第七章・1
第七章
―1―
「常磐!」
耳慣れたヤクザな声に常磐は振り向いたとたん、襟首を鷲掴みにされ咳き込んだ。
「どうなってる! 黒崎が自殺を図ったって、どういうことだ!」
「東田さん、静かに。ここ、病院ですから……」
「だからなんだってんだ!」
常磐の顔に唾を飛ばしながら、詰め寄る東田。
「怒鳴るなら私にしなさいよ。常磐は悪くないわ」
後ろから西山の声がして、東田は常磐を放した。
「西山! お前が付い……て……て……」
西山を振り返った東田は、その顔を見て怒鳴るのを止めた。
「私の責任よ」
西山の顔には、左顎から頬にかけてガーゼが当てられていて、形のいい唇の端は切れていた。右の頬骨の辺りには、殴られて倒れたときに机にぶつけてできた赤黒い痣と擦り傷。
「西山さん。平気ですか」
常磐が痛々しい西山の様子に気遣いながら訊ねる。
「ええ、ごめん常磐。油断したわ。まさか、あんなに大人しくしてた黒崎が、急にあんな行動にでるとは思わなかった。……とんだ失態ね」
話すと殴られた顎が痛むのか、西山は顔をしかめた。
「そんな。そんなことは……」
確かに警察の失態として、マスコミが騒ぎ出すだろう。
しかし、黒崎のあんな行動が、誰に予想できたというのか。
おそらく黒崎は初めから死ぬために取調室を飛び出したのだ。だからあんな無茶をやってのけた。
「……何見てんのよ」
ポカンとした顔で、すっかり拍子抜けした様子で自分を見ている東田に西山は言った。
「いや、ずいぶんとまあ……美人になって」
「あんたねっ!」
声を荒げて口を開いた瞬間、西山は痛みに顎を押さえた。
「バーカ」
「覚えておきなさいよ、東田。おんなじ顔にしてやるから」
「うるせ。お前の顔なんか、どんなだっていいじゃねぇか」
二人のいつもの様子に常磐は少しだけホッとしたが、
「それで、黒崎は」
東田の質問に気を引き締める。
「何とか、一命は取り留めました。……意識がなく、非常に危険な状態ですが」
手術を終えた黒崎が運ばれた病室を見る。そのドアには面会謝絶の札。
事情が事情なだけに、他の病室とは離れた特別な部屋で、常磐たちの他にもう一人、刑事が部外者がこないように見張っていた。
「常磐、黒崎の言葉、覚えてる?」
西山に言われて、常磐は首を縦に振る。
「はい」
「もう、誰にもあの子たちを傷つけさせない。あいつ、そう言ってたわ」
「おい、それって、もしかしてもう……」
黒崎と同じように、もうすでに、少女たちは常磐たちの手の届かないところに、いってしまったのではないか。
東田が言いかけると、それをさえぎるように常磐が言った。
「それはないはずです。黒崎には黒崎なりの正義がある。少女たちを黒崎が殺すことは考えづらい」
「なんで、お前にそんなことが分かるんだよ」
「分かります。……いえ、知ってるんです。俺は黒崎が考えていたことを知っている」
黒崎に同調していたときの、あの歪んだ正義感。
黒崎は少女たちが常磐たちに見つかるくらいなら、その秘密を自分ごと永久に葬ることを選んだのだ。
黒崎に同調していたあのとき、もっと何か感じることができれば、少女たちがどこにいるのか分かったかもしれない。
「くそ……くそっ!」
常磐は拳で壁を叩いた。
珍しく激しい怒りと苛立ちを、行動にして表に出す常磐に、東田と西山が少し驚く。
「普段大人しい奴がキレると、怖ぇな……」
「あんたと違って、真面目だからね、常磐は」
「とにかく、黒崎が殺してはいないとしてもだ、今どこかに監禁されている状態だとすれば、どっちにしろ早く見つけないとヤバイってことだ」
少女たちの重要な手がかりが、今、消えようとしている。
今こそ、今こそ黒崎の考えていることが知りたいのに。
拳を叩き付けた壁を睨みつけるようにしていた常磐は、ハッとして顔を上げた。
「……そうか」
何かを思いついたように呟くと、東田と西山に背を向けて歩き出す。
「おい! どこに行くんだ!」
「すぐに戻ります!」
足を速めると、常磐はエレベーターに向かって駆け出した。
今の状態の黒崎とコンタクトが取れる可能性が一つあった。
朝日奈 鈴だ。
鈴が持っている特別な能力。
鈴は眠っている人間に触れることで、その人間の無意識の意識に入り込むことができるという力を持っているのだ。
『夢ワタリ』と呼ばれるその能力は、確か昏睡状態の人間にも有効だったと霧藤が言っていた。
それならば、黒崎の意識にも渡ることができるはずだ。
やってきたエレベーターに乗り込むと、その閉まりかけた扉をすり抜けて、乗り込んできた者がいる。
「……西山さん」
「私も行くわ」
エレベーターが常磐と西山を乗せて下り始めた。
「西山さん。俺、また普通じゃないことをしようとしてるんですよ?」
隠さずに話す常磐。
エレベーターの下っていく表示のランプを、腕を組みながら西山は見る。
「一人で背負い込むなって、私、言わなかったかしら」
「でも、信じられないんじゃなかったんですか」
「そうね、超能力だとか予知夢だとかは、やっぱり信じられそうにないけど……」
西山は痛む顎を気にしながら、小さく微笑んだ。
「あんたのことは信じてもいいと思うのよ」