第3話:「視線の温度」
聖教国の夜は静かだ。
静かすぎる。
酒場に笑い声はない。
楽器も鳴らない。
祈りが終われば、街は眠る。
――眠らされる。
通りには灯りがある。
だが人影はない。
それでも、誰かに見られている気がする。
視線はない。
だが、ある。
「つまんねぇな」
カイルが言う。
声は抑えている。
ここでは、声の高さが浮く。
「賑やかな方が好きか」
俺は歩きながら聞く。
「うん。生きてる感じがするだろ」
生きている感じ、か。
この国は整っている。
だが脈が聞こえない。
⸻
治癒院の裏手。
昼、血を流していた男が運ばれた方向。
カイルが止まる。
「……いる」
壁際。
灰色の衣。
脛に包帯。
血が滲んでいる。
だが、姿勢は崩れていない。
立っている。
逃げるでもなく、隠れるでもなく。
ただそこにいる。
目が合う。
冷たい。
凪いだ水面のような目。
怒りはない。
恐れもない。
あるのは――諦めだ。
底の見えない諦め。
「怪我してんだろ」
カイルが一歩出る。
俺は止めない。
今は、止めない。
「近づくな」
低い声。
揺れない。
「治せる」
「必要ない」
言葉が短い。
感情を削いだ声。
「なんでだよ」
沈黙。
そして。
「ここでは、治癒は祝福だ」
視線がわずかに動く。
治癒院の方へ。
「祝福には、代価がある」
説明はしない。
言い切る。
それだけで十分だ。
カイルが眉を寄せる。
「昼の紋様か」
一瞬。
ほんの一瞬。
青年の目が揺れた。
見えていたのか、と。
「先生」
カイルが振り向く。
シオンが歩み出る。
「某にも見えた」
断言。
「加護ではない」
青年の呼吸が、わずかに変わる。
「……北の騎士か」
「いかにも」
「ならば関わるな」
拒絶は鋭い。
だが温度は低い。
怒りじゃない。
疲労だ。
削られ続けた者の声。
⸻
「俺たちは旅人だ」
俺が言う。
青年の目が、初めて俺を見る。
測る目だ。
信徒を見る目じゃない。
敵を見る目でもない。
重さを量る目。
「旅人ほど厄介な存在はない」
淡々と。
「見て、疑問を抱き、去る」
図星だ。
だからこの国は旅人を嫌う。
揺らぐからだ。
「名前は」
カイルが聞く。
間。
わずかな迷い。
「……レオン」
短い。
削られた名だ。
「俺はカイル。勇者だ」
差し出した手。
レオンは見ない。
だが、口元がわずかに動く。
笑った。
温度のない笑み。
「勇者、か」
その二文字を転がす。
「この国に、勇者は不要だ」
断定。
「正しさは既に完成している」
その言葉に、熱はない。
信じていない。
ただ、事実として述べる。
包帯の下から血が落ちる。
赤が、石に広がる。
「痛むのか」
シオン。
「常に」
即答。
「歩けるのか」
「歩ける」
「戦えるのか」
ほんのわずか。
目の奥に火が灯る。
「……制限付きでな」
その火は小さい。
だが消えていない。
灰の下で息をしている。
⸻
遠くで鐘が鳴る。
夜の見回り。
視線が戻ってくる時間だ。
レオンが背を向ける。
「関わるな」
それだけ。
だが去り際。
一瞬。
カイルを見る。
その視線。
冷たい。
だが、奥に熱がある。
否定しきれない熱。
俺は理解する。
あいつは壊された側じゃない。
壊されながら、
壊れきらなかった側だ。
⸻
「先生」
カイルの声が低い。
「助けられるか」
シオンはすぐに答えない。
夜空を見る。
「助けるとは、何を指す」
「……分からねぇ」
「ならば焦るな」
静かだ。
「救いは、望まれねば成らぬ」
カイルは拳を握る。
視線はまだ熱い。
真っ直ぐだ。
レオンの視線は冷たい。
測る目だ。
俺は思う。
熱と冷。
どちらも未完成だ。
だが温度差があるから、
火は動く。
聖教国の視線は、無温だ。
均され、凪いだ視線。
だがあの男の目には、まだ温度がある。
冷えている。
だが死んでいない。
視線が交わった瞬間、
物語は確かに動いた。
鐘が止む。
夜はまた、何事もなかったように整う。
だがもう分かっている。
この国で最も危険なのは、
剣でも刻印でもない。
視線だ。
温度を奪う視線。
そして、温度を取り戻そうとする視線。
俺は静かに笑う。
面白くなってきた。
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