第2話
「なっ……!」
私の返事を聞いたエリアス殿下は、一瞬言葉を失い、そして次の瞬間には怒りで顔を真っ赤に染め上げた。
きっと彼は、私が泣いてみせたり、見苦しく取り乱したりすることを期待していたのだろう。
そうすれば、私を「ヒステリックな悪女」に仕立て上げ、自分たちの行いを正当化できたはずだから。
期待外れの反応に、彼はさらに言葉を重ねる。
「やはり君はそういう女なのだな!私が婚約を破棄すると言っても、悲しみの一つも見せない!君の心は本当に氷でできているんだ!」
周囲の貴族たちも、ここぞとばかりに囁き合う。
「まあ、なんてこと。引き留めもしないなんて」
「殿下への愛など、初めからなかったのよ」
「公爵家の権力だけが目当てだったに違いないわ」
違う。
違う、違う、違う!
心の中で、否定の言葉が嵐のように吹き荒れる。
悲しくないはずがない。悔しくないはずがない。
今すぐにでも泣き叫んで、ここから逃げ出してしまいたい。
けれど、首元のチョーカーが、私の感情が決壊寸前であることを示すように、ギリギリと軋むような熱を発している。
(だめ。ここで魔力が暴走したら、ヴァイス公爵家の名に泥を塗ることになる)
父様の厳しい顔が、脳裏をよぎる。
ただでさえ魔力が強すぎるというだけで「出来損ない」と疎まれているのに、これ以上、失望させるわけにはいかない。
私が唇を固く結んでいると、それまで黙って殿下に寄り添っていたイザベラ嬢が、おずおずと一歩前に出た。
レースの扇で口元を隠し、涙で濡れた大きな瞳で私を見つめる。
「セレスティア様……どうか、エリアス様をお許しください。私が、私がエリアス様のお側にいたいと願ってしまったばかりに……」
そのか細い声は、まるで私が一方的な悪者であるかのように響く。
(あなたが、願った……?)
冗談でしょう。
偶然を装って殿下の行く先に現れていたのは誰?
殿下がお好きな詩集や絵画について、熱心に語りかけていたのは誰?
全て、あなたの計算だったはず。
そう指摘しようとした、その時。
イザベラ嬢は、まるで私の視線に怯えるように、小さな悲鳴を上げてエリアス殿下の腕の中に隠れた。
「ひっ……!ご、ごめんなさい……!そんな目で、私を睨まないでください……!」
「イザベラ!?どうしたんだ!」
殿下は庇うように彼女を抱きしめ、私を殺さんばかりの形相で睨みつけた。
「セレスティア!君はイザベラに何をしたんだ!彼女はずっと、君に怯えていた!君がいないところで、陰湿ないじめを受けていたと、私に全て打ち明けてくれたんだぞ!」
……は?
いじめ?
私が、彼女を?
眩暈がした。
足元がぐにゃりと歪み、立っているのがやっとだった。
言いがかりにも程がある。私は彼女と、必要最低限の挨拶しか交わしたことがないというのに。
「嘘、ですわ。私は、そのようなこと……」
かろうじて絞り出した否定の言葉は、しかし、イザベラ嬢の演技がかった嗚咽によってかき消された。
「うっ……うっ……私が、男爵家の生まれだから……殿下のお側にいるのが、お気に召さなかったのですよね……?私のドレスを『みすぼらしい』と笑ったり、お茶会に呼んでくださらなかったり……」
そんなことは言っていない。
そもそも、彼女を私のお茶会に呼ぶ義理などない。
けれど、私の沈黙は、もはや罪だった。
何も言わずに俯く私の姿は、周囲の目には「罪を認めた悪女」そのものに映っているのだろう。
「最低だ、セレスティア。君がそこまで嫉妬深く、陰湿な女だったとは知らなかった」
エリアス殿下は、心底軽蔑しきった声でそう言い放った。
「君のような女は、王妃にふさわしくない。ヴァイス公爵家には、後日、父上から正式な通達があるだろう」
それは、事実上の勘当宣告にも等しかった。
もう、私に弁明の機会は与えられない。
私の未来は、今この瞬間、完全に閉ざされたのだ。
人々の好奇と嘲笑の視線が、無数の針となって全身に突き刺さる。
もう、限界だった。
チョーカーが焼き切れるような熱さを帯び、視界の端がチカチカと紫色の光を放ち始める。
(……暴走、する)
その恐怖が、私の意識を遠のかせた。
崩れ落ちそうになる体をなんとか支え、私は誰に言うでもなく、ただ一言だけを呟いた。
「……お先に、失礼、いたします」
ふらつく足で、背を向ける。
背後で誰かが嘲笑う声が聞こえた気がしたけれど、もうどうでもよかった。
今はただ、この場から逃げ出して、一人きりにならなければ。
この力が、誰かを傷つけてしまう前に。




