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第八章・1

第八章


―1―


 病院に到着した車を降りると、吹いた冷たい風に鈴が顔をしかめ、目を閉じた。肩に力が入っているのが、見ていて分かる。

 そういえば、着替える暇もなかったせいで、鈴は蜃気楼でのいつもの着物姿のままだった。隙間だらけのその格好は、見るからに寒そうだ。


「あの、どうぞ」


 常磐は車の中に置いてあった、自分のミリタリージャケットを、鈴に差し出した。


「その格好、病院の中でも目立ちそうですし」

「それもそうですね」


 常磐の気遣いよりも、後者の理由の方に納得したように、鈴は常磐のジャケットに腕を通した。

 常磐が着てもゆったりとしているそれは、鈴が着ると手の指も出ず、丈は膝上。ジャケットではなくコートになってしまう。


「でかい」

「……すみません」


 不満そうにつぶやく鈴に、悪くないのに謝る言葉がでてきてしまう。もはやこの言葉は最近の常磐の口癖だ。

 病院の裏口からそっと入り込むと、黒崎の病室へと急ぐ。廊下を曲がると、病室の前で東田が別の刑事と話をしていて、慌てて一旦引き、壁に張り付いて様子を伺った。

 すると、東田がこちらに気が付いて、面倒くさそうな顔をする。


「悪い。すまねぇけど、ちょっと煙草とコーヒー買ってきてくれないか」


 東田は背広の胸ポケットを探りながら、もう一人の刑事に言った。


「どうせ黒崎はあんなんだ。見てるのは俺だけで十分だろ。マスコミっぽい奴がきやがったら、適当に追い返すさ」

「ええ。いいですけど」

「ゆっくりでいい。なんなら、飯でも食って来い」


 東田が金を渡すと、東田よりも若そうなその刑事は、言われた通りのんびりした足取りで行ってしまった。

 常磐が刑事がいなくなったのを確認して、廊下の角から出てきた。

 東田はその後ろから着いてくる鈴の姿に、あからさまに機嫌の悪い顔をした。


「なるほど。夢の先生のおでましってわけか」


 鈴が病室の前まで来ると、東田が突然その胸倉を掴む。


「何するんですか東田さん、やめてください!」


 乱暴な東田の行動に、常磐がやめさせようとする。

 どうしてこの人はいつもこうなんだ。


挿絵(By みてみん)


「黙ってろ。俺はこのガキに話があんだよ」


 荒く引き寄せられ、されるがままの鈴はつま先立ち、東田に顎を突き出す格好になる。


「いいか、俺は常磐の話も、お前の力のことも全然信じちゃいねぇ。今だって他にも刑事が動いていて、少女たちの行方を捜査してるんだ。その捜査の中で少女たちは絶対に見つかる」

「思っていたより、真面目で固い頭をお持ちなんですね。意外だ」


 鈴が目を細めて微笑する。


「でもな、それが死体だったら意味がねぇんだよ。手段は選んでらんねぇ」

「誘拐事件はスピードが命。たとえ無事でも、長引けば長引くほど、被害者の精神に傷を残す事件ですからね。こうして、話している暇もないんじゃないですか」


 冷静な鈴の言葉に東田は舌打ちをすると、鈴を放した。

 分かってはいるが、一言、言わずにはいられない。一応、常磐にもその東田の苛立ちは理解できる。でも、今はそんなことにこだわっている場合ではないのだ。


 病室のベッドには黒崎が命を取り留めるための処置を施され、横たわっていた。

 様々な点滴の管、コードに繋がれ、もはやそれは、人というより物に近い。

 喉から肺へと直接空気を送り込む管をくぐり、鈴は薬のせいか、少しむくんでいる黒崎の顔をじっと見下ろした。

 何を考えているのだろう。


『見てみたかったから。実際の犯罪者という奴の顔がどんなものか』


 鈴は以前、そんなことを言っていた。あれはどういう意味なのか。

 鈴は一つゆっくりと息を吸うと、瞼を閉じて、黒崎の額に自分の額をつけた。


「あ」


 それを見て思い出したように、常磐が慌てて鈴に手を伸ばしたとたん、鈴の体から力が抜け落ち、常磐の腕がそれを支える。


「危なかった」


 小柄とはいえ、このぐらいの背格好の子供と比べても、軽すぎるのではないかと思える鈴を抱き上げると、東田がその顔を覗きこんだ。


「おい、これで本当にこいつが、黒崎の中に入ったのかよ」


 疑り深く言う東田に、この方法で、以前あんたの中にも入ったんですよ…とは言わないでおく。

 東田は鈴の寝顔を憎らしい物でも見るように見ていたが、それだけでは済まなくなったのか、鈴の頬をぐにっとつまんだ。


「わ、ちょっと、もう、やめてくださいよ」

「おお、柔らけぇ」

「東田さん!」


 鈴を抱えたまま、ふざける東田の手から逃れようとする常磐は、ドアをノックする音にギクリと体をこわばらせた。

 ドアが開いて入ってきたのは西山で、常磐は大げさに息をついてほっとする。


「うまくいったの?」


 車のキーを東田に投げ渡して西山は訊いた。西山は車を停めるために、常磐たちを先に降ろしたのだ。


「まだ分かりませんが。今、朝日奈さんは黒崎の意識に潜っているはずです」

「そう……」

「俺、朝日奈さんを寝かしてきます」

「ええ」


 病室を出るとき、黒崎が生きていることを伝える、心電図の弱々しい波形が見えた。

 死ぬために自らガラスを突き破り、五階という高さから身を投げた人間の命を、どれだけ外部の力でこの世に留めておけるものなのか。


 お願いします。朝日奈さん。


 常磐は腕の中で、穏やかに寝ているようにしか見えない鈴に願った。 


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