第四章・1
第四章
―1―
カラララン。
ドアベルが大きな音を立て、大酉は驚いて厨房から出て来た。
「いらっしゃい。どうしたの。そんなに慌てて」
息を切らしながら、店に入って来たのは常磐。
いつもは、ほぼ客がいない蜃気楼なのだが、今日はちゃんと茶を飲みに来た客が、ソファ席に二人ほど座っている。
「こんにちは」
息を整えながら、常磐は言った。
「朝日奈さん、起きてますよね」
札は『起床中』だったはずだ。
「うん。たぶん今は起きているはずだけど……」
「すみません」
常磐は小さく大酉に頭を下げると、店の奥、鈴のいる座敷部屋へと向かう。
「朝日奈さん。常磐です」
閉じられている戸の前で姿勢を正して言うが、思っていた通り返事はない。
「……失礼します」
そうっと戸を開けると、
「確かに失礼ですね」
鈴の素っ気ない声が、下ろされた御簾の向こう側から聞こえてくる。
「すみません」
起きているなら、返事くらいしてくれたっていいのに。などと思いながら座敷に上がり、戸を閉めて、ようやく落ち着いてきた呼吸を、もう一度整えるように大きく息を吸う。
「……なんの御用でしょうか」
着物姿の鈴が御簾をめくって顔を出す。どう見ても中学生ほどの小柄な少年だが、その目にじっと見られると、常磐はなぜか緊張してしまう。
「えっと……」
鈴の前に正座して、何から話そうか考える。その様子に面倒臭くなったのか、鈴が尋ねる。
「また、爆弾魔の夢でも見たんですか」
「いえ、違います。違うんです。今回の夢は……」
分からない。あの夢は何を意味するのか。前の夢とは少し違うのだ。あのエゴを感じるとはいえ、迷いのない正義感や、少女に手を差し伸べるといった行動に、なんの問題があるのかというと、分からない。
鈴が迷っている常磐を見て、大きな欠伸をした。
「用がないのなら、お引き取りください」
「待ってください! 灯ちゃんがっ」
灯の名前を出したとたん、鈴の眠そうだった顔が一変した。
「……灯がどうしたんです」
問いつめるような口調の鈴に、情けないが怖じ気づく。
「さっき見た夢に灯ちゃんが出て来たんです」
「どんな夢なんですか」
常磐は、この前見た夢の内容と、その夢に出てきた少女と現在連絡が取れないということ、今回同じ内容の夢の少女が灯だったことを簡単に鈴に説明した。
鈴はそれを恐い顔をして聞いていたが、話が終盤にかかると立ち上がり、奥の戸棚を開いた。
「……という夢だったんですが……朝日奈さん?」
常磐が何をしているのか訊こうとすると、鈴はおもむろに着物を脱ぎだした。
「な、何してるんですか?」
「見て分かりませんか。着替えているんです」
鈴は黒い長袖のTシャツを着ると、その上にいつものグレーのパーカーを羽織った。穿くのもいつもの緩い黒いズボン。あまり外に出ないからなのか、外に出るときの鈴は、いつもその恰好だ。
「どこかに行くんですか?」
訊いている常磐を軽く無視をしながら、鈴は同じく戸棚に入っていたスニーカーを持って座敷を出る。
「あ、朝日奈さん?」
座敷部屋を出た鈴を見て、慌てて自分も靴を履く常磐。大酉がポカンとして、座敷部屋から出て来た鈴と常磐を見る。
「鈴さん? え? どうしたんですか」
鈴は大酉の前を通りながら、
「灯を迎えに行ってくる」
と、足早に蜃気楼を出て行った。
「え?! ちょ、ちょっと、鈴さん!?」
追いかけようとする大酉だったが、客をほおっておくわけにもいかない。
「あ、俺がついてるんで!」
常磐がそう言って、鈴の後を追って、店を出て行くのを大酉は心配そうに見送ることしかできなかった。
◆◆◆◆◆◆
「朝日奈さん。急にどうしたんですか」
バス停まで来て、ようやく鈴に追いついた常磐。
辺りはすっかり暗くなっている。
「今回、常磐さんが同調した夢の持つ意味は、今の所不明瞭ですが、過去二例、計三回の夢が犯罪者が見ていた夢です」
「はい」
「そこで、今回の同調者も犯罪者であると仮定します。……今、何時ですか」
バスの時刻表を指でなぞりながら鈴が訊く。
「ええと…もうすぐ六時になりますが」
バスが来る時間を確認した鈴は、ベンチに疲れたように座った。なんとなく隣に座るのはためらわれて、常磐は立っていることにする。
「また犯罪者……ですか」
「仮定です」
「その仮定だと、どんな犯罪になるんですか」
「そうですね。誘拐……とか?」
あっさりと言う鈴の言葉に、愕然とする。
「で、でも、最初の子の家では、身代金を要求されたりしている様子はなかったです」
「誘拐が金銭目的とは限らない。むしろ金で解決するならまだいい」
「そんな。今回の夢の持ち主は、手を差し伸べてただけです。それを女の子の方が手に取るだけで。霧藤さんも、もしかしたら恋人と喧嘩中の男の夢かもって」
「相手の方から手をとってくれるというのは、夢を見ている者の願望でしょう?確かに一回目の夢だけなら、そんな夢の可能性も出てくるのかもしれませんが、二度目の夢で少女が灯に変わっている時点で、それはない。あったとしても、ろくな男じゃない。愁成が何て言ったかなんて知りませんが」
霧藤の名前を口にするとき、殊更に顔をしかめて鈴は言った。
「まあ……灯ちゃんも、昨日そんな奴の手なんて握らないって言ってたしな」
「やっぱり会ってたんだ」
「はい?」
「いえ、何でも」
そこへ、大型車特有の重いエンジン音がして、バスがやって来た。鈴はベンチから立ち上がる。
「どちらにしても、灯が『僕は君を理解している』などという考えの奴を、信用することはない」
そんなことを言って、鈴はバスに乗り込んだ。
いったい、鈴と灯はどういう関係なのだろう。考えながら、常磐もバスに乗り込もうとすると、
「常磐さん」
バスの上り口を上がったところで、鈴が後ろを振り返り、常磐の名前を呼んだ。
「は、はい! なんですか」
「二百円」
「……はい?」
「運賃先払いだそうです」
お金を入れる箱を指差す鈴は、手ぶら。
「かしこまりました……」
常磐は上着の胸ポケットから財布を取り出した。