第八幕:初夜の始まり
「船長。 あなたは船内に戻り、シダの揮発性物質と生存に関する決定的な手がかりを手にしました。
ーー次の段階は、ラボでの化学的な解析です。優先すべきものを選択してください。時間は有限なのです。ーー夜が来ます。あなたのーー我々のーーこの惑星でのーー初夜が、ね」
AIの声は、静かにボクを急かした。身体はまだ地面に倒れたままだったが、頭の中で論理は、すでに立ち上がっていた。
「夜が来る、なら——夜行性の脅威に備えるのが最優先だ。」
ーーかすれた声で命令を下した。
「2番だ、AI。解析と並行して、情報戦の準備をしろ。」
「ーー承知いたしました、船長。
安心ましたーー最も論理的な選択です。」
AIは即座に作業を開始した。
ラボのインジケーターが点滅。
採取したシダの突起から抽出された揮発性物質の解析データが、ボクの目の前で宙に浮かぶスクリーンとして投影され始めた。
「揮発性物質の分子構造解析を、バックグラウンドで開始。
優先順位を『応用戦略のシミュレーション』に切り替えます。」
ーー重い身体をどうにか起こし、壁に寄りかかった。船の窓から、外の光が急激に失われていくのが見えた。
代わりに部屋のライトがつけられた。
「AI。シミュレーションの目標は二つ。
一つ目は、大型獣がこのシダを避ける論理的な理由。
二つ目は、UEに対して、この物質をどう組み込むか、だ。」
「シミュレーションを開始。——解析の結果、船長。この揮発性物質の主要成分は、『テトラ-ノルエピネフリン変異体』です。」
AIは、その分子名を冷たく読み上げた。ぼくの頭の学習プログラムが、その言葉の意味を瞬時に引き出す。
「ノルエピネフリンーー恐怖、不安、覚醒を司る神経伝達物質の合成を促す、極めて強い刺激物。
シダは、周囲に『絶対的な恐怖のガス』を撒き散らしていたのかーー探索に支障がでるーー」
「その通りです、船長。シダは、自分自身を防衛するために、近づくもの全てに対して『触れるな、ーーさもなくば発狂させる』という最強の防御バリアで守っていた。
これが、昼行性の大型獣がシダの群生地を避ける論理的な理由です。
彼らの原始的な感情中枢が、この物質に耐えられない」
「そして、この物質は『論理的な思考の破綻』を強制的に引き起こさせ、ボクを破滅させる。ふんーー効果抜群だったわけだーーAIに始末されるからーー」苦々しく言った。
「ーー次のシミュレーションに入ります、船長。この『恐怖のガス』を、夜行性のUEに対して応用した場合です。」
AIは解析した。
「結果が出ました、船長。この物質は、UEに対しては『恐怖』ではなく、ーーおそらく『集合』の信号として機能します」
「なに……?」
「UEは、高度な感情ではなく、フェロモンによる化学的な命令で行動する、高度に社会化された生物の可能性が高いです。
彼らにとって、このテトラ-ノルエピネフリン変異体は、『群れに対する最も重大な危機。即座に強烈な匂いの発生源の中枢に集結せよ』という、最上位の集合命令として、誤認される可能性があります。
シダ周辺につけられた足跡は、彼らの集合の形跡ですーーそして、彼らはここに来ますーー」
全身に鳥肌が立つのを感じた。
「つまりーーこの『恐怖のガス』は、UEを強制的に集結させるための、最悪の『フェロモン』の原材料、と。」
「その可能性は98.7%です、船長。夜が完全に訪れるまで、残り20分。UEの活動が活発化する時間です。」
スクリーンに、警告のシンボルが表示された。
スクリーンの端、向こうからーー小さな赤い点滅が、急速にスクリーン中央に表示されてる船のアイコンへと接近しているのが見えた。
「警告:UEの初期偵察部隊、メフィスト号へ向けて移動中。この20分間で、あなたの『初夜の腕前』の成否が決定されます。誘い込みますか?
それとも、ーーなすがまま?」
【メフィスト号の船長への問い】
夜の帳が降り、UEの偵察部隊がメフィスト号へ接近しています。フェロモンの原材料は手に入りましたが、まだ精製されていません。
この20分間でUEを回避し、安全な夜を過ごすための、最も論理的かつ迅速な行動を選択してください。
1. 【緊急精製】: シダの揮発性物質を緊急精製チャンバーで「命令フェロモン」へと化学変換させ、船外へ指向性噴射する。
2. 【情報戦の継続】: 偵察部隊をシールド内に誘い込み、UEの個体そのものから**「なんらかのフェロモン」を抽出させ、素材として確保。シダの物質との直接的な反応テストを優先させる。
3. 【防御の強化】: UEとの接触を避け、メフィスト号の着陸地点の周囲に、シダの揮発性物質を応用した即席バリアを人工的に設置し、UEを遠ざける。
時は刻々と過ぎていった。
迷ってなんかいられないーー。
(こうして、第八幕は接近により幕を閉じる。)




