第九章・1
第九章
―1―
気がつくと、繁華街の雑踏の中にいた。
黒崎は歩き出した。
楽しそうにはしゃぐ若者の群れの中を歩きながら、すれ違う顔にチラと目をやる。
個性を主張したがりながらも、実は誰かを真似ることしかしていない姿。自我が強いわりに、群れでいることを好む。一人でいるのが嫌というよりは、一人でいると周囲に思われたくないがため、どこかに属さなければいられない。
なんて不安定で脆い存在なのだろうか。
繁華街で最もにぎわっているのは時計台の下。鉄パイプを何本も立てたようなデザインの変わったそれは、駅前の待ち合わせの目印となっていた。
そこまで来たとき、黒崎の目が一人の少女を捕らえた。
少女は道路脇にある植え込み、そのレンガの囲いの上に座っている。
首もとを緩めたワイシャツに赤いリボン。着ているグレーのセーターはダボダボで、少女の手は指先しか見えない。短いチェックのスカートから投げ出された、黒いソックスを穿いた脚は棒のように細かった。
群れから一人離れ、その棒のような足先を見ている少女の顔は、セミロングの黒髪が前に垂れていて、伺う事はできない。
黒崎が少女の前を通り過ぎようとしたとき、チリンと鈴の音がした。
思わず黒崎が音のした方へ目をやると、その少女と目が合った。
いつの間にか立ち上がり、こちらを見ているその顔は、あどけなさが残るが美しく、意思の強そうな瞳がじっと黒崎に向けられている。
少女の髪に付けられた鈴が、また静かに音をたてた。
最近はああいうアクセサリーが流行っているのだろうか。
この雑踏の中、不思議とその音色ははっきりと黒崎の耳に響いてくる。
黒崎は少女から目が離せなくなった。
すると、少女が黒崎の元へと近づいてきた。黒崎の目の前まで歩み寄って来ると、小柄な少女は黒崎を見上げて言った。
「私を連れて行って」
甘えるでも、媚びるでもないその口調。
「誰も、私のことを分かってくれないの」
ああ、そうか。
この子も。
「もちろん」
黒崎は少女に手を差し伸べた。少女はその手を取りにっこりと微笑んだ。
そうだよ。大丈夫。僕なら君を理解できる。
この子もあの子と同じ。
もう大丈夫。
誰にも君を傷つけさせたりはしない。
助手席に少女を乗せて走り出した車は、すぐに繁華街のまぶしい街明かりから遠ざかる。
少女の様子を見ると、少女は窓の外にずっと目をやっていた。
「どこに行くの?」
少女が窓の方を向いたまま言った。
「僕達の城だよ」
答えると、少女が少し怪訝な表情でちらと黒埼を見て、また窓の外へ視線を戻した。
確かに変に気取った言い方だったかもしれない。
車は林道に差し掛かった。
「そこまで、どのくらいかかる?」
思っていたよりも、よくしゃべる子だ。
「三十分もかからないよ」
「そう」
不安なのだろうか。あの子もそういえば、不安なときほど口数が多かった。
「大丈夫、何も心配いらないよ」
僕がついている。だからもう大丈夫。
「湖がある」
また少女が呟いた。
「ああ……それはダムだよ」
不気味な黒い水面が、少女の見ている窓の外に広がっていた。深く吸い込まれそうなその色。
車はそのダムの上にかけられた橋の上にやって来た。鋼トラストランガーの鮮やかな赤いアーチ橋。
「自殺の名所になりそうな所だね」
可愛い顔に似合わない言葉を口にする少女。
「……うん。実際にそういう人もいるみたいだね、ここは」
そういう話に興味があるのも分かる。面白半分に心霊スポットなどに近づいたりするのも、若い子たちにはよくあることだ。
あの子もそんなことを話しては、よく笑っていた。
突然オレンジの光に飲み込まれ、少女が驚いたように正面を見る。
トンネルの中に入ったのだ。
出口がぽつんと黒い点にしか見えない長いトンネル。
だんだんと大きくなってくるその点を、じっと見つめる少女に黒崎は言った。
「もうすぐ着くからね」