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第十一章・1

第十一章


―1―


「一昨年まで、黒崎は隣町の高校で国語の教師をしていたそうです。まだ新任の教師でしたが、担任も持っていました」


 熱そうな緑茶が目の前に置かれて、常磐はどうもと頭を下げた。


「まだ若くて生徒たちともよく話をしていたし、授業も分かりやすく、男女共に人気のあるいい先生で、保護者たちにも評判が良かったということです。実際、黒崎の受け持っていたクラスは、国語の授業の平均点が他のクラスより高かったそうで」


 常磐は写真を取り出すと、机の上に置いた。


「長谷川 沙耶香。黒崎が担任をしていたクラスの生徒でした。一昨年の冬、自殺しています」


 あのダムに架かった、赤いアーチ橋からの投身自殺だった。


「長谷川 沙耶香は家出癖のある、いわゆる問題少女でしたが、学校には来ていたそうです。しかし、二学期に入ると、学校にも来なくなった。学校側はいじめなどはなかったと言っていますが……」


 学校へ話を訊きに言った常磐に、過去の話を蒸し返すなと言わんばかりの、迷惑そうな態度で校長は受け答えた。

 あの事件は、たくさんの生徒に傷を残したものだから、もうそっとしておいてほしい。そう生徒を気遣うように言っていたが、同時に、黒崎はすでにうちの教師ではないのだから、関係ないでしょう? と、自分の学校がけがされるのではないかと、それが一番気にかかるようだった。


「黒崎は長谷川 沙耶香と頻繁に連絡を取っていたようです。何度も繁華街へ足を運んで、長谷川 沙耶香を見つけては、説得をしていたということを、同僚の教師が言っていました」


 常磐はお茶を一口飲んだ。


「黒崎と長谷川 沙耶香の関係がどんな物だったのかは、今となっては分かりませんが、長谷川 沙耶香の遺書には…………」


 常磐の口が止まった。

 次の言葉が出てこない。


「なんて書いてあったんです」


 促されて、常磐はテーブルを見つめていた顔を上げた。


「え」

「遺書にはなんて書いてあったんです」


 鈴が読んでいる本から顔を上げずに言った。

 聞いているとは思わなかったから、少し驚いた。じゃあ、そもそも、なんでこんなことを鈴に話しに来たのかということになるのだが。

 鈴が本から視線を外し、チラリと常磐を見た。

 常磐は一度大きく息を吸うと言った。


「私の理解者は先生だけだった」


 黒崎宛になっていた遺書には、有難うという感謝から始まり、その言葉を挟んで、ごめんなさいという謝罪で終わる短いものだった。

 その言葉を口にした途端、心臓を掴まれたような苦しさを感じた。

 呪縛のような言葉だった。


 パタンと本を閉じる音がした。


「大酉」


 鈴に呼ばれて、先ほど常磐にお茶を運びに来た大酉が、また座敷に上がった。


「はい」


 大酉は、鈴の前にほどよく冷めているのであろう茶と、菓子を盛った籠を置くと出て行った。


「かりんとうです。どうぞ。疲れたときは甘い物がいい」


 鈴は一つ摘まむと、常磐の前に籠を押し出した。


「はあ……」


 言われて口に入れると、どこか懐かしいような、香ばしい甘さが口に広がり、肩に入っていた力が抜けるような気がした。というより、その時になって、肩に力が入っていたことに気がついた。


「それで」

「はい?」

「常磐さんは黒崎を可哀想だと思っているんですか」


 鈴はもう一つ、かりんとうに手を伸ばす。


「……よく、分かりません」


 テレビのワイドショーでは、そんな風に黒崎のいい先生時代だった頃を取り上げては、真面目すぎた教師の悲劇として、センセーショナルに伝えている物もあった。

 教師という仕事が、どれほど生徒に左右されるのか。自分の子供よりも、時に他人である生徒に人生を懸ける彼らの、職業病のようなものだという捉え方をしている解説者までいた。


「よく、ドラマとかで事件を解決した刑事が、さも知ったように、犯人の犯行に及んだ動機を語るシーンがありますが、あれほど胡散臭いものもありませんね」

「すみません」


 今の自分は、まさにそれだと思う。

 しかし、鈴は続けて言った。


「あなたは違うでしょう?」

「え」

「常磐さんは黒崎の意識に同調した。黒崎が何を考え、何を思っていたのか、あなたは知っている」


 長谷川 沙耶香に似たような境遇の少女たち。もう二度と同じような悲劇を繰り返したくない。彼女たちを守りたい。誰にも傷つけさせない。エゴだと思えるほどの強いその正義感を、常磐は知っている。

 それを、一度は心地いいとまで感じた。

 それでも……。


「それでも、黒崎のやっていたことは犯罪で、俺はそれを、けして許すことはできないんです」


 常磐が言うと、


「常磐さんらしい」


 鈴は小さく笑った。



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