第七章・2
―2―
「鈴さん。私にはやっぱり理解できません。これはもう、ある意味才能だと思います」
閉店後の蜃気楼。
座敷部屋で茶を入れながら大酉は言った。
鈴は熱いそれに息をかけて冷ます。
「うん。芸術的だよね」
「なるほど、そういう言い方もありましたか。さすが鈴さんだ」
感心する大酉に、耐えかねた様子の灯が口を開いた。
「もう、分かったわよ! 食べなきゃいいでしょ、食べなきゃ!」
大酉の目の前にある団子の皿を取り上げる。
「味はおいしいんだよ。タレも餡も鈴さんが作ったんだから」
今朝、灯が作るのを手伝った団子。みたらしと、こし餡の二種類。売れ残ったそれらを見て、大酉は納得のいかない顔をする。
「むしろ教えてほしいなぁ。どうしたら、こんな形が作れるのかを」
「知らないわよ」
灯が丸めた団子はどれもいびつで、でこぼこと不揃いな形をしている。
これまでも灯は鈴に言われると、料理や菓子作りを手伝っては来たが、過去の実績を思い返しても、お世辞にも上手とはいえない。
「だって、丸めるだけだよ?! こう。こうしてるだけでいいんだよ?」
団子を丸める仕草を灯の前でしてみせる大酉。
「うるさいっ!」
灯は赤くなって、テーブルの上にあった布巾を大酉に投げつける。
鈴は不恰好なみたらし団子を頬張って言った。
「うまいと思うけど。このでこぼこのおかげか、タレがちゃんとからんで……」
「鈴さん。フォローにも限界というものがあるかと」
灯が今度は座布団を大酉に投げようとしたそのとき、もう閉めた店のドアを叩く音がしてきて、三人は顔を見合わせた。
◆◆◆◆◆◆
常磐は明かりの消された蜃気楼の店内を、ドアに手をかざして覗き込んだ。
西山には車で待っていてもらった。西山は一人で背負うなと言ってくれたが、これだけは、やっぱり自分が鈴に頼まなければいけないことだと思う。
常磐はもう一度、ドアを叩いた。
「こんばんは!」
少し後ずさり二階の住居を見上げる。もう家に上がってしまったのだろうか。でも、鈴はいつも店の座敷部屋にいるはずだ。
もう一度ドアを叩こうとしたとき、店の明かりが点いて、大酉がドアの前にやって来た。
「……どうしたのかな? こんな時間に」
鍵を外しドアを開けた大酉の顔は、常磐が良くない話を持ってきたことを、すでに察しているようだった。
「お邪魔します」
常磐は大酉に頭を下げると、鈴のいる座敷部屋へと向かった。開いていた戸の前に立ち、部屋の中を見ると、鈴は机に頬杖をついて団子を食べていた。そして、その傍らにぴったりと寄り添った灯が、こちらを睨んでいる。
「もう閉店時間ですが」
常磐の方を見もせずに言う鈴。
「……すみません」
「まあ、とりあえずお茶でも飲んだらどうですか。大酉」
「はい」
鈴に促されて大酉が厨房に向かうが、
「今はそんな時間はないんです」
常磐は早々に座敷に上がると正座をして、額を畳にこするようにして頭を下げた。
「朝日奈さんに重大なお願いがあって伺いました」
「……」
突き刺さるような鈴の視線を感じるが、常磐は頭を下げたまま続ける。
「朝日奈さんに『ワタリ』をしてほしい人間がいます」
「あんたね! 鈴様は……」
また、いつものように常磐を怒鳴ろうとした灯は、鈴の視線にそれを止められ口をつぐむ。
「灯ちゃんへの暴行未遂で逮捕した男、黒崎 真也が、他の少女の失踪との関わりを仄めかした直後、自殺を図りました」
一気に言った常磐の言葉に、灯が小さく息を呑む気配があった。
「一刻も早く少女たちを見つけなければならないのに、その手がかりが今、消えようとしています。まだ間に合う。今なら、まだ少女たちが助かる可能性がある。お願いです。朝日奈さんに黒崎の意識を探ってほしいんです」
言い終えると息苦しいほどの沈黙が訪れる。常磐は畳につけた両手を握り締めた。緊張のせいなのか、手にはじっとりと汗を掻いている。
「ずるいです。常磐さん」
黙って聞いていた鈴が口を開いてそう言った声は、どこか冷たい笑みを含んでいて、常磐は顔を上げた。
「それだと俺は、その願いを断ったら、少女たちを見殺しにした人でなしだ」
「お、俺は別にそんなつもりはっ!」
「常磐さんがどういうつもりでも、そうなるんです」
鈴が立ち上がって、灯が不思議そうに鈴を見上げた。
「鈴様?」
「行ってくる」
「朝日奈さん」
思いがけない鈴の言葉に、パッと明るくなる常磐の顔とは逆に、灯の表情が強張る。
「なんで……。警察は鈴様のために何もしてくれないのに、なんで鈴様が警察のためにそんなことしなきゃいけないの」
灯が言っているのは、未だに犯人の捕まっていない、十五年前の鈴が被害者となった事件のこと。
「灯。それとこれとは話が別だ。それに俺は別に警察のために行くわけじゃない」
「どうして鈴様がそんなことをしなくちゃいけないのよ?!」
「俺にそれができるからだよ」
ひどく短く呆気ない一言で答えると、鈴は常磐を見た。
「行きましょう、常磐さん」
「あ、はいっ!」
そのとき、突然、灯が鈴に向かって手を伸ばした。
鈴がそれに気づいてハッとしたように身を引く。灯の手は、先ほどまで鈴の手があった辺りの空を掴んだ。灯の行動に、鈴は警戒するように後ずさり灯から離れる。
常磐は、鈴の灯を拒絶するかのような、こんな態度は初めて見た。鈴の手を掴み損ねた、灯の鈴を見る憎むような目も初めてだ。
灯は机に手をつくと立ち上がり言った。
「どうしても行くって言うなら……眠らせない」