第三章・1
第三章
―1―
「常磐。たまには呑みに行くか」
そう言って肩に回された腕に、常磐は近頃連続して起きていた、窃盗事件の報告書を書く手を止めた。
「……西山さん。別に俺、西山さんに相談する悩みとかないですから」
「何よぉ。あるでしょ? 色々と。それとも私じゃ役に立たないってわけ?」
東田と同じく、常磐の先輩である女刑事の西山 夕希は、美人だが少々男勝りが過ぎるところがあって、呑みの席でもまた、男顔負けの酒豪だったりする。それに比べ、
「俺、あんまり呑めませんし」
「その顔で」
「顔は関係ないです……」
常磐はあまり酒が得意ではない。特にビールは苦手だ。苦いとしか感じないし、泡にも興味ない。
「心配してんのよ。一応」
「分かってますよ。有難うございます」
最近の自分は、普通ではないのだ。そんなことは分かっている。
西山は隣の席の椅子を引っ張ってきて座り、常磐の手元を覗き込んだ。
「……何の報告書?」
「ほら、この前捕まえた……」
「ああ、下着ドロか」
「そうです」
「しょうもない事件」
眉間に皺を寄せる西山に、一瞬常磐は、西山はいったいどんな下着を着けているのだろうと考えたが、想像力が貧困なのか、それとも西山でそういう想像をするのが無理なのか、さっぱり色っぽい妄想には発展しなかった。
「犯人の男性が下着メーカーで働いていたっていうのは、ちょっとへえって思いましたけどね」
「俺は、女性がどんな下着を好むかをリサーチしていただけなんだ。とか言い訳してたのには、笑ったわ」
西山は小さく肩をすくめる。
「でも、職業病って、やっぱあるみたいですよ。俺の友達で文具メーカーに勤めてる奴がいるんですけどね、俺が使ってるボールペンを見て、こんな使い辛いボールペンなんか捨てちまえとか言い出して……」
話がそれていく常磐に、西山は苦笑いの表情で、常磐を見る。
「あんたはどうなの」
「はい?」
「刑事病になってない?」
「刑事病? そんなのあるんですか」
報告書を書きながら、訊き返す常磐。
「よくテレビのドラマにあるでしょ、刑事は疑うのが仕事だって」
「ああ、なんか、よく聞きますね」
「疑ってばかりいたら、解決なんてしないけど」
「ですね」
「でも、時々、人が信じられなくなったりもするのよ」
「……」
常磐は報告書を書く手を止めると、真っ直ぐ西山の方を向き、真剣な表情で西山を見た。
「西山さんも、俺の言っていること、信じられませんか」
「……」
西山はじっと常磐の目を見ていたが、やがてふっと笑うと、常磐の額を拳で小突いた。
「いって。何ですか。人が真面目に訊いてるのに」
「私は、そんなん、どっちだってかまわないのよ。あんたが予知夢を見ようと見まいと」
正確には予知夢ではないのだが。
「事件が解決できるならそれで。霊能力で捜査するとかって話も、結構聞くじゃない」
「そんな捜査、東田さんなら、怒り出しそうですけどね」
「東田のことは、更にどうでもいいのよ」
「はあ」
東田と西山は顔を合わせてなくても、仲が悪い。いや、本当に互いを嫌っているわけではないだろうけれど。
「私は、刑事になったばかりのあんたが、立て続けに大きな事件を、解決したのを気にしてるの」
「え?」
「あんたは事件にのめり込み、入り込みすぎる。おまけにどちらも一人で解決した」
一つは、ほぼ鈴が解決したようなものなのだが、たぶん西山が言いたいことは、そんなことは問題ではないだろうから、黙っておく。
「この前は解決できたからいいけど、何かあったとき、あんたは一人で背負い込むことになる」
分かっている。それだけじゃない。単独行動が周りに迷惑をかけることも、十分承知している。
でも、信じてもらえないのだから仕方がない。
考え込んでしまった常磐に、西山は苦笑いしながら言った。
「つまり、私が言いたいのは、もっとうまくやれってことよ」
「はい?」
「予知夢だろうと、超能力だろうと、使えるんなら使えばいい。ただ、もっとうまくやりなさい」
「うまく?」
「そう。人に自分を信用させるなんて、難しい。特に私達みたいな人間はね。あと、東田みたいな頑固な馬鹿も」
「どうやって……」
訊くと、また額を小突かれた。
「それはあんたが考えなさい」
笑みを含んだ声で言って、西山は椅子から立ち上がった。
「じゃ、私は帰るけど……本当に呑みには行かない?」
「これ、書いちゃいたいんで」
報告書をトントンと指で叩いた常磐に、つまらなそうな顔をする西山。
「ただの下着ドロじゃない」
「事件に大きいも小さいもないでしょ?」
「うむ。よく言った」
にっと笑って、西山は常磐の頭をグシャグシャとなでると、「じゃあね」と帰って行った。
うまく……か。
常磐は一度伸びをして、報告書の続きを書き始めた。