1 神様
郷里を離れて数年。寂しくなったので、郷里の風景をモデルとした、なんちゃってファンタジーを書いてみました。
地名・方言等は出しておりませんが、特徴あるモノが作中に書かれていますので、分かる方には分かると思いますが、フィクションであることご了承ください。
1週間前から職場がおかしかった。
課長と主任がちらちらこちらを見ているし、先輩達もなんだか腫れ物を触るような感じでいつもと違う奇妙さがあった。
入社して、早半年。ミスもだいぶ減らせたと思う。それでも、完璧とまではまだ言えない。戦々恐々と上司達の視線を気にしていたけれど、3日経っても何も言われないままだった。
そして、昨日定時上がりをした私が忘れ物に気づいて職場へ戻ったとき、聞いてしまったのだ。
「ねぇ、タマさん、出来ると思う?」
佐々木主任、私に何をさせるつもりですか。
ちなみに、タマさんとは私の職場でのあだ名だ。自分のことを話していると気づいたら入り難くなってしまった。業務終了後でロールカーテンがかかっているので、これ幸いとカウンターに隠れる。
盗み聞きは悪いことだが、自分の身に何かが起きようとしているのを聞き逃せようか。
「どうでしょう。でも、タマさんは結構素直ですし、仕事って言えばちゃんとしてくれると思います。あちらが悪い方でないのは保証されているようなものですし」
鈴村先輩、なんだか微妙ながらも評価をしていただきありがとうございます。でも、その言い方だと何か面倒くさいことが起きそうで不安です。
「まあ、明日あたり佐々木君が連れて行ってよ。うまくいくかどうか心配するのはそれからだ」
谷課長まで…。そんなにみんなが心配する業務できるんだろうか。
1週間前からこのことをみんな気にしてたんだ。不安でいっぱいになりながら帰宅した。
取りに行った忘れ物はそのままにしまったのでよけいに気分が重くなった。
私の職場は、大学事務課。仕事内容は備品の手配や学生の履修や奨学金手続きに始まり、時期によっては成人式用の着物の見本市や1人暮らしの不動産紹介なども企画する。まあ大学の何でも屋だと言える。
今朝、朝の伝達が終わって主任から声をかけられた。
「タマさん、ちょっと新しい仕事教えるから来てもらえる?すぐそこだけど外にでるから」
昨日言っていた件が来たのか。でも、外?
疑問が多いが、待たせるのは悪い。準備をする。
とは言っても、秋口で少し涼しくなってきたためカーディガンを羽織るだけだ。
「おまたせしました」
「じゃ、行こうか」
事務室を出て、通用門へ抜ける。でも、ここの道は正面から右方向は附属幼・小・中に囲まれていて、左方向には池と住宅地と農水学部の放牧地しかない。
戸惑う私を置いて、主任は進んでいく。牛かヤギに用事でもあるのか?
でも、目的地には牛もヤギもいなかった。
連れてこられた先は、神社だった。古い鳥居に板がかかっていてそれに墨でかろうじて読める程度に烏帽子神社と書かれていた。
農水学部の放牧地に食い込む形でその神社は建っていた。
「おはようございます。烏帽子様、いらっしゃいますか」
返事はない。朝、早い方でなぁ。もうお出かけかもしれないなぁ。主任がぼやきながら待つ。
返事がないなら、一度帰ったほうがいいのではないだろうか。
でも、主任は帰る様子はない。
「主任、神社の方に用事なんですか?」
新しい業務内容の検討をつけたいと思って質問したけど、主任は答えず、別の話を始める。
「タマさんは、神様って知ってる?」
「神様ってあの神様ですよね?人並みには…」
世界には動物と人類以外に神族がいる。動物と人類の違いは、直立2足歩行ができること・言語使用・火を含む道具使用等があげられるが、そういった点では神族もほぼ人類と一緒であるらしい。
違いをあげるならば、人類にはない不思議な力があり、その力を使って五穀豊穣や商売繁盛等、祀られた神社で仕事をしているらしいが、完全世襲制で、人前には滅多に出てこず神族の生活は謎に包まれている。学校でならった神族に関する基本を思い出す。
主任はまだ話を続けようとしたが、そこへ男児の声が入ってきた。
「おはようございます。佐々木さん、お待たせしました。あぁ、新しい人が来たんですね」
私を見て何か納得したように主任に話しかける。
上司が様付けで呼ぶその人はどれだけ偉い人なんだと思っていたけど、少年だった。
戸惑っているうちに、次のような紹介をされてさらに驚いた。
「ウチの事務員の環です。次代お世話係として本日は連れてまいりました」
子供の世話係ってなんぞと思ったが、そんな疑問は次の説明でふっとんだ。
「環さん、こちら烏帽子様です。神様だから」
主任、この少年どう見ても中学生ですよ?さらっと流しましたけど、あの神様ですか?こんな簡単に近所に出かけて出会えるはずがない。
いろいろ主任に聞きたいけど、とりあえず、後回しだ。
カーディガンのポケットに入れてあった名刺入れを取り出す。
「ご紹介にあずかりました環と申します。よろしくお願い致します」
「あぁ。名刺もらったのは初めてだな。生憎、こちらは持ち合わせていないので失礼します。ここの神社で祀られてます。みんな烏帽子と呼びます。どうぞよろしく」
初めての名刺が珍しいらしくて裏表ひっくり返して見ている様は、宙にさえ浮いていることと外見に似合わない言葉使いさえなければ本当に子供にしか見えない。
「タマさんは、今日から烏帽子様のお世話係ね。烏帽子様は大学をご加護くださっているんだ」
なんだか私の新業務がさらっと告げられたような。業務内容が耳から入って頭で理解できたとき、あれ?名刺差し上げてませんでしたか?私の名刺です。どうぞ。主任は神様に名刺を出していた。
主任、軽すぎですよ!!
顔合わせが済んだところで、烏帽子様が用事の途中だったからと戻っていかれた。
「神様の世話役って何するんですか?」
「う~ん。烏帽子様は結構何でも自分でされる方なんだ。びっくりするくらいフットワーク軽くてねぇ。何かあったら、あちらから仰るよ。それより、社周辺の異常とか敷地にゴミが落ちてたら気にかけて。」
要するに、神社周辺の見回りをすればいいのか。このささやかな神社の見回りで、大学全体の平穏があるならお得だ。幸い、この先の住宅街に私の住むアパートはあるので、朝・夕の通勤時に異変がないか確認しよう。
記念すべき神様初遭遇を果たしたその夜、TVでカレー特集が組まれていた。
名店からB級カレーまで幅広く取り扱い、最近は種類が豊富であるナンまでおまけコーナーを作って、TV画面のこちらまで匂いがきそうな美味しそうな特集だった。
既に夕食を用意していなければと忸怩たる思いを、翌日の学食でぶつけたが、私のカレーを欲する気持ちは学食のおばちゃんのカレーでは治まらなかった。食べ終わっても、私の心はカレーで染められていた。野菜を一杯入れたカレーに少し贅沢して好物の海老を入れて・・・と今晩のメニューが決まりかけた時、横に座った学生がカレーうどんを食べているのを見て、気持ちが揺らいだ。
米もいいけど、うどんも捨てがたいと。
しかし、カレーにはごろごろっとしたジャガイモが必要不可欠というこだわりがあるので、今日の夕飯をカレーうどんにしても、カレー欲は治まらないだろう。ならばどうするか?私はジャガとうどんの共存の道を探した。そして、カレー鍋という存在に行き当たった。
しかし、私には鍋は一人でするものではないというこだわりもある。
つまり、カレー鍋を食べるには誰かを誘わないといけないのだが、地元を離れ新しい土地で1人暮らしている私には、鍋に誘える程、親しい友人はいなかった。カレー鍋を諦めないといけないのか、こんなに食べたいのに。私の心はもうカレー鍋のものなのに。
そんな私でも仕事はちゃんと済ませた。仲の良い先輩達にお誘いをかけたが、残念ながら用事があるとのことでお断りされた。
最後の希望を失って悲しみにくれたところで烏帽子様に声をかけられた。
「こんばんは。昨日はどうも。お帰りですか?」
余程のことがないと神様には会えないはずなのに、あちらから話しかけて来られて驚いた。
頭の隅で、神様もカレー食べるかな?ほぼ初対面だけど、誘うだけ誘ってみようと考える私がいた。よく話したことのない神様に誘いをかけるほど、その時はカレーに心を持っていかれていた。
「烏帽子様、カレー鍋を知ってますか?」
暗くとぼとぼ歩いてきた私が、いきなりカレー鍋のことを聞いてきたのにびっくりしたのだろう。烏帽子様は少し引き気味だ。
「カ、カレー鍋ですか?名前だけは知ってますけど、ウチでカレー系をすると匂いがついちゃうから食べたことはないんですよね。学食で鍋フェアでもしてくれたらいいんですけど…」
どこか寂しそうに言う烏帽子様。確かに、寂れてるとはいえ神社からカレーの匂いがしてはいけないだろう。手ごたえはあった。
「煮込まれたとろとろの長葱、ホクホクのジャガ、甘みのあるにんじん、プリプリの海老、今の季節ならきのこを入れるのもいいです。全ての具にだしで割ったカレーが絡むのです。そして、締めにうどん。あ、締めはご飯派なら、上にチーズを乗せるのも美味しいんですよ」
そこまで一気に述べて、尋ねる。
「カレー鍋食べたくありませんか?」
しばらくすると烏帽子様の唾を飲み込む音が聞こえた。
その日の夕食は楽しかった。念願叶ってカレー鍋を食べられたこともあるが、久しぶりに1人でない食事が出来たのだ。
謎に包まれている神様ということで緊張していたのだが、意外なことに烏帽子様は庶民派だった。
月毎に変わる学食フェアを楽しみにしていることを語り、大学近くの定食屋の裏メニューまで教えてもらった。色気より食い気の私はとても素敵な情報をもらって感謝した。
「いや、長生きしていると食べることくらいしか楽しみがなくて…」
えへへと照れ笑いしながらビールをグビッと飲む烏帽子様も楽しそうだ。
見た目が中学生なので最初は止めたのだが、私より長生きしているという主張に基づき烏帽子様のアルコール摂取はなされた。
「これっくらいじゃ、酔わないよ」
500ml缶3本目に突入しながらケラケラ笑っている烏帽子様は真っ赤だ。
かく言う私もすでに真っ赤になっている。いつもは弱いのでほとんど飲まないのだが、目の前の酔っ払いがしつこくすすめてくるので断りきれなくなり、コップ1杯の付き合い酒でこの有様だ。
続いて、初めて食べたカレー鍋の感想や他に入れたらいいと思われる具材も熱く語リ合った。
烏帽子様の熱いカレー鍋に対する意見に、いかに今回の布陣がベストかを反論したり、提案された新しい具材を検討したり忙しかった。一巡して、最後の具材はジャガイモだ。
「煮込むならメークインだ!!」
「煮崩れより男爵のホクホク感をとったんです。逆に煮崩れがとろみとなり、最後のうどんとの絡みにつながります。私はカレー鍋には男爵がベストだと信じます!!」
「わかった、わかった。でも、君には、冒険心が足りない。アスパラを入れてみてもいいじゃないか。絶対にあうと思う」
「今回は、オーソドックスなカレーをテーマに具材を決めたのですよ?冒険など無用!!」
ダンッと互いにビールが入ったコップをテーブルに置き、むぅーとにらみ合う。
「君がそう言った所で、実際に食べなくては決められないね」
そんな次回持ち越し意見が出されたところで、結局、第2回カレー鍋会を必ず実施することを約束しあい、その日は解散した。自宅の狭い玄関で靴を履いた烏帽子様がしゅっと消えるのを見て、すっかり忘れていたが神様だったのを思い出した。
酔いもさめた翌日、なんとくだらない会話をしたのかと昨夜の醜態を後悔したが、とりあえず、仕事だと神社へ向かった。あちらも昨日の様子を覚えていたようで、2人とも同じような情けない顔でいるのを見れば、お互い自然と笑いが起きた。
「昨日はお邪魔しといてあんなに酔ってしまって申し訳ありませんでした。いつもと勝手が違ったものですから」
「いえ、楽しかったです。2回目は烏帽子様が提案してくれた具材でいきましょう」
「また懲りずに呼んでくれますか?」
「ええ、もちろん。もし、よろしければ、また来ていただけるとうれしいです」
カレー鍋の具材で絡み酒を展開する烏帽子様は、既に神様のありがたみを感じない。それより美味しいものが好きな変な友人という枠に収めた。就職してから初めて友人ができたことが嬉しかった。