第八章・3
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常磐は病院の談話室の端にあったソファに、鈴の体を横たえた。
「へっくし!」
談話室は人がいないせいか、風通しがいいせいか、なんだか寒い。
鈴は寒くないだろうかと気になったが、常磐のジャケットにすっぽりくるまれている鈴の胸は、規則正しく上下していて、少し安心する。
まじまじとその顔を見て、常磐は改めて鈴の幼さに気がつく。
長い睫の伏せられた丸みの残る頬、鼻筋、口元、どれもまだ未発達だ。
いつもは、あの常磐の心の中を見通すような視線や、口調、その話の内容から、大人びた印象を受けるが、こうして眠っている姿は、鈴が事件に合った当時の十五歳……いや、最近のその年齢の子供なんかよりも幼いだろうと思われる。
急に自分がひどく情けなくなって、常磐は鈴の傍らに座ると深く溜息をついた。
それにしても、黒崎の中に渡ったはいいが、鈴はどうやって少女たちの行方を探るのだろう。
無意識の意識とはいえ、いや、だからこそ、黒崎から少女たちの居場所を聞き出すことは、難しいように思えた。
黒崎の取調べのときの様子などを、車の中で鈴に話をしながら、おそらく普通に聞き出すことは不可能なのではないかと言った常磐に鈴は、
「まあ…方法はあるでしょう。任せてください。俺は夢に関してはプロですから」
と、十三年間眠っていたことを皮肉るようなことを、自ら言って欠伸をしていたのだが……。
しばらくしたときだ。
人気のない静まりかえっている廊下を、こちらに歩いてくる足音がした。
「あら、こちらにいらっしゃいましたよ」
看護婦が言った。
「ああ、わざわざすみませんでした。有難うございます」
「いいえ、それじゃあ、私はこれで」
常磐は看護婦に礼を言った声に、反射的にソファから立ち上がり身を固くした。
「こんばんは、常磐さん」
霧藤が笑顔で言った。
……恐い。
「どうしてここが……」
「もうニュースになってますよ。霞野署で取調べ中の容疑者が逃げ出して自殺を図ったって。ここは霞野署からは一番近い病院ですし、僕はこの病院にも知り合いがいるものですから」
「でも、今は部外者の進入には気をつけているはずで……」
「自分は精神科医で、常磐という刑事に犯人のプロファイリングを頼まれていたんです、ということを言ったら、案外簡単に通してもらえましたけど。わざわざ看護婦さんが一人、病室まで案内してくれるとまで言ってくれました」
そんなに簡単に。
霧藤が近づいてきて、常磐は胸の鼓動が早くなるのを感じた。
隠すようにソファの前に立った常磐を、ゆっくりと手で押しのけて、霧藤はジャケットにくるまれた鈴を見た。
ソファの傍らに片膝をつくと、ぶかぶかの袖口から鈴の手首を探り、時計を見ながら脈を取る。
「あの……」
言いかけた常磐を、手の平を見せて静止する霧藤。
「結構です。謝ってもらっても仕方がないし、なんとなくどういう状況だったのかも予想はつきますから」
謝らせてももらえなくなり、常磐は居心地の悪い思いをしながら、立っていることしかできなくなる。
霧藤は一通り、鈴の様子を確認すると、ソファに座り腕と足を組んだ。
「やっぱり、夢ワタリなんて力を認めたのは、間違いだったかな」
独り言のように霧藤は言った。
「いや、僕が悪いですね。初めに常磐さんに協力するように、鈴に言ったのは僕ですし」
そして指で眉間を摘む。
「それにしても、常磐さんがこんなに積極的に鈴を利用するようになるとは、思ってもみませんでした」
「すみません」
やはり謝る常磐。
利用という言葉に、チクリと心が痛む。
灯にも指摘されたが、確かに自分は鈴を都合のいいように利用している。
「僕は鈴の能力を詳しく調べたくて、鈴に何度かワタリをさせてきました。もしかしたら、鈴の眠り病にも関係があるかもしれないとも、思っていましたから。それで鈴の病気が治ればいいと思ってましたし、もし関係ないとしても、その力を何かに生かせるんじゃないかと考えていました」
そして自嘲気味に霧藤は笑った。
「こんな使い方があるとはね」
姿勢正しく座っていた霧藤は、面倒になったとでもいうように、ソファに背中を預けてもたれる。
「僕は、鈴に人と違う力があるのだとしたら、それは特別なことで、素晴らしいことで、けして悪いことではないんだと鈴にも思って欲しかったんですよ。……少しでも鈴に前に進んで欲しいと」
なんだか霧藤が専門的な話ではなく、自分の感情的なことを口にするのは、珍しい気がした。
「そういう意味じゃ、行動的になったぶん、前向きになったと言えるんですかね」
訊ねているような口調だったが、答えを求めているのでなく、自分自身への確認をしているようで、常磐が黙っていても、霧藤は気にする様子もない。
「違うんだよ鈴。僕はこんなことをして欲しいわけじゃなかったんだ」