今は曇天となっている。こちらの街を覆うような降灰が始まっている。あぁ、いかにお山さんを噴火させずにいられるか挑戦していたのに。記録が止まってしまった。


落ち込んでいるのを感じ取った彼女が聞いてきた。

「まだなにかあるんですか?」

「えぇ、自分の本業を忘れて山を噴火させてしまいました」


前に風邪をこじらせて肺炎になったときは、すごいことになった。それ以降、体調管理は怠らないようにしていたのに、これからは、環さんも対象だ。今回の件で彼女の存在がどれだけ大きいかわかってしまった。


「お山さんのこと?でも、噴火なんてよくしてるよね」

きょとんとする環さんに、そう言えば、何の神か知っているのか気になった。


「まあよくしてはいるのですが、今回のは1歩間違うと大変だったんです。ウチはお山さんの神社です。私に何かあるとお山さんに異変が出るのです」

へぇっと言わんばかりの顔をしている環さんを見て、確信する。

あれだけウチに来ているのに知らないなと。

少しひどいと思った。だから、思わず言ってしまった。


「環さん、ウチに来ても阿吽達を触ることに夢中で由来書とか読んでないでしょ。私にあまり興味がないですよね。こちらは好きな女の子が襲われてるのを見て、我を忘れるぐらいだったのに」

少しでも意識してもらいたくて、環さんを見る。

……あれ?今、好きって言ってしまった?


「興味がないわけでもないですヨ?あんまり突っ込んでいいのかわからないので、聞かないようにしているというかなんというか」

あの顔は、聞かなかったことにしようとしている顔だ。環さんは、顔にすぐ出るのだから、わかるのに。


思わず言ったことでも、自分の気持ちを聞かなかったことにされるのは我慢ならない。

自覚したのは昨日とはいえ、いい機会だからちゃんと伝えよう。


「環さん、私は…」

告白しようとすると、がちゃりとドアが開いた。


「おはようございます」

時間はちょうど7時。当番交代が来た。




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