第4話:「灰の下の灯」
王都の夜は静かだ。
だが静けさにも種類がある。
祈りの後の静寂は、整えられた沈黙だ。
今夜のこれは違う。
息を潜めた静けさ。
何かが動いている夜の静けさだ。
「……先生、誰かいる」
宿へ戻る途中、カイルが足を止める。
路地の奥。
白壁の影に、黒よりも濃い揺らぎ。
俺も気づいていた。
尾けられている。
「騒ぐな」
小声で言う。
「様子を見る」
だがカイルは踏み込む。
未熟だ。
だが、躊躇わない。
影が走る。
「待て!」
石畳を蹴る音。
角を曲がる。
行き止まり。
誰もいない。
だが。
壁に焦げ跡があった。
円形。
中心に刻まれた印。
炎を象った紋。
焼き付けたというより、
内側から焦げたような痕。
「……灯か?」
カイルが手を伸ばす。
「触れるな」
シオンの声が鋭い。
「これは祈りの術式ではない」
低く続ける。
「戦場で見たことがある。
退く者ではなく、残る者の印だ」
俺は周囲を見る。
監視の気配はない。
だが“表の通り”とも違う。
ここは目が薄い。
「反教団か」
カイルが呟く。
「それとも内部か」
俺は壁の焦げを指でなぞらずに観察する。
聖教国が完全なら、
こんな印は必要ない。
正しさが完成しているなら、
残火は生まれない。
⸻
翌日。
広場で噂を拾う。
「また一人、異端が捕まったそうよ」
「北の思想に染まったとか」
「怖いわね」
声は穏やかだ。
だが目が揺れる。
恐れているのは異端そのものじゃない。
“考えること”だ。
カイルの拳が強く握られる。
「異端ってなんだよ」
誰に向けるでもない。
答えは分かっている。
決められた正しさから外れた者。
それだけだ。
⸻
治癒院の裏。
レオンが立っていた。
昨日と同じ場所。
だが今日は壁に寄らず、
足で立っている。
「お前か」
俺が言う。
「何のことだ」
目は逸らさない。
だが読ませない目だ。
「昨夜の印だ」
沈黙。
風が通る。
「……見たのか」
否定はしない。
それだけで十分だ。
カイルが前に出る。
「あれ何だ」
レオンは答えない。
代わりに問う。
「勇者」
「なんだ」
「この国をどう思う」
唐突だが、試している。
「……息苦しい」
カイルは正直だ。
「でも、悪い人ばっかじゃない」
子供も、母親もいた。
怯えていた。
悪ではない。
レオンの目がわずかに細まる。
「甘いな」
「かもな」
否定しない。
「でも、間違ってるなら直せるだろ」
真っ直ぐだ。
危うい。
レオンは少しだけ視線を落とす。
包帯から血が滲む。
「直す、か」
小さく繰り返す。
「……形を保ったまま変わるものは少ない」
それ以上は言わない。
だが意味は重い。
鐘が鳴る。
広場の方から音が届く。
人々が膝をつく時間だ。
レオンはわずかに遅れて膝をつく。
歯を食いしばりながら。
従う者の姿だ。
だが目は伏せない。
地面ではなく、前を見ている。
シオンが静かに言う。
「灰は、踏めば消える」
誰にともなく。
「されど内に熱を宿す灰は、風を得れば再び灯る」
レオンの視線が動く。
一瞬だけ。
反応だ。
「……北の騎士」
「名は出しておらぬ」
「ならば出すな」
拒絶ではない。
警告だ。
鐘が止む。
人々が立ち上がる。
何事もなかったように日常が戻る。
俺は理解する。
この国には火はない。
あるのは、灰だ。
完全に消えた灰と、
まだ熱を持つ灰。
昨夜の印。
あれは炎じゃない。
宣言でもない。
確認だ。
――まだ消えていない、と。
レオンは裏側に立っている。
だが、壊す目はしていない。
燃やす目でもない。
測っている。
壊せば何人死ぬかを。
残せば何人削られるかを。
危うい均衡だ。
灯は小さい。
だが確かにある。
灰の下に。
そして俺は思う。
あの男自身もまた、
灰の下の灯だ。
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