第六章・3
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補助官は黒田の手に手錠を掛け終わると、椅子に繋いである腰縄を解いた。
結局、あれから何度も問いかけても、黒崎は一言も言葉を発することはなかった。
一旦、留置場へと黒崎を戻すことになり、常磐がドアを開けると、丁度ドアをノックしようとしていた西山が目の前にいた。
「西山さん……どうでした」
声を潜め訊いた常磐に、西山はわずかに首を横に振った。
黒崎の家からは何も見つからなかった。むしろ奇妙な位に片付いていて、生活感のない家からは、これ以上捜査を続けても埃すら出てこないだろう。
「まだ、あいつが少女たちを誘拐したとは限らないわ」
西山は疲れた様子の常磐を励ますように言うが、灯にしてみせた黒田のあの強引な態度を考えると、他の少女たちの身にも、同じことが起きたのではないかという想像ばかりが膨らんでいく。
「あいつは、絶対に少女たちの失踪に関係あります」
常磐は言った。
「少なくとも風間 陽子に関しては、絶対です」
「え?」
「俺、見たんです」
西山は戸惑い顔で常磐を見たが、すぐに理解したように目を丸くした。
「常磐、あんた」
「すみません。でも、やっぱり西山さんには本当のことを言っておきたくて」
常磐はそう言うと、何かを決心したように取調室の中へと戻り、黒崎の正面に立った。
黒崎は椅子から立ち上がったところで、補助官がその腰縄を持っている。
「少女たちがどこにいるか教えるんだ。彼女たちのために」
常磐が言った最後の言葉に黒崎が反応を示した。顔を上げて常磐の顔を探るように見る。
常磐は続けた。
「俺には分かる。彼女たちが今、どれほど怖がっているか」
それを聞くと、黒崎は常磐を馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「分かるものか」
拘留されてから初めての言葉が、黒崎の口から発せられた。
「お前なんかに分かるわけがないだろう?!」
黒崎は常磐を罵倒するように言うと笑った。その異常な声に、西山も取調室の中を覗き込んだ。
「誰もあの子たちのことを分かってなんかいない!」
「黒崎!落ち着け」
腰縄を持った補助官が、常磐へと近づこうとする黒崎を、腰縄を引いて止める。
「僕だけだ。僕だけがあの子たちを理解できる」
黒崎が少女たちのことを口にしていることに、西山がハッとする。常磐が昨日から言い続けている言葉を、もう一度黒崎に向かって言った。
「少女たちはどこにいるんだ」
「教えるものか! 僕があの子たちを守る。もう、誰にもあの子たちを傷つけさせない!」
決定的な言葉が黒崎の口から出た。
黒崎は少女たちの行方を知っている。
「常磐」
西山が鋭い声で常磐の名前を呼ぶ。常磐は頷いた。自白とまではいかないが、これで黒崎が少女誘拐に関わっていることが明白になった。
「俺、黒崎の容疑の変更を申請してきます」
「ええ」
常磐は取調室を出た。
「僕があの子を守る。あの子たちのためなら僕はなんでもできるんだ。誰にも……誰にもあの子たちを傷つけさせない……」
苛立った声でブツブツと呟いている黒崎の肩に、西山は手を置いた。
「あなたには、もう少し話を訊かせて貰うことになるわ」
そのときだ。
黒崎が手錠の掛けられた両手を握り合わせ、西山の顎を目掛けて、その手を振り上げた。
「!」
黒崎の手は西山の顎に直撃し、ガシャンと激しい音を立てながら西山は机と共に床に倒れる。
黒崎は次に、驚いている補助官に頭から体当たりを食らわせた。
補助官が腰縄を握っていた手を放す。
常磐は取調室から聞えてきた音に足を止めて振り返った。
すると、ドアから黒崎が転がり出てきて、常磐を見ると一瞬ニヤリと笑い、常磐がいるのとは反対の方向へと走り出した。
「黒崎!!」
常磐は黒崎を追いかけた。
馬鹿な。逃げ切れるわけがないだろうに。
黒崎の背がどんどんと近づく。
腰から流れる縄に常磐は左手を伸ばして掴んだ。
左腕に痛みが走り、緩む手にもう一度力を込めて縄を引く。
しかし、どこにそんな力があったのか、黒崎は止まらず常磐を引きずるように走り続ける。
「ぐっ!」
縄が常磐の手の平の皮を焼くようにして抜けていった。
反動で常磐は廊下に仰向けに倒れる。背中を激しく打ち付け、一瞬呼吸が止まる。
「くそっ」
起き上がった常磐の目に、全力で走り続ける黒崎の背が見える。
廊下の先を曲がれば階段がある。ここは五階だ。
しかし、黒崎のスピードが落ちることはない。
おかしい。
危ない。
そのままじゃ曲がりきれないんじゃないか。
こんなときなのに、常磐の頭にはそんな考えがよぎる。
そして、黒崎の考えていることに思い当たった。
「黒崎ぃ!やめろおぉ!!」
常磐の叫びは、廊下の突き当たりにある窓ガラスが砕ける音によってかき消された。
黒崎は逃げたのだ。
誰にも捕まらない場所へと……。