第五章「蠢く沈黙」
大内の死は自殺じゃない。
大内に自殺する理由なんて見当たらない。
大内の妻、汎子は日々悶々としていた。
何をどうすれば......
パートから帰宅した汎子は玄関の鍵を開けた瞬間、何かが違うと感じた。
空気の温度がわずかにずれている。
リビングに足を踏み入れた汎子は、思わず立ち尽くした。
幾つかの引き出しが開け放たれていた。
引き出しの中の何かを探し荒らされたような光景だった。
「……嘘でしょ……」
鍵はかけていた。窓も閉めていた。何も盗まれていない。不自然すぎた。
なのに胸の奥に、見慣れた風景が急に異質なものに変わるような、言いようのない不安が広がっていく。
こわい。
荒らされた形跡を目の当たりにした瞬間、汎子の中で何かが繋がった。
ずっと感じていた「見張られている」ような感覚。
大内が亡くなってから更に強く感じていた。
すべてが、この一瞬に結びついた。
大内は自殺じゃない。殺されたんだ。
大内が亡くなる少し前のことだった。
夜中、トイレに起きた汎子は、リビングの明かりがついていることに気づいた。
静かに戸を開けると、大内がソファの前で、カバンを広げ、書類を出したりしまったりしていた。
書類を何度も見つめ、考え込んでは、頭を抱えて。
その横顔は、明らかに何かに追い詰められていた。
声をかけたが、大内には聞こえな。
書類に目を落とし続けていた。
あの時の、異様な空気。緊張。
大内は経理部門にいた。
家庭では仕事の話をする事は無かったが、ふとした時に見えた社名入りのファイルや、妙に厚い封筒が気になっていた。
そして今、誰かが家の中を探った。
目的は...
きっと、あの時の書類......
警察へ通報すべき?
もし相手が知ったら?
自分や子どもたちに危害を加えたりしないだろうか。
不安が恐怖に変わり、胸を圧迫する。
心臓が喉元まで飛び出しそうだった。
鼓動が早くなる。
なだめられない鼓動。
その夜、汎子は布団の中で目を閉じたまま、考え込んでいた。
まともに眠れなかった。思考が渦のように同じ場所を回る。
いつから?
1日ずつ遡る
いつから大内は...
そして
あの葬儀の日に遡った、光景が脳裏に浮かんだ。
遺影の前で、誰よりも長く立ち尽くしていた
スーツ姿の女性。
大内の葬儀でただ一人。
長く遺影を見つめていた。
そそくさと面倒臭そうに大内の遺影すら見ずに事務的に対応する社員の中で唯一彼女だけが遺影を見つめていた。
特に言葉を交わしたわけではない。
参列した社員の中で唯一印象に残っていた人だ。
あの女性だけ周りと違う佇まい。
何かを知っている...のではないか。
いや、知っていてほしかった。そうでなければ、自分のこの恐怖心はどこへ向ければいいのか分からない。
大内は巻き込まれたのだ。
あの女性に聞いてみたい。
明日、会いに行こう。
翌日、汎子は山野ゆきの退社時刻を見計らい、会社の前で待った。
社員たちがぞろぞろと建物から出てくる中、ゆきの姿を見つけると、汎子は緊張しながら声をかけた。
「あの……突然のお声掛け申し訳ございません。私、大内の家内です。生前は主人がお世話になりました。それから、葬儀にも参列していただいて……ありがとうございました」
ゆきは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情を整え、会釈した。
「お話ししたいことがございまして。少しだけ、お時間いただけませんか?」
ゆきは数秒の間を置いてから頷いた。




