第1話
サクッと一気に読める話になってます!
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ひっきりなしに耳に流れ込んでくるワルツの甘い旋律が、今はただひどく頭に響く。
高く美しい天井から下がるいくつもの照明が放つ光は、招待された貴族たちの宝石やドレスに反射して、目眩がするほど煌びやかだった。
(……息が、詰まる)
人々が発する熱気と、噎せ返るような香水の匂い。その全てが、まるで私という存在を否定するように、重くのしかかってくる。
私はセレスティア・フォン・ヴァイス。この国のヴァイス公爵家が長女。
そして、今宵、この国の第二王子であるエリアス・アルベイン殿下の婚約者として、この場に立っている。
「ご覧ください、ヴァイス公爵令嬢を。相も変わらず、美しいお顔を少しも動かされませんこと」
「まるで精巧に作られたお人形ですわね」
「『氷の人形』、ですか。殿下もお可哀想に。あんな方に愛を囁かれても、少しも心に響かないでしょう」
扇の向こう側から聞こえてくる囁き声は、もうとっくに慣れてしまった。
私は、感情を表に出すことができない。
嬉しいも、悲しいも、楽しいも、悔しいも、全てを心の奥底に沈めて、完璧な無表情を顔に貼り付けて生きている。
それは、私が生まれ持ってしまった、この忌まわしい力のせい。
私の体内には、常人では考えられないほどの強大な魔力が渦巻いている。
それは祝福などではなく、呪いだった。
幼い頃、侍女に少しだけ叱られて悲しく思っただけで、庭園の噴水を凍らせてしまった。
飼っていた小鳥の死に涙を流した時は、屋敷中の窓ガラスが粉々に砕け散った。
私の感情は、この世界にとっての『災害』なのだ。
それ以来、私は母様から譲り受けたチョーカーを肌身離さず身につけている。
首筋にひんやりと触れる、黒いベルベットに小さな紫水晶があしらわれただけの簡素な装飾品。これが私の感情の昂りを抑え、魔力の暴走を防いでくれる唯一の護符だった。
おかげで私は、感情を昂らせない術を身につけた。
常に心を凪いだ水面のように保ち、何事にも動じない。
その結果が、今の『氷の人形』という不名誉なあだ名だ。
(いいえ、これでいいの。私が感情を殺せば、誰も傷つけずに済むのだから)
自分にそう言い聞かせていた、その時だった。
音楽が止み、会場の空気が一瞬にして変わった。視線が一箇所に集まる。
その先にいたのは、私の婚約者であるエリアス殿下。
彼の隣には、今にも泣き出しそうな儚げな表情で寄り添う、小柄な令嬢の姿があった。
男爵令嬢の、イザベラ・ロセッティ。
最近、殿下のお気に入りだと噂の……。
エリアス殿下は、美しい金色の髪をかきあげ、私をまっすぐに見据えて高らかに宣言した。
その碧眼に宿るのは、憐れみと、そして確かな軽蔑の色。
「セレスティア・フォン・ヴァイス!君との婚約を、今この時をもって破棄させてもらう!」
シン、とホールが静まり返る。
全ての視線が、刃のように私に突き刺さった。
心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねる。首元のチョーカーが、じわりと熱を持った気がした。
(落ち着きなさい、私。感情を揺らしてはだめ)
ぎゅっと拳を握りしめる。爪が食い込む痛みだけが、かろうじて私の理性を繋ぎとめていた。
「どうして、何も言わないんだ!セレスティア!」
エリアス殿下の苛立った声が響く。
言えるはずがない。
どうして、と問い詰めたい。
私のどこが至らなかったのかと叫びたい。
隣にいるその女は誰なのだと、責め立てたい。
けれど、そんなことをすればどうなる?
この会場が、私の魔力で凍りつくかもしれない。人々が傷つくかもしれない。
そんな恐怖が、私の喉を締め付け、言葉を奪う。
「……その沈黙こそが、答えだ。君は、私を愛してはいなかった。一度だって、私のために笑っても、泣いてもくれなかった!」
「エリアス様……」
殿下の隣で、イザベラ嬢が潤んだ瞳で彼を見上げる。その仕草の、なんとあざとく、計算され尽くしていることか。
(私が、あなたを愛していなかった……?)
ふざけないで。
あなたのために、どれだけ努力してきたと思っているの。
妃教育も、作法も、歴史も、全て完璧にこなしてきた。
いつか、あなたが私の努力に気づいて、この仮面の下にある本当の私を愛してくれると信じて。
あなたが好きだと言っていた青いドレスを、今日のために仕立てたことにも気づかないくせに。
心の内でどれだけ叫んでも、私の表情はピクリとも動かない。
私の唇からこぼれたのは、自分でも驚くほど平坦な、温度のない声だった。
「……殿下のご意思、かしこまりました」
それが、私の言える、精一杯の言葉だった。




