叙
佐伯は、ごく普通の塾講師だった。
昼は問題集を解き、夜は生徒の進路に頭を悩ませる。世界を救う理由も、特別な力もない。
ただ一つだけ、説明のつかない出来事があった。
ある日の帰り道、誰もいないはずの路地で、声が聞こえたのだ。
「君はちがう……」
振り返っても誰もいない。
続きを待ったが、声はそこで途切れた。
疲れているだけだ、と佐伯はその出来事を心の隅に押し込めた。
――三ヶ月後。
交差点で、視界が白く弾けた。
ブレーキ音、衝撃、そして暗闇。
■ ゴブリンとしての目覚め
次に目を開けたとき、佐伯は自分の手を見て絶句した。
緑色で、指は太く、爪は黒い。
鏡代わりの水面に映っていたのは、紛れもないゴブリンだった。
言葉は不完全、社会は残酷。
食べ物を奪い合い、弱い者は淘汰される。
彼は知恵だけを武器に、なんとか生き延びた。
そんなある夜、洞窟の奥で、また声が聞こえた。
「君はちがうせ……」
また、途中で途切れる。
その直後、光が洞窟を焼いた。
――三ヶ月後、勇者によって討伐された。
■ 宇宙海賊の下っ端として
意識が戻ると、金属の床の上だった。
重力、警報音、怒号。
「おい、新入り!ぼさっとするな!」
彼は宇宙海賊の下っ端になっていた。
名前も、立場も、価値もない存在。
命は使い捨て、昨日死んだ仲間のことなど誰も覚えていない。
ここでも、三ヶ月。
逃走中の艦が爆散した瞬間、佐伯は悟った。
――また、来る。
■ 何者でもない者
次に目覚めた世界で、佐伯は確信する。
これは偶然ではない。
彼は死ぬたびに、別の世界へと意識だけが跳ぶ。
年齢も種族も、文明すら違う。
共通しているのは一つだけ。
「君はちがう」
という、途中で途切れる声。
佐伯は考え始める。
自分は何者なのか。
なぜ“違う”と言われるのか。
ある世界で、古文書を見つけた。
そこにはこう書かれていた。
世界は無数に分岐するが、
その狭間を渡れる存在は、本来存在してはならない
佐伯は、世界に定義されない存在。
どの物語にも属さない、観測者の欠陥。
だから声は言い切れない。
「君はちがう――存在だ」と。
■ 冒険の始まり
佐伯は決める。
ただ流されて死ぬのは、もう終わりだ。
次に生まれる世界では、
声の正体を突き止める。
自分が“誰でもない”なら、自分で名乗る。
彼の旅は、剣も魔法も宇宙船も超えて続く。
何度死んでも、記憶を手放さず。
これは、英雄の物語ではない。
「何者でもない者」が、
自分という存在を証明するための物語だ。




