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最終話

私の放った光が完全に収まった時、森は生命の息吹に満ちた、穏やかな静寂に包まれていた。

汚染されていた泉は、嘘のように清らかな水を湛え、その水面には、呆然と立ち尽くす人々の顔が映り込んでいる。


「……セレスティア」


最初に我に返ったのは、エリアス殿下だった。

彼は震える声で私の名前を呼び、ふらつきながら私に歩み寄ろうとする。その碧眼には、これまで私に向けられたことのない、畏怖と、そして浅ましい後悔の色が浮かんでいた。


「すまなかった……!私は、君の本当の価値に気づいていなかった……!どうか、もう一度私と……!」

「お下がりください」


エリアスの言葉を遮ったのは、冷たく、しかし威厳に満ちた声だった。

いつの間にか、国王陛下が近衛騎士を伴って、この場に臨席されていたのだ。


国王陛下は、私を見るなり、その場で深く頭を下げられた。

「セレスティア嬢。いや――我が国を救いし聖女よ。息子が犯した非礼の数々、この国の王として、心から詫びる」

その真摯な謝罪に、周囲の貴族たちも慌てて頭を下げる。


「エリアス!」

国王の厳しい声が飛ぶ。

「貴様は、真の聖女を見抜けず、偽りの言葉に惑わされ、国を滅ぼしかけた大罪人だ!王子の位を剥奪し、北の離宮にて終生謹慎を命じる!」

「そ、そんな……!父上!」

エリアス殿下は無様に顔を歪ませるが、騎士たちに両腕を掴まれ、なす術もなく連行されていく。


続いて、国王の冷徹な視線は、腰を抜かして震えているイザベラ嬢へと注がれた。

「聖女を騙り、民を惑わしたその罪、万死に値する。だが、セレスティア嬢の慈悲に免じて命だけは助けてやろう。平民に身分を落とし、二度と陽の光を見ることなく、修道院で神に贖罪を捧げるがよい!」

「いやあああ!」

イザベラ嬢の悲鳴が、森の中に虚しく響き渡った。


そして、父であるヴァイス公爵が、ここぞとばかりに進み出て、私の前に跪いた。

「おお、セレスティア!我が誇り高き娘よ!お前の偉大な力を、この父は信じていたぞ!さあ、屋敷へ帰ろう!これからは、ヴァイス家の至宝として、お前を丁重にもてなそう!」


そのあまりにも身勝手な言葉に、私の心は、もうピクリとも動かなかった。


国王陛下は、満足げに頷くと、私に手を差し伸べた。

「セレスティア嬢。改めて、君を王家の妃として迎えたい。愚かな次男ではなく、次期国王となる我が長男、王太子の妃としてだ。君ほどの力があれば、この国は永遠に安泰だろう。どうか、この国の未来のために、その力を……」


国の未来のため。ヴァイス家のため。

誰もが、私を『聖女』と呼び、祭り上げ、その力を自分たちの都合の良いように利用しようとしている。

結局、何も変わらない。

彼らは、『氷の人形』の代わりに、『聖女の人形』を欲しているだけだ。


だが、私はもう、黙って微笑むだけの人形じゃない。


私は、差し伸べられた国王の手を取らなかった。

代わりに、ずっと傍らで私を見守っていてくれた、温かい手を取る。

カイの手を。


彼は、何も言わずに、私の手を強く握り返してくれた。

その温もりだけで、私はどこまでも強くなれた。


私は、国王陛下と父の顔をまっすぐに見据え、はっきりと告げた。

凛と響き渡る、私自身の声で。


「――お断りいたします」


私の言葉に、その場にいた誰もが息を呑んだ。

国王陛下でさえ、信じられないというように、目を丸くしている。


「……今、なんと申した?」

「私はもう、誰かのための人形になるつもりはありません、と申し上げました」


私は、カイと繋いだ手に力を込めて、言葉を続ける。


「この力は、国の安寧や、家のための道具ではありません。私が、私の意志で、助けたい誰かのために使うものです。エリアス殿下が私を捨ててくださったおかげで、私はそのことに気づくことができました。ですから、殿下にはむしろ、感謝しておりますわ」


私の皮肉のこもった言葉に、連行されかけていたエリアス殿下の顔が、絶望に染まる。


「お父様」

私は、呆然と立ち尽くす父に向き直った。

「貴方様が私に与えてくださったのは、冷たい物置部屋だけでしたわね。私は、ヴァイス家の人間であった記憶はございません。本日をもって、私はセレスティア・フォン・ヴァイスの名を捨てさせていただきます」


「なっ……!何を、馬鹿なことを!」

「馬鹿なことではございません。これが、私の選んだ道です」


私は、国王陛下と父に、淑女の礼法に則った、最後の一礼をした。

それは、過去の自分との決別の儀式だった。


「陛下、私は聖女などではありません。ただの、セレスティアです。これからは、私を本当に必要とし、理解してくれる人の隣で、静かに生きていきたいのです」


私の視線の先にいるカイを見て、国王は全てを悟ったようだった。

彼は、深く、長いため息をつくと、やがて、諦めたように小さく頷いた。

「……分かった。聖女の意志を、これ以上縛ることはできまい。行くがよい」


その許しを得て、私はカイと共に、その場に背を向けた。

もう、振り返ることはなかった。

背後で父が何かを叫んでいた気がするけれど、その声は、もう私の心には届かなかった。


こうして、国を救った聖女は、歴史の表舞台から忽然と姿を消した。

後に残されたのは、偽りの聖女に惑わされた愚かな王子と、偉大な力を持ちながら娘を虐げ続けた公爵家の醜聞だけだった。

ヴァイス公爵家は、その権威を大きく失墜させ、社交界から姿を消したと聞く。


**――そして、二年後。**


王都から遠く離れた、国境近くの穏やかな田舎町。

古い街並みの一角に、小さな店が開店した。


『フクロウの魔道具店』


店の看板を掲げたのは、無骨だが腕は確かな魔道具師の男と、いつも優しい笑顔を浮かべている、彼の美しい妻だった。


「カイ、この薬草、もう少し細かく刻んだ方がいいかしら?」

「ああ、頼む。そっちのポーションの調合、もうすぐ終わりそうだろ?」

「ええ。この薬があれば、村の子供たちの熱も、すぐに下がるわ」


店のカウンターで薬草を刻みながら、私は窓の外に広がるのどかな風景を眺める。

私の力は、もう国を揺るがすような奇跡を起こすことはない。

けれど、村の人のちょっとした怪我を治したり、枯れかけた畑に恵みを与えたり、そんなささやかな奇跡を、日々起こしている。


「セレスティア」

不意に名前を呼ばれ、振り返る。

カイが、私の頬に触れ、薬草の欠片を優しく取り除いてくれた。

その琥珀色の瞳が、愛おしそうに私を見つめている。


「……なんだか、いつも笑ってるな、お前」

「ええ。だって、毎日がとても幸せだから」


私は、心からの笑顔で彼に答える。

もう、私の首に冷たいチョーカーはない。

胸元で輝いているのは、カイが贈ってくれた、温かい月の光を宿すペンダントだけ。


『氷の人形』と呼ばれた令嬢は、もういない。

ここにいるのは、愛する人の隣で、自分の力で、ささやかな幸せを掴んだ、一人の女性。


沈黙は、金ではなかった。

私の幸せは、私の声と、私の意志で、この手で掴み取ったのだ。

これからも、ずっと、この温かい場所で。

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