第十章 不完全の上に立つ完全
システム部の棚橋は定時直前の喫煙所で一服することを、ほとんど習慣のように守っていた。
けれどその日は、妙に気になったログファイルが頭を離れず、席を立てなかった。
—使用されていないはずの部署コードから、定期稟議が通っている?
部署名は「営業第一促進企画室」。
すでに廃止された部署で、棚橋の記憶では、半年以上前に解体されていたはずだ。
だが、その名義でつい三日前に処理された決裁データが、社内稟議のシステムに残っている。
おかしい。
念のためバックエンドの操作ログに潜り込み、当該アカウントの履歴を追った。
そして棚橋は息をのんだ。
削除されたはずのIDが、復元され、使われている?
モニターの中に、見覚えのある文字列が浮かんだ瞬間、棚橋の指が止まった。
こんな高度なテクニック……
この会社で、こんな操作を出来る人間がいるのか。
棚橋は眉をひそめた。
始まりは、ほんの偶然だった。
派遣スタッフとの顔合わせ。形式的な挨拶。
その日、篠田が初めて採用担当の村瀬と会った。
「本日はお時間を作っていただきありがとうございます。早速、スタッフのキャリアについてのご説明をさせていただきます。」
スタッフ、篠田、村瀬の面談が終わり
一旦、スタッフを帰宅させ
篠田だけがまた、村瀬の所へ戻った。
「本日はありがとうございました。本人に確認しましたところ、非常にやり甲斐を感じておりまして、ご縁があればと申しておりました。如何だったでしょうか?」
篠田は一件でも成約に繋げる為、また申し込んだスタッフの為に契約を取りたかった。
「篠田君てもしかしたら○○町の出身かな?」
「えっ?」
「いや、私がそこの出身でね。話すイントネーションが同じに感じたものだから」
「そうなんですか!はい、自分の出身は村瀬さんと同じです」
「広い東京で同郷の仲間に会えるのは嬉しいねー。今度、仕事抜きで飯でも行こう。苦手な食べ物は何かな?」
「ないです。」
「アルコールは?」
「舐める程度です」
「舐める程度ってことは相当飲めるな」
「いえいえ、言葉通りです」
「連絡先教えて」
「よろしくお願いします。今日の面談の件もよろしくお願いいたします。」
居酒屋のカウンター。
村瀬と篠田は地元の話で花が咲いた。
駄菓子屋の名物お婆さんの話や二人にしかわからないローカルトークで盛り上がった。
同郷のよしみか何度か村瀬より誘われる様になって行った。
何度も村瀬と食事をしているうちに篠田は気付いた。
若い女性に目がなく妻帯者でありながら色んなところで遊んでいる。
篠田を取引先営業として餌をチラつかせ「仕事なんて、さして出来なくてもいいから可愛い子ウチによこしてよ。どこの部署も人手不足なんだ」
篠田は小学生双子の父親だ。何をするにも二倍出費がかさむ。
契約は是が非でも取りたい。歩合が欲しいのだ。
村瀬と篠田の思惑が合致した。
とは言え、スタッフの適性を見極めつつ若いスタッフを派遣していった。
いつものように村瀬と篠田は酒を酌み交わしていたある夜
「篠田君さ、以前○○開発に居たんだよね?どうして辞めたの?」
「ブラック過ぎるブラックでして。休みが有って無い様な。仕事内容は好きでしたが、このまま居続けていたら心も体も壊れると思い畑違いの今の仕事に転職しました」
「体が資本だからな。」
「はい。うちは双子なんです。男の子で。仕事ばかりで育児をほとんど妻に任せきりで、妻がどんどん疲れていって」
「自分のことや家のことなど考えて決断しました」
「お子さんが双子なんだ。そりゃ奥さん大変だったろうに。
表面上で心配な素振りをみせておけば
「まあ、いいだろう」
そんな程度にしか篠田を見ていなかった。




