第二章・3
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二杯目のコーヒーも飲み干し、常磐は腕を組んで天井を仰いだ。
「うーん。やっぱり、犯罪には関係ないのか……」
「過去の二件の例が、犯罪者の夢だったからといって、常磐さんが同調するのが、必ず犯罪者の夢だとは、まだ限られていませんしね」
お代わりは? というように、コーヒーのポットを掲げて首を傾げる霧藤に、常磐は手を振って遠慮する。
「俺は、女の子の態度が急に変わったのも気になるんですけど。これはどうですか?」
常磐は言った。灯も、ついさっき睨むように見ていた人間の手を、すぐに握ったりはしないと言っていた。
「別におかしくはないですよ。夢の中は色々なことが誇張されたり、省かれたりする極端な世界ですから」
霧藤は自分の空になったカップに、コーヒーを注ぎながら言った。
そういえば、鈴もそんなことを言っていた気がする。
「そういうタイプの女の子に、自分の方を振り向いて欲しいと思う、その人の願望の表れなのかもしれないですし。もしかしたら、その少女の恋人の夢という可能性もありますよ。喧嘩をしていて仲直りしたいと思っているとか」
「なんか、色んな解釈ができるもんですね」
感心する常磐。
「今の段階では、ね」
言った霧藤の携帯電話が鳴った。
「すみません。患者さんと話すときは切っておくんですけど」
「いえ、俺はちゃんとした患者じゃないんで。どうぞ」
「失礼」
霧藤は携帯電話に出る。
「もしもし。……ええ。……そうですか。あまり起きないようなら、起こしてみてください。……すみません、お願いします。何かあったら、また連絡してください。行くようにしますので」
携帯電話を切ると、霧藤は小さくため息をついた。
「大酉さんからです」
「え? ああ、大酉さん。朝日奈さんのことで何か?」
蜃気楼に寄ってきたことは、なんとなく黙っていた常磐。やはりまた、自分の夢に関わらせようとしていることを、灯のように霧藤にも責められる気がして、気が引けた。
「ええ。鈴のことです。先ほどまで寝ていて、目を覚ましたと思ったら、また眠ってしまったということで」
「眠り病ですね」
「最近、ちょっと眠りすぎなので、大酉さんに連絡してもらってるんです」
霧藤は少し顔を曇らせる。
「鈴はナルコレプシーだと言いましたが、その症状に当てはまらない部分があって……。例えば睡眠時間の長さに関して言えば、本来ナルコレプシーの症状なら、数分から三十分程度で目覚めるんですが、鈴は長すぎる。目覚めはすっきりする、というのも特徴ですが、鈴は時々、吐き気を訴えることもある」
「何か、別の病気の可能性は」
「似た病気は他にもありますが、鈴の場合は、必ず何かが当てはまらないもので。何事にも例外はあるものですけどね」
「そうなんですか」
「鈴を、何かのケースに当てはめること自体、無理なことなのかもしれませんが」
十五年前の事件で、鈴はアパートの六階から転落し、十三年もの間、眠っていたのだ。
「鈴にとって、夢の世界の方が、もしかしたら居心地が良かったりするのかもしれません。鈴は自分で、夢を自在に扱うことができる」
「朝日奈さんは、どんな夢を見てるんでしょう……」
「さあ、鈴は僕に、自分の夢の内容を話してはくれませんから」
苦笑いをする霧藤。そういえば、鈴と霧藤を見ると、どこか仲が良くないという印象を感じる。もっとも、鈴の方が一方的に霧藤を嫌っている感じもあるのだが。
霧藤が時計を見た。
「そろそろ、次の患者さんが来るころなんですが、大丈夫ですか? 他に何か気になることは」
「あ、すみませんでした。急に来て。もう大丈夫です。色々と参考になりました」
常磐は席を立ち、空のカップを片付けようとして、カップを取り損ねる。カップが倒れてわずかに残っていたコーヒーが、テーブルに点々と飛び散る。
「わ、すいません!」
「ああ、いいですよ。僕がやりますから。左腕、痛むんですか」
「抜糸が済んだばっかりで、なんだかまだ、皮が引きつる感じがするというか」
常磐は左手を握ったり開いたりしてみる。やはり、以前と比べ、まだどこか力が入りきらない。
「大変ですね、刑事さんは。危険と隣り合わせだ」
「いや、俺が鈍いから、こんな大怪我しただけですよ」
「人間を切りつけることに、何のためらいもない人間を相手に、うまく立ち回るなんてことは、できるもんじゃありません」
「それ、今度、東田さんに言ってやります」
ジャケットを羽織り、常磐は「それじゃあ」と霧藤に小さく頭を下げた。
ドアを開け、診察室を出ようとしたとき、
「そういえば常磐さん、鈴の事件を調べてみるって言っていたそうですね」
ふと思い出したように、霧藤が言った。
常磐は霧藤を振り返る。霧藤は常磐に背を向け、テーブルを拭いていた。
「……はい。そう言いました」
答えると、霧藤は常磐に背を向けたまま言った。
「頑張ってくださいね」
常磐はその背に、もう一度軽く頭を下げると、診察室から出てドアを閉めた。