第二章「狩られる生贄」
「おはようございます」皆が口々に行き交う度に挨拶をする。
経理部の大内は皆の挨拶を心で受け止め心で返す人間だ。
決して無関心なわけではない。
そんな大内に入社して初めて社内メールが届いた。
本日15時
A会議室にて
人事部 村瀬
大内が会議室へ入ると既に村瀬が居た。
「ちょっと面倒な事が起きているんだが、大内君教えてくれないか」
「はい、なんでしょうか?」
大内が言い終わる前に村瀬は膨大な資料を目の前に叩きつけるように置いた。
「全て大内君君が承認した物だ。この部署はとうに無い。承認し振り込みされた先の会社は存在しない。どういう事か教えてくれないか」
「私の承認コードが使われていますが私は承認をした事はないです。なぜ私の......申請者へ確認はしましたか?」
「何も確認せずに大内君を呼び出したわけでは無い。申請者は長らく病欠だ。休職中の者だ」
「私の承認コードですが、本来、有ってはならないことですが経理部の全員が共有しています。私で無くとも承認出来る状態です。承認する際は経理部長のデスク横にあるパソコンで行います。私が承認したのなら承認日付と時間帯から経理部の監視カメラを確認してください。私は自席から動いていませんから」
普段の大内からは想像も出来ないほどの熱弁だった。
額には汗が滲んでいた。
黙っていれば犯人にされる
声を上げれば疑われる
どちらにしても袋小路だ。
「大内君、君は疲れているんじゃないか」
「疲れてなどいません」
認めない大内を目の当たりにし徐々に怒りが込み上げて来た村瀬は
「いい加減にしてくれよ。申請者は休職中、申請部署も存在しない。存在するのは承認者の君だけだ。この様なことが上層部の耳にでも入ってみろ俺が責任を取らされるんだぞ」
「なぜ人事部の村瀬さんが責任を取らされるんですか?理解出来ません。私でしたらこの事態を上層部へ報告しシステム部に解析をお願いしますが」
食い下がる大内に村瀬は
「有給が残って居るだろう。少し休むといい。お子さんとコミュニケーションは取れているか?確か男の子が2人だよな。奥さんひとりで子育てするには大変だろうに」
「家庭のことでご心配頂かなくてもけっこうです。私はひとまず経理部長へ報告します」
「その申請が不思議なことに承認されると消えているんだよ。今なら私1人だけが気付いている状況だ。悪いことは言わない。少し休むといい」
大内は会議室を後にしカフェテリアで村瀬との会話を反復していた。
何故、自分の承認コードが。
何故、人事部の村瀬が事態を把握しているんだ。それも決めつけた言い方をしやがって。
クソ野郎が。
やり切れない気持ちのまま会社を出た後に雑居ビルの喫煙所に大内は居た。
会社では手にしないタバコを吸っていた。
吐き出す煙を行き場を失った自分と重ねていた。いつかは消える。自分もか。
その時、大内の携帯が鳴った。
妻からだった。
「もしもし、あなた?今月の生活費がまだ振り込まれて無いんだけど」
「あー、悪い。今日は忙しくて振込する時間が無かったんだ」
「ねえ、あなた。私、もう限界よ。この間、息子の塾から月謝が3ヶ月未納ですけどって連絡が来たわ。対応はいつも私。子供達の靴を見た事があるの?ボロボロの靴を履いているのよ。私だってパートのお昼休憩はパンひとつで済ませてる。白髪だって染めたくても我慢している。服だって何年も同じ服よ」
「僕の小遣い以外は全部振り込んでいるじゃないか。ここ何ヶ月かで大きな出費も無いのに塾代が何故未納なんだ?靴くらい買い与えられるだろう?帰ったら通帳を見せてくれ」
「あなた...あなたは本当にわかってないのよ」
「なにがだ?」
夫婦の口座に振込が遅れただけでなんなんだ。
世の中にはごまんとフルタイムで働いている奥さんがいるのに子育てと言う免罪符でいつまでもパート勤めで甘えているのは君の方だろう。子供だって充分に大きくなっているじゃないか。
本当は何をしているか俺は知っているんだぞ。問い詰めてやろうか。
吐き出してしまいたい思いを飲み込み
「君はよくやってくれている。感謝してる。明日直ぐ振り込むよ」
会社では疑いの目を向けられ
家では金、金、金
自分の人生は一体......
ああ、面倒くさい。
心が晴れない日が多い人生だ。
大内は一通のメールを送信した。
「私はもう限界だ」
送信先は自分に宛てたメールだった。
数日後、ひっそりと大内の葬儀が執り行われた。




