第5話
ヤバいもの。
カイの言葉に、心臓がどきりとした。
「これは、母の形見で……私の魔力を、抑えてくれるものだと……」
「抑える、ね」
カイは私の言葉を鼻で笑うと、立ち上がって棚から古びた革張りの本を引っ張り出してきた。
パラパラとページをめくり、ある箇所で指を止める。
「確かに、その紫水晶には魔力を鎮静化させる効果がある。だが、問題はその台座と……ベルベットに編み込まれている術式だ」
「術式……?」
彼は、カウンターに置かれたチョーカーを指先でなぞりながら説明を始めた。その目は、獲物を見つけた狩人のように鋭く光っている。
「これは、ただ魔力を抑え込んでいるだけじゃない。あんたの感情そのものを『喰って』魔力を無理やり霧散させてるんだ。それも、かなり旧式で乱暴な術式だ」
感情を、喰う?
「そんな……だから私は、笑ったり、泣いたりすることが……」
「ああ。そいつを身につけている限り、あんたは感情をまともに表に出せない。無理に感情を昂らせれば、喰いきれなかった魔力が暴走する危険もある。まさに、首輪付きの爆弾だな」
彼の言葉は、長年私を縛り付けていた呪いの正体を、いとも容易く暴いてみせた。
母様は、私の力を恐れるあまり、私から感情さえも奪ってしまっていたのか。
いや、違う。きっと、これしか方法がなかったのだ。私を守るために。
(でも、このままじゃ……)
チョーカーはもう限界だ。
これが壊れた時、私は一体どうなってしまうのだろう。
絶望で目の前が暗くなる私に、カイはこともなげに言った。
「まあ、直すこと自体は可能だ。だが、根本的な解決にはならん」
「……え?」
「いいか、嬢ちゃん。あんたの魔力は、ダムに溜まった水と同じだ。このチョーカーは、そのダムに無理やり蓋をしているに過ぎない。蓋が壊れりゃ、水は溢れて大惨事だ。そうなる前に、あんた自身が水の流れをコントロールする方法を覚えなきゃならん」
魔力を、コントロールする。
そんなこと、考えたこともなかった。
私にとって魔力は、ただ抑え込み、隠すべき『災害』でしかなかったから。
「……私に、そんなことができるのでしょうか。ずっと、この力は呪いだと思って生きてきました」
思わず、本音がこぼれた。
エリアス殿下にも、父にも、誰にも言えなかった弱音だった。
カイは、私の震える声を聞いても、馬鹿にしたり、憐れんだりする素振りは見せなかった。
ただ、静かに私の目を見つめ、そして、初めて少しだけ口の端を上げてみせた。
「呪いかどうかは、あんたの使い方次第だろ。その莫大な力は、使い方を間違えなきゃ、誰かを守るための『祝福』にもなり得る」
祝福。
その言葉は、まるで乾ききった私の心に、一滴の水が染み渡るように広がっていった。
「俺は魔道具師だ。あんたのその『蓋』を、もっと安全な『蛇口』に作り替えることならできる。あとは、あんたがその蛇口を捻る勇気があるかどうかだ」
カイはそう言うと、私の前に古びた羊皮紙とインクの入ったペンを置いた。
「どうする?このまま呪いを抱えて怯えて生きるか、それとも、祝福に変えるために俺と契約するか」
彼の琥負色の瞳が、まっすぐに私を射抜く。
その瞳の奥には、確かな自信と、そして、ほんの少しの優しさが宿っているように見えた。
生まれて初めて、誰かが私の力を否定せず、可能性を示してくれた。
この人なら、あるいは。
この人となら、私は変われるかもしれない。
私は、震える手でペンを取った。
そして、契約書に、自分の名前を記した。
セレスティア・フォン・ヴァイス。
それは、氷の人形であることをやめ、一人の人間として未来を掴むための、最初の誓いだった。




