第八章 剥がされた仮面
朝の喫煙所はいつもよりざわついていた。
スマホの画面を見せ合いながら、皆が同じ話題を口にしている。
「ねぇこれ見た?まじでヤバくない?」
「薬物ってさ、どこで手に入れるの?」
「芸能人じゃあるまいし、なんか信じられないよね」
タバコの煙よりも濃い興奮が、空気を押し潰していた。
その渦の中心にある名前は、すぐには出てこなかった。
「ほら、この間亡くなった人、名前なんていったかな?」
「大内さんのこと?」
「そうそう、その人の奥さんが捕まったって。薬物の所持と密売て言うの?テレビで流れてた」
「父ちゃん死んで母ちゃん捕まって、子供どーすんのよ」
「子供がいたらさ、普通の親なら子供の幸せのために生きるよね」
「自分の快楽優先てとこが、あの地味女の気持ち悪さよ」
「見た目もやる事も気持ち悪過ぎ」
「子供達は親ガチャ失敗だよね」
ゆきは黙ってその会話を聞いていた。
指先のタバコはいつもより短くなっていた。
噂話をこれでもかとする人の子供も親ガチャ失敗だろうに。
⸻
昼休み、村瀬が会議室へ呼び出された。
任意の事情聴取。もちろん勤務時間中。
誰もが耳をそばだてていたが、口には出さなかった。
「大内とも、奥さんとも、仕事上の接点があったらしいよ」
「どこまで巻き込まれるんだか……」
一部始終を知っている者などいないのに、皆が知った風に語った。
⸻
翌日、今度はゆきが呼ばれた。
職場の会議室ではなく、区内の警察署。
簡単な調書を取る。すぐ終わると言われた。
「大内汎子さんと、面識は?」
「はい。少しだけ。亡くなった方の奥さまとして」
若い刑事が一人、手元の資料をめくりながら聞いてくる。
その手つきが、少しぎこちなかった。
「まあ、今回の件は薬物ですけど随分前から使用しててね。現行犯逮捕じゃないとむずかしくてね。タレコミが有ったので我々もマークしていたんだよ」
誰かに見張られている。纏わりつかれていると汎子が言ってたのは警察のことだったんだ。
「大内汎子とはどういう関係で?」
「大内さんは自殺ではなく殺されたと思っていらっしゃってて、会社での様子はどうか聞かれました」
「旦那は鑑識にも回したけど自殺だね」
「そうなんですか」
若い刑事から思わず知った真実。
大内さんは自殺だったのね。
ゆきは、汎子が言っていた“夜中の書類の出し入れ”のことが気になっていた
「そう言えば、大内さんが亡くなる何日か前の夜中、鞄から書類を出したりしまったりしてて声を掛けても見向きもしなかったと言ってました」
「あれは……まあ、詳しくは言えないけど、大内汎子の薬物反応の検査結果書類が入ってたんですよ」
大内が亡くなったあの日。
警察は彼のバッグを預かっていたらしい。
その中に、汎子の検査結果が──
しかし聞けば何でも口を割りそうな刑事。
「刑事さんて何でも教えてくれるんですね。」
ゆきは皮肉を込めて言ってみた。
「あ、いや、」
「大した事じゃないからつい。」
「あ、やっぱりダメか」
「捜査情報のひとつなわけだしな」
「大変申し訳無いんだけど聞かなかったことで」
刑事の視線が一瞬だけゆきの顔を伺った。
ゆきは帰りの電車の中でふと思った。
汎子は言ってた。受験生の子がいると。
男の子二人。食べ盛り。
男の子ならろくに料理など出来ないだろうに。
冷蔵庫開けて手を加えず食べられる物が沢山有れば当面はしのげるかな。
今日のニュース、見たんだろうか。
母親がテレビで晒されて、学校へ行けるんだろうか。
「親のせいで」
どれだけ心を潰されるんだろう。
デジタルタトゥーを刻まれた子供の未来がどんな物なのか想像も出来ない。
月並みに、子供たちが不憫だと思った。
でも、涙は出なかった。
自分に子供がいたら――なんて想像すらできない。
ゆきも結局、画面越しに他人の不幸を消費する側の人間だ。
それでも、一線は越えたくなかった。それだけは、自分に残しておきたかった。
自分を傷つけるような真似は、したくない。
誰かを笑って、欺いて、自分を嫌いになるような真似はしない。
隣の席の人のスマホからまたあのニュースが聞こえてくる。
「違法薬物所持・密売、使用の疑いで主婦逮捕──」




