ロ 気持ち
☆☆☆
10月になると出雲に出張しなくてはいけないので、私はいないのです。
そのことを伝えても、環さんとの初対面は動かず10月。それでも、出雲大会議は絶対に外せないので、泣く泣く、恒例のお留守番を置いていくことになった。
仕方がない。今後の1年を決める出雲大会議サボったら、大御所様方になんと言われるか。恐ろしい。
しかし、どの会議もまじめに話し合いをしていても、結局、最後には、お酒飲んで宴会に突入。
特に山神定例報告会などは偉い方達ばかりで、こちらを気にかけてくださるけれど、2代目としては肩身が狭い。
全国に散っている知り合いに会える機会はこの大会議でしかないので、本来なら、地酒持ち寄りで楽しく宴会に参加するが、そんな気分になれないのは、置いてきた留守番からの報告が毎晩届くからだ。
自分を幾分か分けて作る留守番は、神社の前にある大学附属中学校に通う子らを観察して作った。
実際の自分との年齢差から、お父さんと呼びたがるのをなんとかお兄さんであると言い含めることに成功したが、そのちびすけが、生意気なことに環さんとデートしているのだ。
自分の人格なのでちびすけの意識とつながっているが、間に1枚の布を挟んで彼女と接しているようですっきりしない。嬉しそうに報告してくるちびすけにいらっと来ることの方が多い。
ああ、いけない。心穏やかにしていないと、お山さんの方に影響が出てしまう。
はぁ、早く帰りたい。
そう望んでも時間は平等に流れて、会議、宴会、会議、宴会、宴会、宴会の日々は1ヶ月続いた。
「では、また来年会おうぞ。みな、息災でな」
やっと刀自様が最後に締めの言葉を述べると、早速帰宅組が机の下にまとめて置いた荷物を取りだす。
いつもなら、このあとにひらかれるお別れ会に参加して、明日ゆっくり帰るのだが、今回は、それには出ない。
なぜなら、明日は大学祭。ちびすけが環さんと約束をしたそうだ。
1年に1度の旅行気分を味わうためにJR移動をいつもしていた自分だが、今度の大会議ほど早く帰りたかったことはない。力を使い、シュッと帰る。
「本当に31日に帰ってきたんですね。兄さん」
ええ、帰ってきましたよ。明日は、大学祭でしょう。
「留守番ご苦労様でした」
しばらくすると、テコテコ足音がした。
「「主様、お帰りなさい」」
「はい、ただいま」
あぁ、ウチは落ち着く。
扉を開ければ、妙に毛艶を増した阿・吽がそこにいた。
「…誰が、ブラッシングしてくれたのですか?」
阿のたてがみのもふもふ具合も、吽のしっぽの巻き加減もよい感じではないですか。
その仕事具合に、彼女の影を見る。
「環さんです。主様とは違う手つきですごく気持ちいいんです」
うっとりしながらの阿の返事にやはりと思いつつも、心が抉られた。
仕事で疲れて帰ってきた飼い主にそんなこと言ってはいけない。
「お前とは200年一緒に暮らしてきたのに…。そんなに環さんがいいなら、環さんちの子になっちゃいなさい」
「それ、お留守番の烏帽子様も言ってましたよ」
私がちびすけの記憶を共有しているように、私の記憶や経験もちびすけと共有している。だから、同じことを言ってもおかしくはないが、吽よ、冷静に言うのはやめなさい。
もう留守番は必要ないので、ちびすけを元に戻す。
「ご苦労様でした」
記憶を共有できるが、この1ヶ月、全て覗いてきたわけではない。ちびすけを元に戻せば、どうせ一体化するのだし。しかし、そのことを少し後悔した。ちびすけは、だいぶ端折って報告をしていたようだ。
「何もないように守りますからって…。最近の子は、すごいことを言いますね」
いや、最近の子も何も言ったのは自分なのだけれど、ちびすけという布越しだから、観客席から見ているようで突っ込みを入れてしまう。
言われたときの環さんの照れたような顔も見えた。
「主様、顔が赤いですよ。久方ぶりの風邪ですか?大事な御身ですし、明日は、無理をせずにお留守番の烏帽子様に行っていただいては?」
はて、顔が赤い?どうしてだろう。
「具合は悪くないですよ。心配せずとも大丈夫です」
むしろ、明日が楽しみで、いまだかつてないほど絶好調だ。…眠れるかな?
あの時は、まだ環さんのことが好きになっているって気づいてなかったのですよねぇ。
確か、環さんという人に興味があってお話したいと思っていたような。
……どれだけ鈍いのでしょう。今、振り返ると、我が事ながら気持ち悪い気がします。同じなのにちびすけの方が、気持ちを分かっていた気配がありますし。
さて、環さんへの恋心を自覚したのは、大学祭初日でしたかね。
☆☆☆
連日連夜の会議と宴会で疲れていたので、心配した睡眠はしっかり取れた。
環さんとの約束は11時。30分前から鳥居の前で待ってしまった。
時間が近づくにつれそわそわする。
しかし、環さんが来たと思ったら、素通りされた。いや、会釈はされたけれども。
なぜ、そんなに他人行儀?この1ヶ月でかなり仲良くしていたはずなのに。
いやいや、とりあえず、環さんは来たのだから、声をかけよう。
「おはようございます。環さん」
なぜそんなに私の顔を見つめるのでしょうか?眉間に皺を寄せなくてもいいじゃないですか。
「おはようございます」
あ、返事来た。それだけで、嬉しくなる。
「今日は楽しみましょうね。とりあえず、おススメの留学生屋台に最初に行きましょうか」
眉間の皺がいよいよ深くなりましたね。あ、何かに気がついたようです。
「もしかすると、烏帽子様のご家族ですか?」
「え?いやだなぁ、環さん。烏帽子ですよ」
「え?」
どうして、そんなに不思議そうなのでしょう。
「環様、この方は主様で間違いありません」
そうそう。間違いないです。吽の言葉にうなずく。
「主様も、普通はいきなり成長したら別人だと思われるのですよ。しっかり環様に説明してあげてください」
え、人って気配でわからないの?
説明したら、環さんは緊張し始めた。
いきなり敬語になった…。ちびすけと中身一緒だし、緊張しないでいいのに。
自分が烏帽子だと納得してもらえたようなので、大学まで歩き始める。
ずっと中身は一緒って繰り返しているけれど、大丈夫だろうか?
屋台通りは例年通りものすごい混雑だ。
環さんがぶつかったらかわいそうだな。先を歩こう。
「あ、烏帽子様だ。彼女ですか?」
知り合いから声をかけられる。この子からも食券もらっていたなぁ。
「違いますよ。友達です。またあとで来ますね」
ふふ、友達、友達ですよ。やっとやっと仲良くなれたのです。
浮かれながらも注意を払った甲斐あって、環さんは誰にもぶつからないで済んだようだ。
目的の広場に着き、昨年、出店していた場所を見る。今年はどうやら中華がメインのようで、数年前に食べた中華ちまきを思い出す。よし、今年は当たり年だ。
「美味しい!!」
環さんが、びっくりしている。
そうでしょう、そうでしょう。ここは、特に中華はほぼ外れがない素敵な屋台です。さすが3大美食国家。
「でしょう!!また学祭期間限定なのが憎らしいのですよ」
また環さんが美味しいものを食べてにこにこしているのを見て幸せな気持ちに浸る。
「いや~、それを言わないで」
「それもまた来年の楽しみですけれどね」
言葉遣いも元に戻った。いっぱい屋台に行って、環さんのにこにこ顔を見せてもらおう。
…食べ過ぎた。さすがに、6連続屋台は食べ過ぎだ。環さんのにこにこ顔見たさにまわり過ぎた。
その後は反省して、屋台以外にもまわってみる。
環さんには特に農産市場が喜んでもらえた。
市場から買い終わってこちらに来た彼女の両側からさがっている袋を持つ。
そしたら、環さんが慌て出した。
私でも肩が抜けそうな重さの2袋。そして、私の足元に、葉物野菜が入った袋が1袋と卵が入った小袋が1袋。
…環さん、コレ1人で持つつもりだったのですか!?
環さんにこんな重いもの持たせて、1柱で手ぶらなんてできるわけがない。
遠慮する環さんから強引に袋を奪って抱える。
そろそろ日がかげってきた。暗くなる前に送っていこう。
「そろそろ帰りましょうか」
まだ環さんといたいなぁ。
自分で帰ろうと言ったのに、反射的にそう考えてしまって驚いた。
今まで友人といても別れるときにまだ一緒にいたいと考えたことがなかった。
そのことについて考えながら、ゆっくりと足を進める。
「そろそろ見回りの集合時間ですね」
環さんが不安そうな顔をしている。
「明日はちゃんと守りますから大丈夫ですよ」
契約は関係ない。
信頼してほしい。悲しい顔をさせたくない。笑っていて。
昨日まで布越しだった気持ちが勝手に溢れてくる。
しかし、環さんから返事はなくて。だから、もう1度。
「大丈夫ですよ」
安心してください。貴女を守らせて。
また溢れてきた。この突然、心を満たし始めた気持ちを込めて自分より小さな肩をポンっと叩く。
いつの間にかアパートの前に着いた。ドアを開けてもらい、荷物を入れる。黙ったままの、それでも不安な表情が消えた環さんから何かを渡される。
受け取った瞬間に
「あ、これ阿・吽君にお土産です。畜産科特製ジャーキーです。塩分控えめに作ったって言ってました。今日はありがとうございました」
逃げるように環さんは家に入って行った。
名残惜しいが、今日はおしまい。また明日。しばらく、環さんの家のドアを見つめて、ウチに戻る。
することができた。
先ほどの、溢れ出した気持ち。
するりとなくなりそうで、確かにそこにあるのに形ははっきりしない。
それでも心の中を明るく照らし出す、この気持ちを今から捕まえに行かなくては。
逃がしてはならない。
H24.3.3 誤字訂正 ご指摘ありがとうございます