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第3話

夜会から逃げ帰った私を待っていたのは、温かい慰めの言葉などではなかった。

屋敷に一歩足を踏み入れた瞬間、父であるヴァイス公爵の、凍てつくような声が私を射抜いた。


「――エリアス殿下とのご婚約が、破棄されたというのはまことか」


謁見の間。父と、そして継母であるアリアンヌ様が、まるで罪人を裁くかのように玉座まがいの椅子から私を見下ろしている。

私は俯いたまま、かろうじて頷くことしかできなかった。


「……はい」


その瞬間、父が持っていた扇子を床に叩きつける、甲高い音が響き渡った。


「この愚か者めが!いったい何をした!お前の役目は、ただ黙って王家に嫁ぎ、ヴァイス家の安泰に貢献することだけだったはずだ!それすらできぬとは、なんという出来損ないだ!」


出来損ない。

幼い頃から、何度となく浴びせられてきた言葉。

強大すぎる魔力を持って生まれたというだけで、私はずっとヴァイス家の『瑕疵』だった。


「申し訳、ございません……」

「謝って済む問題か!おかげで我が家の面目は丸潰れだ!王家との繋がりも、ロセッティ男爵家のような成り上がりに奪われる始末!お前はもうヴァイス家の人間ではない。離れに籠り、二度と我らの前に姿を現すな!」


それは、追放宣告に等しかった。

継母は、扇で口元を隠しながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。きっと、彼女が産んだ私の異母妹を次の駒として王家に送り込む算段でも立てているのだろう。


その日から、私は北の離宮にある、かつて物置として使われていた塔の一室に押し込められた。

食事は日に一度、硬いパンと冷たいスープが扉の前に置かれるだけ。

侍女もつけられず、暖炉の薪も満足に与えられない。

窓から見えるのは、灰色に閉ざされた冬の空だけだった。


(これで、よかったのかもしれない)


孤独と静寂は、私の感情を凪いだままに保ってくれる。

誰も傷つけずに済む。誰かに失望されることもない。

まるで、本当に氷の人形になったかのように、私はただ息を潜めて日々を過ごしていた。


そんなある日の朝。

ふと、首元に違和感を覚えて手をやった。

いつも肌に触れているはずの、ひんやりとしたチョーカーの感触が、ない。

慌てて鏡の前に立つと、そこには信じられない光景が映っていた。


チョーカーにあしらわれた紫水晶が、光を失い、鈍い灰色に澱んでいる。

そして、長年私の肌に触れていたベルベットの生地が、端の方からぷつりと、切れかかっていたのだ。


「あ……」


声にならない声が漏れる。

血の気が、さあっと引いていくのが分かった。

これは、母様が亡くなる前に残してくれた、たった一つの形見。

そして、私の魔力を制御してくれる、唯一の命綱。


(これが、もし完全に切れてしまったら……?)


想像しただけで、全身の震えが止まらない。

この塔どころか、屋敷一帯が私の魔力でどうなってしまうか分からない。

そうなれば、私は本当にただの『怪物』になってしまう。


直さなければ。

でも、誰に?

父に頼んでも、出来損ないの私のために動いてくれるはずがない。

屋敷お抱えの魔道具師も、継母の息がかかった人間だ。何をされるか分かったものではない。


どうしよう、どうしよう……。

パニックに陥る頭の中で、ふと、幼い頃に母様が話してくれた言葉が蘇った。


『もし、このチョーカーに何かあったらね、セレスティア。王都の外れにある、フクロウの看板が目印の小さなお店に行きなさい。そこにいる人は、きっとあなたの力になってくれるわ』


フクロウの看板のお店……。


母様は、病で亡くなる直前まで、私の力のことを誰よりも心配してくれていた。

そんな母様が遺した言葉だ。

そこに、一縷の望みをかけるしかない。


私は決意した。

この塔を、抜け出そう。

生まれて初めて、自分の意志で。


夜になり、屋敷中の人間が寝静まるのを待った。

古いドレスを頭から被り、誰にも見られないように息を殺して庭を横切る。

冷たい夜気が肌を刺し、心臓が早鐘のように鳴っていた。


(怖い……)


でも、行かなければ。

これは、私が『人間』として生きていくための、たった一つの道なのだから。

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